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旅団のさもしい旅行がこれ以上上手く進化するとは思えないし、「カップ酒」の進化を押し止めすぎた不毛な「大疎開時代」を強要するJR北海道に未来はもう存在しないのだろう。~毎年中止が叫ばれる事柄が、今年に限っては大人しいのはそろそろ消費の期限が近づいているからか。

といふことで、今回は写経ノートのマッシュアップでもして
みようかと。

 まあマッシュアップではあるので、今日のテーマソングは
大体このあたりが適当か。HALCALIで「Tip Taps Tip」。

まあ結局後から見つけた適当な本のメモ書きはこれだった。

「旅」と「旅行」は本来異なるもので、そこから多くの誤解が
生じている。
「たび」の語源は「食べ」であり、そもそも托鉢の修行僧や旅浪
の芸人や漫才師、つまり地方を回り、門付けを乞うた一群の人たち
の移動行為であった。

 一方、旅行は団体が移動することで、中国語の旅団は軍隊の意味
である。
 だから団体旅行はよいが、個人旅行とは本来言わない。
 旅はただしく「ひとり旅」なのである。 

芦原伸「カラー版 青春18きっぷとローカル線のんびり旅案内」
(洋泉社,2010.06)p189

 まあこの御時世でますます「ひとり旅」は推奨されているような
ものだし、あまり群れて旅をしても軋轢が嵩むだけ、とも言える。

 そんな新幹線時代以降で進化した文化がそういやあった、って
ことをこの本でも説かれていたような、といふことでここを引く。

(1964年10月の東京オリンピックに合わせた形で誕生した)カップ酒
は進化した。カップ酒を販売する名門の酒蔵も増えているし、駅の売店
にはその土地の銘柄がプリントされたカップ酒が売られている。

芦原伸「カラー版 青春18きっぷとローカル線のんびり旅案内」
(洋泉社,2010.06)p81

 この点で進化と販売における質の高さを感じたのはやはり水と米が
美味くて、北陸新幹線が開通した富山駅であった。
 富山駅の中には酒蔵直営のショップもあり、そこのリリースしてた
カップ酒は勿論純米以上。キリッと締まった富山ならではの呑み口が
味わえる銘柄もあれば、電鉄富山駅直結のアルビスにも優秀なカップ酒
が手頃な値段で手に入れられるようになっていた。

 しかし、この流れに全く逆行し、書店を手放して、酷い廃糖蜜入りの
カップ酒を平然と売り続けていて進化が特級酒時代で止まっている旧態
依然のJR北海道である、と。
 おかげで酷い駅周辺施設で酒を手に入れるよりも少し行ったセイコー
マートの方がまだマシな酒を(こと日本酒に関しては)売っている、
ってイメージになってしまっているのがいかにもなハナシで。

進化を押し止めすぎて、最早ブレーキ痕すらない大疎開時代を展開する
だけのJR北海道に未来はもう存在しないのだろう。

進化が余りにもなくて、毎年中止が叫ばれるアレも他の瑣事に忙しなく
まくられて、賞味期限が切れてきたのだろうな、とも思えるのが、かつての
収穫祭の成れの果てと「義理チョコ」ってヤツではないのかな、といふのを
次にふつけるかと。

 1982年に初めて「義理チョコ」という商品が発売された。ということは、
すでに「義理チョコ」という言葉があった、ということだ。

堀井憲一郎『若者殺しの時代』(講談社現代新書1837,2006.04,384/ホ)p62

 むろんこの幻想とファシズムが込みで来たんだろうな、と思える出来事に
関しては同じく40年前に台頭してきたこの事象をしっかりこの人が書いて
いるもので。

「一年の中で、大事なのはお正月よりクリスマスですよ」
突然、そう言われたのは1982年夏のことだ。僕は大学四年生で、言ったのは
サークルの後輩の女子だ。螻川内栄子(けらかわうちえいこ)20歳。
のちの漫画家けらえいこだ。

堀井憲一郎『若者殺しの時代』(講談社現代新書1837,2006.04,384/ホ)p38

 どちらも猖獗を極めてきた事象の台頭から40年。丁度そのサイクルが
終焉に来ている、といふのもあながち見立てとしては間違っていないの
かも。

 ま、堀井憲一郎『若者殺しの時代』はこの他にも「一杯のかけそば」の
気持ち悪さに関して鋭い考察があったりするので(p32、そばを食べた
二人の息子が1990年代に著しく評価が落ちた二つの職業「医者と銀行員に
なった」、ってのが嫌味に見えてくる、って考察)、まあ一読しておいて
損はない本かと。

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