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ひとかどの人間になれたら

『ちはやふる』に出てくる周防名人という人物は、幼少のころから彼を世話していた兼子という伯母に云われた言葉をずっと憶えていた。

なんでもいいけん ひとかどの 人間になんなさい

家系図から、血縁から離れ、恐らく自らの病で自立もままならず、気兼ねなくいられるひとときを普段の生活の中で持ちづらい“持たざる者”だった兼子がどうしても欲しかった平穏な居場所は、彼女からすればひとかどの人間になれたら手に入ったはずのものだったのだろう。

そんな兼子のことを、周防はずっと憶えていた。東京の大学に進学して、かるたに出遭うまで。そして兼子と同じ病を発症したそれからも、ずっと。

ここだ この世界で一番になろう ひとかどの人間になろう

自分はどうだろうか。ひとかどの人間になりたいと思ってはいる。まだそうではない。そして恐らくは"一番"にはなれないという現実に、まだ諦め切れてはいない。誰よりも努力をして、誰よりも自分というものを出し切る。そういう毎日を、仕事を通じて何処かで一番を目指す時間を消費し続けたい。しかし、それが未だ十分にはできていない。

「自分にしかできないこととは何なのか」
「いつ死んだって良いと思える仕事とは何なのか」
「与えられた人としてすべき、与える仕事とは何なのか」

一向に埋まらない理想と現実の落差を見つめながら、そんなことを考えている。

年末年始からずっといろんな人のラジオを聴いている(最近のブームはパンサー向井さんの#むかいの喋り方)。

承認欲求って何なんだろう、競争と格差、自由と分断って、良いものなんだろうか、悪いものなんだろうか。そんなテーマにみんな触れたり触れなかったりしている。自分がそんなところを気にして聴いているからそう聴こえるだけなのかもしれない。

ラジオもそうだが、最近オードリーの若林正恭さんの書かれた随筆を読んでいる。この本は、文庫版書き下ろし“コロナ後の東京”とDJ松永の解説(という名のラヴレター)だけで定価の10倍の価値があると断言できる。

著書で彼が言うように、資本主義と新自由主義の下の競争は人を疲れさせるし、社会主義の平等は社会を持続させる上で無理がある。それでも競争の中にしか安定はないと、みんな悟っているのだろうか。諦めている、と置き換えられるのかもしれないが。

昨年の12月から毎月一度のペースで、多摩全生園の国立ハンセン病資料館にいっている。

最初いったときは「一人だし、最初の一回でぜんぶ見られるかな」と見くびっていたのだけれど。最後のブースに全国42人に及ぶ回復者・関係者による語りを聞くことのできるビデオブースがあって、一本20~50分という映像がずらっとメニューに並んだ瞬間「先に言えし・・・」という気分になり(ただただ事前に把握してこなかった自分が悪いのだが)。時間は無かったのだけれど、ぎりぎり一本だけ内容を聴いて「全部見るまで、何度でもいこう」と思った。

展示資料のなかに、当時の中学生の書いた作文があった。幼いころから「バレリーナになりたい」という夢を抱いていた彼女は、しかし自分の病と当時の社会的な制度と常識、偏見が理由で夢を持てなくなってゆく自分を認め、「もうわたしには夢がない」と語る。それでも、彼女は続ける。

誰かのために 役に立つ仕事をしてみたい 自分の人生を生きてみたい

自分の人生を生きてみたい。そんな気持ちを抱いたことがあったろうか。

あった、と思う。置かれた境遇の差は比ぶべくもないことだが。

それは中学受験をしていた小学生のころ、大学院で研究者としての才能の無さに絶望し就職活動もうまくいかず今よりも60kgほど痩せ細っていたころ(コロナ太りってすごーい)、そして昨年5月の大型連休で精神面を崩したときのことだった。自分が世の中の流れに屈している、他人の意思に従うだけの存在になっている、人生を通じて何の貢献もできていない…という自己認識がものすごくストレスだった。

俺も自分の人生を生きてみたいと思う。そのように生きたいと思っている人を、できることなら助けたいと思う。その人さえ良ければ、だけれど。

昔、何時ぞやの夜に職場でTVドラマの撮影があった。

折角なので、撮影場所の中庭まで入院中のある子を連れていったことがある。演者である役者さんが、見に来てくれていましたね、と僕らの存在に気付かれていたと助監督から聴き、その子本人に伝えた。すると――

