マガジンのカバー画像

omoide

15
その時々に、思ったこと、考えたことを。
運営しているクリエイター

#コラム

2021.12.20.

死ぬ、と思った。咳が止まらず、夜中に起きてそのままずっと床にうずくまった。2週間前から喉風邪をひいてしまい、その結果気管支炎になった。シムビコートなるものを処方され、これを吸うごとに徐々に楽になっていく気がする。この吸入剤の効果だけが頼りだった。 だけ、ではないか。友人のバルで知り合った画家に依頼して描いてもらった絵が自宅にとどいた。すぐに写真にあるように飾っている。普段座っているデスクからこのように見えるので、幾度もぼーっとしては見ている。絵のある生活はほんとうに良い。「

2021.09.23.

先天性心疾患により渡航移植の準備をしていた児の渡航準備が、無事開始された。移植を待っていても、亡くなった子どもたちのことを思い出した。 最近スマートフォンを買い替えた。僕のLINEには、ある子とのトーク履歴が残っている。そのやり取りを引き継ぎたいのだが、まあ機械音痴なのでなかなかうまくいかない(今も出来てない)。ある日から彼からの返事は無くなり、僕の送信したコメントには既読が付かなくなった。僕は懲りずに彼に近況を報告する。既読は付かない。それでも送り続ける。 最近どう、俺

2021.08.21.

懐かしい気持ちが心地よいのは、死ぬ事から逆行するからだそうだ。一方で、懐かしさに浸っていると、人は退化するという論を述べる者もいるらしい。 僕は懐かしい気持ちを大切にしたい人間なのだろうと思う。死にたいと思うときは数あれど、最近は懐かしい思い出を振り返ることが増えた。過去への感傷的な切望または思慕。「ノスタルジア(nostalgia)」とは、17世紀末のスイスの医師による造語らしい。他者との思い出には、優しさがあふれている。そこには、優しかった自分がいる。時の回廊を歩いた先

2021.07.03.

スピッツの夜を駆けるという曲の詩に“いつしか止まった時計が 永遠の自由を与える”という詞があるけれど。最近はほんとうにそう思う。 時間は人生だ。過去も未来も。その境界線にある現在も、すべて。人生を気にせずスマホも腕時計も見ずただぼんやりとするひとときは、自由だ。 しいたけ占いを読んだ。それなりに影響をうけているぐらいには僕は宗教的な人間だ。 断捨離をしている。捨てることで広がる自宅。ミニマリストにはまだまだ程遠いが、YouTubeを見ながらいらないものを捨て続ける。憧れ

2021.06.01.

割と人生で一番充実している時期なのかもしれない、と思えるほどには、仕事が順調である。 それは、良いことだらけが起こり続けている、ということを意味しない(むしろ悪いことが…という気もしている)。ただ、自分のコントロール下で扱える範疇で悪いことが起き続けている、というところだ。 たぶん、マズいな、というシチュエーションだったり、ここは踏み込もう、というシーンだったりへの感度が上がってきているのだと思う。自分のスキル・ナレッジにはさほど成長がないものの、向き合っている問題の解像

2021.05.18.

人生はこのまま終わるんだなあ、という実感があった。先週は仕事で毎日いろんな動きがあって、忙しくなりがちだった。成長の無い自分、成長の無い仕事。やたらと過集中とせわしないコミュニケーションを繰り返しては、ただただ疲弊した。切迫した状況で忙しさを充実感に錯覚することはできても、それ即ち仕事の質とはならない。 休み休み続けて周囲に迷惑掛けながら取り組んできたLiving in Peaceの10年は、このためにあったのかもしれないな、と思う出来事があった。おつかれさま、自分。まだこ

ひとかどの人間になれたら

『ちはやふる』に出てくる周防名人という人物は、幼少のころから彼を世話していた兼子という伯母に云われた言葉をずっと憶えていた。 なんでもいいけん ひとかどの 人間になんなさい 家系図から、血縁から離れ、恐らく自らの病で自立もままならず、気兼ねなくいられるひとときを普段の生活の中で持ちづらい“持たざる者”だった兼子がどうしても欲しかった平穏な居場所は、彼女からすればひとかどの人間になれたら手に入ったはずのものだったのだろう。 そんな兼子のことを、周防はずっと憶えていた。東京

人生のご褒美

ある著名人の方がご結婚されるという記者会見のあった深夜。その人がレギュラーを務めるラジオ番組は、いつも通りに放送された。 - - - - - そのおめでたいニュースを見て、その日のお昼に僕は親友に「おめでとう、よかったね」とメールを送った。何故なら彼はその人のことがずっと大好きで、ずっとファンとして応援していたからだ。シェフ見習いとして修業していたころ、彼の独り暮らしのアパートには冷蔵庫と布団、あとはその人の番組を聴くためのラジオしかなかった。彼の結婚式披露宴では、その人

自分の人生をいきるということ

何かを知ったら、もう知らなかったころの自分には戻れない。こうした体験の積み重ねが、自分を作っていく。だから、その時々に「何を想ったのか」「何を思いついたのか」「何を考えたのか」という“何”という部分を、忘れないようにしないといけないなぁ、と思う。そしてそれらは、自分の人生をかけた宿題のようなものとして、自分の中に残っていくのだと思う。 * 一昨年の今ごろ、ある木曜日の夜。僕は寄附の取り扱いにおけるルールについて、調べごとをしていた。独立行政法人や医療法人という性格に合った