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大河「麒麟がくる」の分析【第17回の感想】 “義龍のひどいコンプレックス”と“道三の深い愛情”と。(1556年「長良川の戦い」より)

第17話は、1556年『長良川の対決』が舞台だ。父、斎藤道三と、息子、斉藤義龍による美濃国を二分する戦い。主役を食う程の存在感でここまで『麒麟がくる』を引っ張ってきた斎藤道三の最期が描かれる。当記事では、この節目となる戦いを「義龍のとてつもないコンプレックスと、道三の息子への愛情」という視点で分析した。

〜第17話のあらすじ〜
尾張では、道三(本木雅弘)が越前へ落ち延びられるよう取り計らったにもかかわらず、それを拒んだとして帰蝶(川口春奈)が憤っていた。道三が劣勢であることを聞いた信長(染谷将太)は、いてもたってもいられず兵を引き連れて飛び出していく。光秀(長谷川博己)は、明智荘を守るべく、光安(西村まさ彦)と共に道三に味方することを決める。
ついに長良川を挟んだ戦いが始まった。一進一退の攻防が続く中、自ら大軍を率いて押し寄せていった高政(伊藤英明)により、次第に道三軍の敗色が濃厚になってゆく。


義龍(伊藤英明)は、昔から悪い奴ではなかったが、大きなコンプレックスを抱えた男として描かれてきた。いろんなことが“ない交ぜ”になったような複雑なコンプレックスだ。
まず、口では悪態をつくものの“偉大な父”に対するコンプレックス。どの面でも敵わず、優しさも与えられず、自分勝手で子に興味も示さない憎むべき父。それなのになぜか“父への憧れ”も内心あったのかもしれない。
それから“側室の子”というコンプレックス。
そして“優秀な弟たち”に対するコンプレックス。父が弟たちを可愛がるのも悔しかった。
“自分の能力に対する劣等感”と“孤独感”とをふつふつとこじらせ続けていた。

ここ数話のシーンを思い出してみれば、義龍は明智光秀を前にした時、とにかく「光秀はどう考える?」「お前の意見が聞きたい!」と、何度も何度も光秀に質問ばかりするのだ。自分に自信がなく背中を押されたい。自ら判断をしきる覚悟が持ち切れない。腹心たちの声を聞いては意見を揺らがせる。なにもかも自分で決断できる父には敵わないのか…と気づけば気づくほど、コンプレックスを募らせた。

それでも、幼少の頃から幼馴染で親友だった光秀ならば「アイツならわかっていてくれるはずだ」とすがるように質問を重ねる。「大丈夫だ、間違っていないよ」と言ってほしい、そして「支えて欲しい」という思いがにじみでている。

かわいそうな男だった。
そして、“父親殺し”を通じて、父を乗り越える事でしか、自分の生きる道を描けなかった。亡霊を打ち消すかのように、父親に手をかける事を選ぶ。

しかし最後の最後まで、いや違う、正確にいえば、“最後に近づけば近づくほど”に、齋藤道三は“我が子への愛情”をたっぷりと言葉にし、義龍を抱きしめようとした。「我が息子よ」と。「そなたの父の名を言ってみよ」と。道三の振る舞いは、愛情に見えた。そして、息子のために死を選んだ。
しかし息子はそうとは分からず、「道三の思う壺だ!これで父殺しの汚名がつきまとう!」と吐き捨てて言ったが、そうではなかったと思う。道三はやろうと思えばいくらでも生きながらえる選択肢はとれたはずだ。信長と裏で手を結ぼうと思えば結べた。しかしそうはしなかった。
“父殺し”でしか次には進めない息子の未来のために、自らを“儀式”の犠牲にした。

光秀は、その“道三の親心”に気づいていたからこそ、死ぬとわかって戦いに挑む道三側につくことに決めたんじゃないかと思う。もしも義龍に、それを分からせられば、親子で殺し合いをしないでも済む道もあるはずだと。
しかし義龍にはもう何も通じない。
コンプレックスが極まって、周りは見えなくなり、判断もできなくなってしまった。
「私の父は、土岐頼芸様!」
最後までそう叫び続けた。
ただ、父に、認められたかっただけなのに。

かわいそうな男だった。

(おわり)

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