知は力なりは知識?知性?

知は力なりは知識?知性?

帰宅途中にふと思った。
知性と感性こそ最も重視すべきものではないか?

知識は力なり」(ちしきはちからなり)は、16世紀から17世紀にかけてのイングランドの哲学者フランシス・ベーコンの主張に基づく格言である。「知は力なり」と訳されることもあるが、日本語の「知」が知識のほかに知恵など広い意味を含むのに対し、ラテン語の scientia および英語の knowledge は知識(あるいは知ること)という狭義に限定される。

出典Wikipedia

さらに内容を要約した文章を見てみると、

要約すると、ベーコンは、自然のふるまい(因果性でいう「結果」)を観察・思索し、そこから推測できた知識(因果性でいう「原因」)を、精神の道具として実利に用いる(人間が意図する「結果」を生み出す)ことを主張している。ベーコンは、彼以前の西洋哲学(とくにスコラ哲学)で主に用いられた演繹法ではなく、自然のしもべとして、自然に対する真摯な観測を重視した帰納法を提言しているのである。

帰納法と演繹法のやり取りをし、知ることを通して物事を深く考え理解していくベーコン。

ベーコンは知性のある人だということに今更気づいた。

現代社会の知

現代社会における知識は知ろうと思えばある程度の知識はすぐに手に入る。インターネットのおかげで多くの情報に触れる機会が増えたからだ。

しかし、知識を使える人間はどれくらいいるのだろう。実際にスマホを利用して知的な活動を行っている時間はほんのわずかであり、大半の時間が娯楽に消費される。

私たちは昔の人間に比べて多くの知識を手に入れる事ができるのに、知識を使う力が身についていない。
さらに寄り道した話をすれば、スマホによって増えた娯楽によって私たちは感性まで失われているのではないか?

つまり、昔の人間は、観察から知識を得て、因果関係を見つける知性を持っていた。現代人は、誰かの知識によって得た情報を二次利用しているだけに過ぎないのである。

昔の人
知識→知性 

現代人
知識→✖️知性

これでは知性を得るステップに進む事ができない。

なぜ私たちは知性のステップに進む事ができないのだろうか。それは知識を得るステップの価値が昔より低くなったからである。
知識はもう誰もが簡単に手に入れられる時代であり、誰かが短く、わかりやすくしてくれたものでないと注目されない。

こんな世の中だからこそ本を読まなければならないという意見に少し実感を持つ事ができた。どんな本かといえば、現代社会が捨ててしまった情報が載っている本が良いだろう。

知性を身につけるには?


私たちが知性を身につけるには、本を読んで自分で考えることが大切である。
まずはこの2つのフリをやめることから始める。

簡単に人の感想を見て考えたフリをしない。
ネットの情報だけでわかったフリをしない。

もうすぐそこまで迫っているAIという知性を奪う脅威に立ち向かうにはこの二つのフリをやめることから始めなければならない。

そして知性を手に入れた先で重要になるのが感性である。

自分の感性に従って知性を使って答えを出す。現代社会を生きる私たちに求められているものは知性と感性なのかもしれないと思い残り半年を大切に生きようと決めた金曜日でした。

内容の要約とまとめ

上の文章は帰宅後に寝っ転がって考えたものです。
何が言いたいかというと、感性に従って知識を増やし、知性を使って答えを出す。これで自分で考える人間になりたいということです。

もっと深いことを書くつもりでしたが、今の私の知性では難しい。

成長後にもう一度、知識と知性と感性について投稿したいと思います。
本読むぞ!!

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