「でくのぼうがなく」と「やまなし」と『花持て語れ』。
といふことで(にやはり戻る)、元は本歌取りでも
しようか、とつらつら始めて観たのですが、この中では
とりわけマイナーな一曲なので、ここのメインテーマは
東京少年で「でくのぼうがなく」。
なぜこの曲への連想に至ったか、と言われれば、
それは珍しく特集なんかのページをサーフしていて、
みんなのおすすめの本まとめなんてところを手繰って
いたからだ。
みんなのおすすめの本 記事まとめ|note読書|note
その中にこの記事を見つけた。
デクノボーとして生きる|くさか ゆきこ|note
逆に詩の朗読は盛んだったけど、小学六年生の教科書に
これがポツンと載ってた時は奇妙なまでに難解な感じで
浮いてるな、といふ印象が強かった。
思えば詩の朗読の文脈で読めばやはり違って見えて
来るんだな、と理解したのは大人になってから。
で、件の記事は宮沢賢治の雨ニモ負ケズを引用して
こう述べられていますが。
ま、ある程度あめゆじゅとってけんじゃ、まで理解
してた上でわりかし宮沢賢治の心情は汲みとれている
とは思ってますけど、北に住む朴訥な生き方の姿勢の
一つとして「デクノボー」ってスタンスは確かに
あるんだけど、似たような気持ちをちゃんと歌に
している曲がそういやあったな、ってことでひとまず
「でくのぼうがなく」に辿り着いたのでした。
そしていつしか大人になり、藤田和日郎の門下生で
すさまじい作品を編集と共に作り上げた大作が
片山ユキヲ『花持て語れ』。なんか一回35ページの作品
原稿の元は80ページほどのパーツに分かれていて、それを
専任の編集が絶妙な配置で構成していく、とか言われると、
それは天才と天才が組んだ変態仕事だよな、
とも思ったんだけど。
「やまなし」は単行本だと一巻から二巻の5話分くらいで
紹介されるのだっけ。
まあ「唯一無二の朗読まんが」と称されただけはあって、
どの視点で「やまなし」を読むか、に関してのスタンス
語りがまあすごい。
まあこの御時世で片手間な手抜き系テレ東ドラマで
次作「ふろがーる!」をドラマ化されてしまったのは
少々残念でしたが(風呂パートはそこそこ頑張って
再現レベルにあったけど、バイクツーリングパート
完全オミットだったからなあ)、まんがとして、かつ
朗読まんがとして金字塔を立てたに等しい片山ユキヲの
『花持て語れ』に関して思い至った、といふ話を今日は
ひとまずつらつらと記してみました。