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デクノボーとして生きる

小学生だった頃、国語の教科書で出会った「やまなし」。子どもには充分過ぎるインパクトでした。意味が全然分からないものが教科書に載っているという衝撃と、奇妙な感じだけれど語感の良い言葉の数々、なんとなく怖くて不思議な物語に惹きつけられて、何度も読んでは、友達と下校の道すがら「クラムボンは笑ったよ。」「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ。」と、声を上げて暗唱したものでした。

その後も「注文の多い料理店」や「セロ弾きのゴーシュ」「よだかの星」など、自分がいる日常空間とは、全くの異世界のようなところへ心を運んでくれる物語たちを、夢中で読んだのをおぼえています。

本 ファンタジー

それから長い間、それらの作者である宮沢賢治の物語を読むことなく過ごしていた四十代のある時、「雨ニモマケズ」の詩を読む機会が訪れました。

その時、まるで彼の思いがそのままぴったりとスーッと自分に入ってくるような気がして、何故だかは分からないけれど涙が自然に溢れて来ました。

雨 水

雨ニモマケズ
宮沢賢治

雨ニモマケズ
風ニモマケズ
雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ
丈夫ナカラダヲモチ
慾ハナク
決シテ瞋ラズ
イツモシヅカニワラッテヰル
一日ニ玄米四合ト
味噌ト少シノ野菜ヲタベ
アラユルコトヲ
ジブンヲカンジョウニ入レズニ
ヨクミキキシワカリ
ソシテワスレズ
野原ノ松ノ林ノ蔭ノ
小サナ萓ブキノ小屋ニヰテ
東ニ病気ノコドモアレバ
行ッテ看病シテヤリ
西ニツカレタ母アレバ
行ッテソノ稲ノ朿ヲ負ヒ
南ニ死ニサウナ人アレバ
行ッテコハガラナクテモイヽトイヒ
北ニケンクヮヤソショウガアレバ
ツマラナイカラヤメロトイヒ
ヒドリノトキハナミダヲナガシ
サムサノナツハオロオロアルキ
ミンナニデクノボートヨバレ
ホメラレモセズ
クニモサレズ
サウイフモノニ
ワタシハナリタイ

(新編 宮沢賢治詩集 編者 天沢退二郎 新潮文庫より抜粋)
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それまで私は、不思議な美しい物語を描くこの人のことを、夢見る理想家のように思っていたので、詩に描かれている「デクノボー」がそれとは対極なのに驚きました。デクノボーの姿とは、汗と涙を流しながら「あらゆることを自分を勘定に入れず」他のもののために生きる人、なのです。

己のために生きて苦しくてたまらなかった愚かな私も、半世紀ほど生きた最近になってやっと、本当に幸せになりたいのであれば、自分以外のもののために自分を捧げることしかないのではないかと、気づき始めました。

それは、自己犠牲とか自分を矮小化することとは全く異なり、自分自身を最大限に拡げ真に生かす道ではないかと思っています。

そして、その道こそが「本当の幸いとは何か」と追求し続けた宮沢賢治の最後の答えだったのではないかと想像するのです。

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