誰かの人生の中に、僕が生きられたことが 堪らなくうれしい

彼からそんな台詞を聴いたときのことを、よく思い出す。

そうか。承認欲求って、他者の人生の中に自分が存在するということを認識したいがための欲求だったんだろうか。会っていなくとも、離れていても。たとえ亡くなって、いつか記憶から消え去ってしまうとしても。他者の中に存在する自分を見て、初めて人は自我を、自分の人生を、生きられているという実感を得るのかもしれない。

ソーシャルメディアはいいね!の様なレーティング機能だとかシェアだとか、ソーシャルグラフを基にした広告出稿機能でそれらの欲求を定量化し、経済合理的なものにしてさらに欲求を促進してしまう。

アプリを立ち上げて通知が来ているかどうかをふと確認してしまうのは、「果たして自分は、誰かの中に生きられているのだろうか?」という疑問の回答としての生存確認のようなものなのだろう。それはだんだんと強迫観念のようなものへと変貌し、徐々に不安と疲弊を生じさせてしまう様な行為なのかもしれない。

"誰かとつながりたいという欲求は、社会的ないきものとされる人間の本能か"――いや、そうでもないのでは?などと思う僕であっても、「他者の人生の中に生きたいか?」と問われれば、そうだな、と思う。

手段はソーシャルメディアでなくとも良い(というか、そうじゃない方法の方が嬉しい)から、他者の中に存在する自分との出遭い、そんな瞬間が一度でもあれば有り難いと思う。それを人は「つながり」と呼ぶのだろう。

このわたしの願いを夢といえるなら わたしは夢を持っているのだ

だから、誰かの人生の中に自分がいると思えることで、人は自分の人生を生きられていると感じるんじゃないだろうか。

そう思うと、子どものころからずっと何ら変わらない欲の中で僕は生きてきたのだな、と思った。そしてそれは、ひとかどの人間にならなければ(僕には)手に入らないものなのかもしれない。

若林さんは、資本主義と新自由主義の齎す格差と分断を打破する、まるでワクチンのような人の営みとして、血の通った人間関係と没頭を挙げた。前者は"傷付けば血が流れるような"つながりのことを指し、後者はどんな苦悩をも忘れ、時とともに問題が解決する(される)ことを促す装置のような役割を果たしてくれる営み(人にも依るだろうが、趣味やゲーム、芸術、スポーツなどのこと)を指す。

では、なぜぼくは灰色の街でこれからも生活し続けるのだろうか。ここを出る勇気がないから?いい歳して言い訳を探しているだけ?

ここで生活し続ける理由。
それは、
白々しさの連続の中で、
競争の関係を超えて、
仕事の関係を超えて、
血を通わせた人たちが、
この街で生活しているからだ。
だから、絶対にここじゃなきゃダメなんだ。

それにこの街は、親父が生まれて死んだ街だから。

多摩全生園の中学生の夢だった、施設の外の人間と貢献を通じてつながることのできる仕事とその没頭。時代はかわり、当時は現在ほどは無かっただろう競争や格差・分断、それらを超えたところにある血の通った人間関係。

没頭を味わいに行きたい場所はあるけれど、この国と比較してみたい国はもう思い付かなくなっていた。
それは、探していたものが見付かった手応えがあるからだ。
血の通った人間関係と没頭が最高なのは、キューバもモンゴルもアイスランドもコロナ後の東京も多分一緒だから。

その確信を、新自由主義の競争で誰かを傷つけて貰ったお金を使って俺は見てきた。

仕事で手に入れたお金の裏で、誰かの血が流れている。仕事や金の切れ目が縁の切れ目だとしたら、僕はその切れ目を作るような仕事で(僕の存在しない世界線では)あるはずだったつながりとその未来を断ち切ってしまっているんだろう。その人々に流れるはずだった仕事や金を僕が奪っているからだ。

国家同士のグローバリゼーションや企業のDXがすすむ一方で(富の再分配が機能不全となりトリクルダウンの効力はさほど無く、自死で亡くなった人の直接的・間接的な死因が見えづらくなっている現状を根拠にすれば)修正資本主義の限界が来ているこの国。そこで誰かの不幸せの上に成り立つ生活を維持しようと、僕は誰かの生活を踏み付け続けている。新型ウイルスのパンデミックが生じてからは、普段からずっとテレワークという選択肢の持てる仕事に従事しながらそうでない仕事に従事する人を生命の危機に曝し続けている。そしてそれはこれから十分我が身にも起こることだし、起きてきたかもしれないことなのだ。

