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「ケッ」であることを聞く遺伝子はオードリー若林にも引き継がれている。ナンシー関「小耳にはさもう」

といふことで「弱視の千里眼」のビューが
そこそこ良かったのと、「何もそこまで」が
見つからなかったこともあって、最近また
ナンシー関の本をちょこちょこ読んではいるの
ですが。

といふことで今回は「週刊朝日」連載だった
方の1冊目「小耳にはさもう」(朝日文庫版)。

しかし、しかしだ。その「承知のうえ」は本当なのか。

ナンシー関「小耳にはさもう」(朝日文庫版)p193

まあ今の世の中の不安定さはナンシーやオヅラが
退場してもシレッとデーブ・スペクターはTVに
出ていて、しかも「流行語大賞の一件」(流行語
大賞、という言葉自体が流行っていない発言)以降
あんだけつまらないで安定していた筈のデーブが
「ちょっとだけ面白い」に不思議と格上げされた
まま放置されていることの方に「「在」悪感」と
「世の中の不安定性」が左右されてる感じが何とも
奇妙で、そして醜悪なんですが。

長嶋一茂のおもしろいところは、「何をどれくらい
まで考えているのか」が見当つかないことである。

「小耳にはさもう」(朝日文庫版)p69

長嶋一茂に関してはテレ朝の「バカぼんぼんおもて
なし&お持たせ」番組が俗悪過ぎて観ていないの
ですが、たまに長嶋一茂が面白くて納得のいく態度を
取る瞬間、ってのはあって、それはかつて一茂が
出した「三流」って本を出したときのフレーズが
垣間見られる時だけ長嶋一茂は輝くように思ってる。

(まあ「三流」のこまかい書評では聞き手がいて、
その聞き手との共同作業で錬られた本でもあるだけに
そこを評価しているのは目についた。長嶋一茂に
対するスタンスは元々それくらいが丁度いいもので、
決して昔揶揄されたように「一茂ごときがニュースを
読んでいることこそがそもそもの問題」であっては
ならない、ってことなのだろう、たぶん)

 まあいずれにせよ、「ケッ」を「ヘッ」くらいに
リアレンジしていたものの、往年のビートたけしの
ヘビーリスナーだったオールナイトニッポンを率いて
いるオードリー若林(春日はその御旗にはいないそう
で。伊集院光曰く)がベッキーにそんな質問を投げ
かけることがあるほどナンシー関が通底している
思想と姿勢は現代にも受け継がれている、と観るのが
正鵠を得ているあたりだと思うのだけど、いやはや
はてさて、といふ形でこの項はここまで。

ナンシー関「小耳にはさもう」を中心に今回は
お送りしました。

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