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2021.09.23.

先天性心疾患により渡航移植の準備をしていた児の渡航準備が、無事開始された。移植を待っていても、亡くなった子どもたちのことを思い出した。

最近スマートフォンを買い替えた。僕のLINEには、ある子とのトーク履歴が残っている。そのやり取りを引き継ぎたいのだが、まあ機械音痴なのでなかなかうまくいかない(今も出来てない)。ある日から彼からの返事は無くなり、僕の送信したコメントには既読が付かなくなった。僕は懲りずに彼に近況を報告する。既読は付かない。それでも送り続ける。

最近どう、俺は相変わらずだよ、などと独り言の様にメッセージを打ち込む。既読は付かないまま。なんだかバカみたいだ。

仕事では、統合医療のこと考えたり、小児がん経験者のこと考えたり、臓器移植法のこと考えたり、ロヒンギャ難民のこと考えたり、ポイント還元寄付のこと考えたり、ソーシャルインパクトボンドのこと考えたり、SDGsのこと考えたり、している。考えてばかりじゃお給料もらえないので、それなりにがんばってはいる。

人に何かを教えながら案件を回すのは難しい。自分に厳しくあろうとすると、どうしても他者にも厳しく当たってしまっていることに気付かされた。難しい。誰かを教育することは、他人の才能の陶冶は、ほんとに難しい。

時間は滔々として流れ、寿命は融けてゆく。彼の命日を何度過ぎても自分の中にあるだろう氷の様なちっぽけな魂に、変化らしい変化はなかった。

「自分にしかできないこととは何なのか」
「いつ死んだって良いと思える仕事とは何なのか」
「与えられた人としてすべき、与える仕事とは何なのか」

それらをずっと考えている。

今週、「なんでそんなに自分たちのことを考えてくれるのか」と何人かから聞かれた。正直に言うと、"仕方がない"からだ。仕方がない、しょうがない。そうやって自分のことを御座なりにできる言い訳を探し続けていたいだけ。自分の時間を誰かに、何かに与え続けることでしか自分の価値を表明することはできず、自分自身としても自らの存在理由を確認する術が無いと思い込んでいるだけなんだろう。くだらない。

――などと、後ろ向きのことを今日は考えていたのだが(ワクチンの副反応だろう熱発がずっと治まらないからかもしれない)、そういえば!昨日途轍もなく良いニュースがとどいたんだった。今、突然の知らせが来たFacebookメッセンジャーを見て、昨日の衝撃を思い出している。

自分語りは、まあいいや。割と書いちゃったけど。

あらためて、おめでとうございます。僕にとって、新しい命が生まれることはやはりかけがえのないものです。どうか、幸せな未来がありますように。

貴重な時間のなか、拙文をお読みいただき 有り難う御座いました。戴いたサポートのお金はすべて、僕の親友の店(https://note.mu/toru0218/n/nfee56721684c)でのお食事に使います。叶えられた彼の夢が、ずっと続きますように。