宗教や高度経済成長期における共同幻想の見せる大衆の原像は無くなり、新型ウイルスのパンデミックにより医学的根拠(サイエンス)が新たなドグマとして鎮座するようになった。

問題は、宗教などの其れとは異なり、サイエンスの神は信じた者すべての救済を叶えることはなく、ドグマそのものが大きく変わっていくリスクをも信ずる必要があるというところだ。それを理解し納得している者たちにしかこれらの効力はないし、信じたからといって宗教的なコミュニティが互助してくれる訳でもない。

医学とは、あまりにも"割りが悪いドグマ"だと言える。

そんな現実を知っていてもなお、僕はサイエンスを信じているタイプの人間であると思われる。「一定の再現性を原理原則で説明できるのであれば、現時点では信じるに値する事実だろう」と僕のなけなしの頭脳は処理するからだ。

僕が安全な自宅で粛々と仕事をする裏で、たくさんの誰かがつながりを失いながら新型ウイルス感染のロシアンルーレットを回し続けている。2020~2022年卒の新卒の学生たちには今も就職先を持たない学生、非正規労働者としてしか内定をもらえなかった学生が大勢残ってると聞く。新宿の大ガード下には「希望ある未来に投票しよう!」という標語の書かれた小学生の絵のもと、ダンボールハウスで寝るホームレスがいる。自分はラッキーだっただけだと思う。そのような格差と分断の犠牲の上で、僕の血の通った人間関係と没頭は成立している。

2008年に自死・逝去されたアメリカの作家David Foster Wallaceの2005年Kenyon大学卒業スピーチの私訳。後に書籍化され本も買ったが、僕の出会いはこのブログだった。教養とは、リベラルアーツとは何なのかを、筆者はとても分かりやすい説明で伝えてくれている。

大抵の場合、何を考えるか選択する心の余裕があれば、レジで並んでいる、目の死んだ厚化粧の母親が子供を怒鳴る光景を、少し違った目で見れると思います。

ひょっとしたら彼女は普段は穏やかなのかもしれない。
ひょっとしたら彼女は三日三晩寝ずに、死の淵にある骨髄ガンの夫を看病しているのかもしれない。
ひょっとしたらこの女性は低賃金の運転免許交付センターの職員で、昨日自分の奥さんが言っていた「免許センターでトラブりそうだったんだけど、優しいおばさん職員が親切に目をつぶってくれた」人なのかもしれない。

もちろん、これらはどれも現実味のないことです。でも、全くありえないことでもありません。

君たちが何を考えるかによります。

――高校を出てからずっと(現在ならテレワークのできるような)ホワイトカラーの仕事に就けず、20回以上の転職を繰り返しフリーターを続けている30代の男がいた。母子家庭で貧しい中で育った彼は‎幼稚園や学校でずっといじめられ、人間関係を作ることがとても不得手だった。字を読むことがほとんどできず学力も上がらず、高校を出てから仕事を探した。

しかし社会人になってからも職場でいじめを受けることが続き、転職をしても適切な人間関係を築けずに何のスキルも習得できないまま。学生のころから続けていたボクシングでも才能を見出されることはなく、30歳になってからは正規雇用を諦め日雇いバイトを繰り返す日々をすごしていた。

そんなその日暮らしの毎日の中、2年前に彼はUber Eatsと出遭う。身体を動かす仕事をしてきたので体力には自信がある。履歴書を送っても何の反応もない採用選考も、言葉に詰まって何度もハブられるような職場もない。店舗と他人の家を行ったり来たりするだけで発生するコミュニケーションはほとんどない。

これだ、と彼は思った。

今、彼は月50万円をUber Eatsで稼いでいる。天職だよ、と彼は云う。誰かに必要とされているんだって、すごく感じるんだ。チップをくれるお客さんもいて、Uber Eats本部からボーナスの出るときもある。俺にでもできるんだ。お世話になった人とのつながりを全然保てないようなできそこないの俺にもできる仕事が、世の中にはあったんだよ。この緊急事態宣言で加盟店も使ってくれる人も増えてる。コロナに感謝だよ、マジで。

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――新卒5年目。就職活動をしていたころは新型ウイルスのパンデミックの不況で、彼女には就職先が全然なかった。そんなに誇れるような学歴でもない自分には、それでもWebデザイナーになるという夢があった。

「未経験OK!」とwantedlyに書かれた求人をクリックする。ほとんどの会社の平均年齢は若く、どうやら同世代の20代の若者を想定しているらしい。エントリーしてみるけれど、どこからも返事がない。

自分のwantedlyのプロフィールを見つめる。「スキルと特徴」「実績」「受賞と資格」…他の人にはあるのだろう明確な能力というものが、自分にはない。きっとエントリーしたって、どうせ人事にとっては箸にも棒にも掛からぬ「何もできない中途半端な人」だとすぐゴミ箱に直行しているんだろう?

