障害を受け止める~両親の思い
検査結果を家族に伝える。
私の母は、ある程度覚悟していた様で、結果を伝える前より先に
「産みたいんでしょ、自分達で決める事だったら応援するからね」って言うのが第一声だった。
18トリソミーと言う染色体異常の事を説明しても、長くは生きられない子供だと伝えても母は、あまりピンと来ていない。
「ダウン症だって、昔は長くは生きられないって言われてる病気だったのよ」「しょうがないじゃない。あーだこーだ考えても仕方ないのよ」と染色体異常=ダウン症と言う捉えていたようだ。
私が長男を迎えに行っている間に、母はネットで調べたらしく
私達が帰宅すると血相を変えて、家に飛び込んできた。
(母)えらいこっちゃやないの。こんなの聞いた事ない。何なのこれは!
あまりのショックに動転したようで、興奮していた。
(母)こんなの無理よ。普通じゃないじゃない。おかしいじゃない。
超変わり者の父と長年生活している母は、あまり動じる事はない。
しかし、この時ばかりは、声を荒げ、怒りがあふれ出ていた。
その後すぐに、母から話を聞いた父も、家に飛び込んできた。
(父)こんな事、何が言える?俺は、何て言えばいい?
誰かが、何かを言える?
父は、the八百屋な男。
じゃりン子チエに出で来るテツとか泉谷しげるみたいに、声が大きくて激しい男だ。普段は、オラオラ系なので前に出るが、いざと言う時には、後ろに下がり母に全てを委ねる。
家族で外食に行く時、ここへ行きたい。あれが、食べたい。
三人兄弟+父親は、ごちゃごちゃといつまでもウルサイが、
最終決定権を持つのは、いつも母だった。
餃子が三人前、ラーメン、エビチリ、チャーハン、、、
いい案配で指令をだし、間違いがない。
(父)お母さんに、よう話聞いて、話し合い。俺は、分からん。
ハッキリ言っとくけど、俺は何も言えん。
私と両親は同じマンションに住んでいたので、頻繁に行き来があった。
夫は仕事が忙しく帰りも遅く、私も仕事をしていたので、平日は協力してもらってご飯を一緒に食べる事も多かった。
(母)なんで、まだ産もうと思ってるの。やめときなさい。こんなん無理でしょ。向こうのお父さん、なんて言うてるの?
母親由来、母親が高齢って書いてあるじゃない。
1万人に1人って、なんでこんな確率で、当たるのよ。
母と私は、その後も出産について、
18トリソミーについて質疑、応答が繰り返された。
義理の両親
夫の両親は、裕福で頭の良い大学を出て、高収入の仕事について、ってそんな親族だった。教育の事について話題が多く、高学歴、留学、良い仕事について話したりするのが好きで、孫の将来にも熱い期待を寄せていた。
検査の結果が出る日の事を知っていた義理の両親は、夫に連絡して結果について手短に聞かされていた。
私にも電話がかかってきて、
「聞いた事ない病気だわ。なんていう病気なの?」
「なんで、そんなに死んでしまうの?治らないの」
「ダウン症とは、どう違うの?」
「小学校とかは、どうするの?」
初めて聞く病気があまりにも衝撃的で、何度も同じ質問を繰り返していた。
私達自身も、知らない病気との遭遇で、ネット上知り得る情報以外は何も知っている事はないので、私もオウム返しのようにwikipediaに書いてある内容を呪文のように唱えるしかなかった。
義理の両親・両親ともに、孫の誕生を楽しみにしていて、産まれて来て元気に育つと言う事が当然だと思っていた。
障害=ダウン症くらいは、想像していたようだが、未知の病名は、衝撃が大きく、落胆するしかなかった。
まだ子供だった私
検査の説明を聞いたあと、多忙の夫はそのまま出勤していた。
まだ、二人で話し合っていないって言うのに、両親が決めてしまうのではないかと言う勢いで、話が止らない。
(父)自分も親だから、子供を失うって言う悲しみや辛さは、想像できて辛いのは、分かるけど。俺も、1人の親として、これから娘がするだろうと言う思いを考えると・・・辛いんじゃ
(父)お前が、1番可愛いんやから
父が、泣きそうになりながら、私に放った一言に、涙が込み上げた。
ああ、私もこの人の子供やった。
結婚して、子供も産んで、もう40才も近づいていたので、
自分は独立している人間だ!なんて、思っていた。
おばさんで、恥ずかしいけれど、私もこの人にとっては、ただの娘なのだ。
「お前達も、子供(長男)がいるから、もし同じように長男に同じ事が起これば、何を考えるかって、
きっとお腹の子供よりも、今いる自分の子供を心配をするやろ」
父の思いが暖かくて、心に染みた。
もし、長男が大きくなって同じような事が起こったら、
私は、果たして、産む事に賛成できるだろうか?
あまりにも重症な障害。
産まれる事ができても、長く生きられないと言う事
結局、家族からの意見は、
まだ、妊娠出来る可能性もあるんだし、
帝王切開になる可能性も高く、羊水が貯まったり母体にもリスクあるだろうし、長男の世話や長男への影響もあるし、
「残念だったね」
もう何もかもが終わったような言葉で、終始、反対していたと思っていた。
泣けた、母からの思わぬ報告。
「大丈夫、もう二人で話し合って、決めなさい。
向こうのお父さんには、話付けておいたから。二人で決めた答えを私達は応援する。以上」
母が、義理の両親を誘って、両親+義理の両親で飲みに行ってくれたらしい。
商売と接待上手い両親は、酒の力を利用して
”娘夫婦に結論は、出させてあげて欲しい”と頼のみ、
どんな結果になっても皆で応援しよう。と決めたと言うではないか。
「兄弟がいた方が幸せとか、兄弟に与える影響とか
次の妊娠がとか、もうゴチャゴチャ言ってないで、
今は、この子事だけを考えてあげなさい。
なるようにしか、ならないんやから」
母が、言ってくれた言葉が胸をズンとついた。
無理かも知れないとか、周りの幸せを考えてとか
ひたすら誰かのせいにして、赤ちゃんと向き合っていなかった。
やっぱり、いざと言う時は母だった。
もう、母の愛が深かすぎて、私もこんな母になりたい!って
尊敬に尊敬を重ねるしかなかった。
*出生前に、100%の確率で答えが出てしまうと
自分と夫婦の問題だけでは、とどまらず
それを支える家族の問題にもなってしまう。
周りを巻き込めば巻き込むほど
自分の思いに気が付かなかったり、
気持を抑え込んで
答えを出してしまう事さえある。
心の傷だけが残ったまま誰にも話せないで、
傷を抱えている人だっている。
検査の技術だけが進歩しても、
それを受け入れる社会や環境、心のケアは、
まだまだ整っていないのが現状だから
医療従事者じゃなくても、
何でも話せる味方がいれば
安心して答えを出すことが出来るじゃないかと思う
心に残る傷も、きっと早く癒えるんじゃないかとも思う
どんな答えを出しても、
それを支持して
応援するよって
言ってあげて欲しい。
★長々と家族の事について書きましたが、
次回は、夫と私の事について書きます。
↑ 前回の記事です。時系列が分かりにくいので、記事をつなげます
時間があって、初めから読んで下さる方は、こちらからお願いします。
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