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「タモリ倶楽部」は多分にハウフルスな空気に満ちた「テレ朝の中のNET」。

ひとまずタブレット端末で完結するものから完成させていくか。
スキャンはまだだがブツ撮りは済ませたので、パソコンを動かせば
なんとかなるものは、完成できれば次第、ってことで。

ああ、そうそうようやく甲斐あって幾つか失せ物が出てくるように
なりました。そんなついでにブツ撮りやスキャンしたものなどを
添えて3月の月はじめ。|torov|note

 では時期物としては「タモリ倶楽部」の件と行きましょうか。

まあここで頻出させようと思うのはやはりアトロクでの
宇多丸解説ですけど。

(宇多丸)ああ、そうだ。タモリさん、あともうひとつ、
これも。最初に出た時に「はじめて出るから、僕が何者
だとか、そういう説明とか、いいんですか?」って聞いたら
「ああ、うちはいいの」って。だからその感じ。

誰がそこにいても不思議じゃない感じとか。そういう、
なんていうか、要は自由さとか。みたいなものがテレビ
からやっぱり少なくなってるなと感じる中、僕は『タモリ
倶楽部』の役割とか重要性はむしろ増しているだろう
って思うから。

ただね、やっぱりね、すごくコストもかけてるんですね。
スタッフの数も多いし、下調べもすごいするし。

宇多丸『タモリ倶楽部』終了を語る

いちいち歌舞かなくても済むあたりが「タモリ倶楽部」の
真骨頂。だからこそ「ぬるっと入る」って困難なタスクが
普通の温度で出来る稀有な(かつ民放の教育局であった
風味を残しているテレ朝の中のNETらしい)番組の
特性の一つだったのかなと。

 このところテレ朝が死期を早めるかのようにAbemaTV
を軸の一つにしながらかつてのNET色を『アタック25』
『おかずのクッキング』に続いて『タモリ倶楽部』に
まで手を付けている、とまあそういうあたりなワケですが。

NETの空気が残されていたもの。
『土井勝の紀文おかずのクッキング』
1974年に放送開始。初めは関東近郊にしか勢力を伸ばして
なかった紀文がメインスポンサーだったんだ。
 だから当初はNET(日本教育テレビ)時代にスタート。
 もっぱら後世的には大泉洋がさんざ真似していた
レパートリーだったので、息子の土井善晴の真似も含めて
知られている、といった方がいいだろう。

 1995年に土井勝が亡くなっても土井善晴が引き継いで
続き、2022年に最後のシリーズが終了した。
 なおBS朝日や朝日のCS系で再放送は幾つかまだ
観られるあたり。

 水曜どうでしょうも半ばを過ぎると、地方ワイドショーの
波が来ておかずのクッキングを合間にやる時間が消滅し、
BSで意識しない限り土井善晴を観ることも難しくなった
のがここ20年くらいだったわけですが。
(30時間テレビの頃まではこちらもネットしていたけど、
2000年にはネット放送が切られる)

 まあこれはこれで後に(紀文の話といえば、などは)一項
設けるとして、本題はあくまで『タモリ倶楽部』の話。

(宇多丸)なんかさ、街の中にさ、ポツンと昔からある、
いろいろ面白い本とか、ちょっと変なものが置いてある
個人商店。「あそこ、ずっとあるよね」みたいな。

「なんかずっとあって、周りにビルとかが建っても、
あそこだけはずっとあって。いつ行っても、なんか一定の
人がいて。ちょっとクセある客がいつもいてさ。
なんか面白いもんが必ず置いてあるんだよな」みたいな。

宇多丸『タモリ倶楽部』終了を語る

 そういう# 思い出はまた道に貼りついている、みたいな
案件をテレ朝は投げ棄てつつあるなー、とは思う。
(だから悪戯にタレントを道なき道へ投げ捨ててるような
お試しかっ、みたいな番組をみたいとは露にも思わない)


