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オードリーを知ったのは珍しく、藤井青銅からの逆打ち、でした。

といふことで学生時代にあまり普通の深夜ラジオを
聴いていなかった分、アニラジや雑誌「アニメージュ」
廻りで情報を得ていた私が藤井青銅のルートでオードリーを
知る、といふ流れはむしろ自然の流れではあったわけで。

藤井青銅氏は「アニメージュ」で1990年代によく
連載を持っていたので「クールボイスでささやいて」
(アニメージュ文庫)がちょうどシンクロしてたのかな。
「死人にシナチク」はちょっと前で、「プリズム・ショット」
と共に文庫で確保した、といふ記憶になる。

https://iss.ndl.go.jp/sp/show/R100000002-I000001947043-00/

また最難関かな、と思ったら更に難関な文庫版があり、
そこでも少し改版されている、とは知ったが一応札幌の
古書店でトクマノベルズ・ミオ版の「愛と青春のサンバイマン」
は確保してると。

・短命に終わったトクマノベルズ・ミオ



著者近影の写真とか、微妙に凝ってていかにも1980年代
テイストなノベルズだったけど、この後徐々にメイン
ストリームから撤退していき2000年に近いあたりで徳間は
再編含めてノベルズから撤退したもので。そんな徒花感も
あって、橋本治がラノベ作家として認めて貰えていないのも
(ソノラマ文庫に書いてた清水義範とは対照的なのも)ここの
即座撤退の余波を喰らったせい、と観ている。

ちょうど「ノート写経」の中からこれを見つけたので、
このあたりの本の紹介からつらつら語ってみようかと。

まあ現在の「ANN」隆盛のメソッドは藤井青銅氏のこの
二つのコメント(&付き合い方)に集約されているかと。

 で、放送作家とディレクターは、その話を膨らませる
手伝いをしたり、面白く話すテクニックを教えたり、
ネタを見つけるコツをアドバイスしたりする。一人より
二人、二人より三人。
(中略)
 だから、制作費削減で放送作家を無くし、すべてを
タレント一人にまかせると、とたんに番組が痩せ細って
しまうのだ。ここんとこ、放送局はよーく考えて欲しい
ってもんだ。

藤井青銅「ラジオにもほどがある」(小学館文庫)p027

この実例を観ていたからか、写経ノートのコメント欄
には次のように記されている。

-いわゆる「泰勇気」化の防止はいつだって必要。
 「サンセットラジオ」の効用もこれだったし。

ま、ここに関して深く言及するのは避けます。
下の教えともカブりますが。
せいぜいプロモデラーに逃げられて良かったね、
程度のことしか言えませんし、言いたくもありませんし。

 私はさっさと帰ってしまうのだ。
だって、夜中の三時まで(ということは、終わるのは
5時だ!)つきあう体力はないもの。

藤井青銅「ラジオにもほどがある」(小学館文庫)p032

・伊集院光に関しての藤井青銅側からの視点はこちらに。

 時は1989(平成元)年だ。
 この年導入された消費税に「3%、ってのは計算しにく
くて、しょうがないなぁ」と文句を言いながらも、世の中
にはそれを受け入れる余裕があった。バブル景気でわきたって
いたからだ。

 が、一方、この頃の落語界は冷え切っている。
 加えて彼(三遊亭楽大)は落語協会じゃなく、落語芸術協会
でもなく、円楽党の人だ(普通の人には、落語家は全部同じに
見えるだろう。が、落語ファンなら、この所属の違いが意味
する所がわかるでしょ?)


 今後、落語家として活躍の場がどれくらいあるのかわからない。
「幸か不幸か落語家として名前が出る前だから、いま決断し
といた方がいいと思う」

藤井青銅「ラジオにもほどがある」(小学館文庫)p093

関東はこの期に及んでも3つの協会に落語家が別れていて、
出られる席亭もそれに応じて違ったから、絶滅寸前にまで
行った関西の糾合ぶりとは逆に四分五裂した、って話は
三遊亭圓丈の「師匠、御乱心!」(小学館文庫)を観れば
歴然としてますが、旧態依然とした古典落語しか縋る処の
ない板東の落語家寄り合いに、ベビーブーマーを受け入れ
られるだけの器はなかったので、更に談志が割れて立川流に
なり、4つに割れるわけですけど、この荒波で伊集院光は
ともかく三遊亭楽大が生き残れる道はなかったのかなと。
(現に「笑点」でもさんざネタにされてましたが、若竹は
潰れたわけですしね)

https://miyearnzzlabo.com/archives/63408

・オードリーに関しての藤井青銅側からの視点はここからか。

「僕らビンボーだから、相方(春日)のアパートでトーク・
ライブをやってるんです」
という若林(正恭)に、
「面白いっ!」
 と私が食いついたのが、最初だったかなあ・・・。

藤井青銅「ラジオにもほどがある」(小学館文庫)p252

以前ノブコブ徳井健太が主張していた頃かーずSPさんの
トコに書いた文章でここは援用しますが。

はれぶたこと『はれときどきぶた』が提唱していた
「手にも職、脚にも職」イズムに満ちた方向をジャニーズが
TOKIOや堂本光一、滝沢秀明などがなんとかしてモノにした
ように、売れる筋がなく摸索を続けるしかなかったこの世代
(キングコング世代)はこの資格取りも含めた「フィールド
(場)作り」から始めなければならなかった苦労世代で、
純粋にネタを見せられる番組がなかったのはテレ東の佐久間宣行
PDなどが重ねて言っている通り。

だからTOKIOが作物を育てるが如くナイツは演芸場に行き、
オードリーはキサラやなべやで渡辺正行のアドバイスを受け
ながら自宅に客を呼んでコントのネタを「フィールド(場)作り」
から始めて磨いていたわけで)。

これに関しても藤井青銅氏は著書でこう書いている。

 切羽詰まってウロウロ行動するっていうのは、プロ意識の
なせる業だもの。テレビやネットで話題を探して小器用に
喋るより、よっぽどいい。

藤井青銅「ラジオにもほどがある」(小学館文庫)p254

巻末対談「ラジオはアウトレット」も藤井青銅×オードリー
なので、藤井青銅から入っていくオードリーの入門編としても
適切な本ではないのかなと。

オードリーを知ったのは珍しく、藤井青銅からの逆打ち、
でした。