そんなことは分かっている。けれど、そのときはどこにもいけなかったんだ。内定をもらえても正規雇用ではなく、個人事業主としてのサインを求められた。そこでやったことなど、"インサイドセールス"とは名ばかりの飛び込みテレアポ営業だった。自分が学生時代に内定をもらえなかった会社に営業として電話を掛けることもあった。そこでも冷たくあしらわれた。

私が何をしたっていうんだよ。したい仕事ぐらい、私にもあったんだ。エントリーの向こう側で座っている、私のしたい仕事が今できているオマエと同じように。なんなんだよ、コロナって。ワクチンができて少しばかし世界が変わったっつったって、私ずっとこのままじゃん。

唯一無二の真実とは、「どう世の中を見るかは自分で選択できる」ということです。

これこそが、君たちが受けた教育が生み出す自由の意味です。

血の通った人間関係と没頭。没頭はすでに自分のなかにあるし、独りでも成立するものだ。しかし、人間関係はそうはいかない。

実際問題として、分かりやすく魅力的なタグがなければ血の通った人間関係(≒ラインを共に描く他者)に至るまでの道のりは長く険しい。誰もが無条件に自分とつながってくれる訳ではない。ひとかどの人間になること。ひとかどの人間に値する、首尾一貫した人間性であること。

そうして「タグ付けする関係」を踏み越えなければ、「踏み跡を刻む関係(≒ラインを共に描く関係)」にはなれないし、もしなれたとしてもその関係性は長くは続かない。それが他人から他者として認められる条件であり、人間関係を継続する技術なのだろう。

かるたが好きなわけじゃない がらんどうだ
おれは 続けるために だれかの情熱を食べるしかない
がらんどうだ

ここまで書いていて、あゝ、自分はこの人と同じだ、と思った。

作品では、かるたを"汚す"名人として周囲から見られている周防だけれど、そういう立ち回りをしてしまう業は分かる気がする(そりゃもう一方的に、でしかないのだけれど)。

ほんとうに自分のしたいことなんてないのだ。だから、自分以外のだれかの情熱、自分以外のだれかの願いに乗っかるしかない。そうすることでしか、自分の人生を生きられない。果たしてそうだろうか。でも、これ以外に手段を知らないのだ。

自分を納得させられる手段は、これしかない。

他人が何と云おうと、自分が自分自身を納得させられないのならば、意味はない。人は意味付けをする生きものだと人類学者は云う。そのとおりだ。その意味を操作し、自らに意味を持たせる材料そのものを自らの手で選んで人は人生を構成するのだ。人生とは作り話だとラッパーは云う。そのとおりだ。自らの手で描いていくしかない。

ひょっとしたら、と思う。この北参道のおしゃれなカフェで向かい合って座る「ママ虫」(育児をろくにせず遊びまわる害虫のような母親という意味の韓国でのネットスラング)の様に見える2人の女性は、普段は穏やかな人となりなのに医療的ケアを要する我が子の育児と義理の身内の介護で疲労困憊で余裕がなく、たまの気分転換で羽目を外しているのかもしれない。幼少期の難病が理由で疲れやすい身体を騙し騙し事務仕事を続けているけれど、そのことを職場に伝えるべきかどうかを迷っているからこそ、そのカミングアウトの時期をどうすべきか悩み苦しむ自分を吐露できる数少ない親友とのひとときを楽しんでいるのかもしれない。

僕の目で見える世界は、未だ薄っぺらいままだ。しかも、大切なものは目には見えない。僕はそれを手に取って、大切なものをもっと大切にしてもらえるような仕事に従事したいと思うが、未だ十分にできてはいない。

自分には薄い人間性しかないし、血の通った人間関係を作ることはできない。その事実についてはとっくに諦めが付いている。けれどせめて、自分の人生を他者に与えられる様な人でありたい。ひとかどの人間に、なれたら。

貴重な時間のなか、拙文をお読みいただき 有り難う御座いました。戴いたサポートのお金はすべて、僕の親友の店(https://note.mu/toru0218/n/nfee56721684c)でのお食事に使います。叶えられた彼の夢が、ずっと続きますように。