(宇多丸)あとはやっぱり合間合間で……回によるんですけど、
やっぱりタモさんがはっきりと火がつく瞬間というか。
やっぱそのタモリさんが面白がりだす瞬間。そこで
やっぱりその番組の温度、収録の温度がぐっと上がる。

で、俺らも「こうですよね!」って。もう完全にその
タモリさんが乗って。そういう時とかも嬉しいし。
かと思えば、合間合間でなんか雑談する。その1個1個が
もう全部、ひと続きっていうか。

宇多丸『タモリ倶楽部』終了を語る

 この緩急が心地良いので、noteでそこそこ振り返る
ような感性とも親和性が高いのが『タモリ倶楽部』を
観ていることの心地よさだった、と思う。

嘆きたくもなる位、シューゾーヨシズミバカツマタと
かつてのダブのCMのごとく「思わずテレビを消したく
なるダブタレント」を多用しがちなのが(特に)テレ朝の
ダメダメな元兇なのですがね(そこまで一点突破せな
ならんのか、とやはり辟易する)。

2015年頃にとあるブログに投下したコメントから

この課題を一つも解消せずに絶えずぶすくれているのが
EX系の悪しき特徴ですが、『タモリ倶楽部』はその辺りの
解消方法も実に上手いので、やすやすと見ていられる。
(字幕がゴテゴテせずスッキリしているのも含めて)

若林正恭:本当にね、『タモリ倶楽部』なんかちくわぶ工場
行ったことあるけど。
DJ松永:ああ。
若林正恭:ちくわぶが出来上がるってことに、自分が入って
いかなきゃダメ。
DJ松永:本当に入っていかないといけないんですよね。

若林正恭:あれを、工場とかを何かにたとえてワードで
笑いとろうなんてやったら、一番、ハウフルスが怒るからね。
DJ松永:ふふ(笑)
春日俊彰:制作会社ね(笑)

オードリー若林、『タモリ倶楽部』は自分のカラーを出すの
ではなく企画に「入っていく」スタンスが必要と語る
「笑いとろうとしたらハウフルスが怒る」

ハウフルスは基本的には言うまでもなく、ケンミンSHOW極や
ベスコングルメとかアド街とかやってる制作会社。
(かつてブレーンの中には直木賞作家にもなった景山民夫
も参加していた、そんなトコ)
洋楽にも造詣が深いから、アテ込んだ選曲を仕込んでくる
ことも多い会社で、だからこそ「空耳アワー」も成立していたと。

因みに最後まで使われていた初めの「空耳アワー」ジングルは
あの「サイレントイブ」でも有名だった辛島美登里さんの
持ち込みで、辛島美登里のコーラスが流れていることでも
有名なのが基礎知識。

『タモリ倶楽部』の台本だけは、台本を超えられないんだって(笑)
台本が1行目からめちゃくちゃ面白いんだって(笑)これ、劇団
ひとりが言ってたんだけど。

一番、台本面白い番組って…『ゴッドタン』もちゃんと
ボケ書いてあるから面白いけど、「でも、タモリ倶楽部っすね」
って言ってた。

『タモリ倶楽部』の台本は、読み物として面白いらしい(笑)
台本通りに言っても面白いんだって(笑)だから、余計なこと
しないで済むって言ってたからね。

佐久間宣行P、劇団ひとりが『タモリ倶楽部』の台本は
「書かれているボケを芸人も超えられない」と語っていたと明かす

ブラタモリとは別軸だけども、シナリオを円滑に進められる
『タモリ倶楽部』の台本はいつも理想的で練られている。
これが番組終了で喪われるのは惜しいな、と思う次第。

「タモリ倶楽部」は多分にハウフルスな空気に満ちた
「テレ朝の中のNET」、でした。

もう少し、ラジオの話にまつわることなど。オールナイト
ニッポン漬けではあったので。|torov|note


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