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2021.12.20.

死ぬ、と思った。咳が止まらず、夜中に起きてそのままずっと床にうずくまった。2週間前から喉風邪をひいてしまい、その結果気管支炎になった。シムビコートなるものを処方され、これを吸うごとに徐々に楽になっていく気がする。この吸入剤の効果だけが頼りだった。

だけ、ではないか。友人のバルで知り合った画家に依頼して描いてもらった絵が自宅にとどいた。すぐに写真にあるように飾っている。普段座っているデスクからこのように見えるので、幾度もぼーっとしては見ている。絵のある生活はほんとうに良い。「誰にも何にも気兼ねせず眺められるのは、持ち主の特権ですよ」と彼女は云う。その通りだ。

そんな2週間を経て、今である。無事、咳は鎮まってきている。一方で、体調不良を言い訳にしてこなかった仕事が溜まりに溜まっている。自社の5周年記念イベントもあったので投資的な位置づけの作業の滞りがヤバい。

しかしこの週末は仕事をせず、休息に勤しんだ。最終的に、読みたかった文庫を一冊読み、後は映画を2本とアニメを1本見た。どの作品も良かったけれど、よりもいが総ての涙を攫っていった。

自分にとって、仕事がシェルターなんだと。漸く気付いた。仕事をしているときの自分だけ、世の中に説明が付く。

"他者を手段にするということ"について考えることが増えた。

自社の採用説明会で、ソーシャルセクターで仕事をする者として大切にしてることは何ですか、と学生さんに訊かれた。「人を手段にしない、人権を守ること」と答えた。社会的弱者とされる人のことをPRや寄付あつめの手段にしない、するとするならば本人を取り巻く構造にフォーカスする、というようなことを話した。

昔なら目的のために無頓着にも積極的に採った手法が、経験と共に選ぶことのできない選択肢になってゆく。リンクが切れ、グレーの文字色になった文字列の記号が増えてゆく。

昔、知人の小児精神科医は「こだわり・プライド・被害者意識」が鬱疾患になる人のアキレス腱だと話していた。そのどれにも当てはまる自分にとって、またひとつ「こだわり」が出来てしまったのは、しんどい。

今年もやってます。

貴重な時間のなか、拙文をお読みいただき 有り難う御座いました。戴いたサポートのお金はすべて、僕の親友の店(https://note.mu/toru0218/n/nfee56721684c)でのお食事に使います。叶えられた彼の夢が、ずっと続きますように。