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2021.05.18.

人生はこのまま終わるんだなあ、という実感があった。先週は仕事で毎日いろんな動きがあって、忙しくなりがちだった。成長の無い自分、成長の無い仕事。やたらと過集中とせわしないコミュニケーションを繰り返しては、ただただ疲弊した。切迫した状況で忙しさを充実感に錯覚することはできても、それ即ち仕事の質とはならない。

休み休み続けて周囲に迷惑掛けながら取り組んできたLiving in Peaceの10年は、このためにあったのかもしれないな、と思う出来事があった。おつかれさま、自分。まだこれからだけど。

土曜日は死んだように眠った。いくらでも寝れるわ、これ、と思った。夜に一個だけオンライン会議あったから、そこはちゃんと起きたけど。

週末、食べ放題の寿司にいった。期間限定で、10種類ぐらいのネタが食べられた。他にも何人かに、いこうよ、と誘った手前、下見に行くつもりでひとり食べた。シャリはいらない、代わりに酒が飲みたい、と思った。日本酒は素晴らしいのだ。

普段より、目的による手段の正当化はあってはならない、大義のためにと手段にされる立場になってみろ、などとほざいていたが、まだまだ俺はしょせん口だけで心の底でそう思っている訳ではなかったのだと思い知らされた。誰かに良い恰好を見せたいだけ。それだけで、救われるべき対象を簡単に除け者にする様な人間なのだ。

伸びない伸びしろ、埋まらない距離。自己中心的で、幼稚で、独善的な人間性は相変わらずなんだろう。

他人にどうしたら自分のスキルセットを渡せるのか、よく分からない。ただ確実に言えるのは、そもそも"仕事のできるようになりたい"という気持ちの合意が無ければ、総ての時間は無駄だということだ。

頭の回転の早い人との話は有り難い。自分の至らなさに気付かされる。完全にぬるま湯に浸かっていた自分が恥ずかしく、と同時に軽い絶望に見舞われる。今日もそうだった。

焼肉が食いたい。牛角がいいな。でも、あいつの店のジビエでいいや。鹿肉のフリットとか。超絶うまいんだよ。

週末にSpotifyへ昔CDからiTunesに取り込んだ音源をインポートした。お陰様で、俺の青春時代がスマホの中に再生されるようになった。後は、つばきを入れようと思う。2017年5月9日、Vo.の一色徳保は脳腫瘍で亡くなってしまったけれど。

人が亡くなっても、歌えなくなっても。曲は、いつものように再生される。そこには、そのままの貴方がいる。

音楽には作った者と聴いた者を時の旅人にする魔法が隠されてる。きっと神様が、人をそうさせたのだと思う。

今日はオフィスに泊まる。翌日は早朝から作業の続きだ。

貴重な時間のなか、拙文をお読みいただき 有り難う御座いました。戴いたサポートのお金はすべて、僕の親友の店(https://note.mu/toru0218/n/nfee56721684c)でのお食事に使います。叶えられた彼の夢が、ずっと続きますように。