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ドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」【第3話の感想/分析】 時を巻き戻し“歩んできた行程”を見せる物語

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『大豆田とわ子と三人の元夫』を3話まで見たが、3回とも終盤にさしかかると急にぐっときて泣けてくるのだが、でも自分が何に感動してるのかいまいちよくわからないでいた。
なんでだろうと原因を考えてみたら、たぶん“時間の奥ゆき”のせいなんだと思う。そこを見せられたから、感動するんだと思う。

“歩んできた行程”を見せる物語

第一話で、大豆田とわ子は開かなくなったパソコンのパスワードを聞き出すために、会いたくない三人の元夫に次々と会いに行くはめになる。そこで視聴者の私たちは三人の元夫たちと初めて出会った。第一印象は最悪で、1人目の夫はなんだかチャラくてヘラヘラしてるし、2人目の夫は器が小さいし、3人目の夫は減らず口が多くて気難しい。
つまりこの物語は、“男運がなくて後悔だらけの結婚をしたバツ3女性”が再会した元夫たちに振り回される物語なのかもしれないとまず視聴者は考える。大豆田とわ子の態度を見ても元夫たちと会いたくなさそうにしていたし、会ってもイライラして怒っていたし。

でも、今回の第3話。
今回は2人目の夫、佐藤鹿太郎と大豆田とわ子はどのようにして出会い、どうして惹かれあったのかが丁寧に描かれた。ふたりは、相手に自分にはない長所を認め、尊敬しあえていた。
鹿太郎の真っ直ぐで情熱的な性格は、観ているとだんだんと好感がもててくるし、裏表がなくて“思ったらすぐ口にしてしまう不器用さ”にも愛着がわいてくる。
鹿太郎がストーカーのように会社に忍び込んできた時、大きな花束を抱えていたのは、昔のプロポーズの言葉につながっていて、そういうロマンチストすぎてかっこわるい感じもまた微笑ましいんだよな。と思えるようになる。

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多くのテレビドラマは物語の“先”を見せる。
好きな人と繋がれるのかどうか、怪しい容疑者が真犯人なのかどうか、先へ先へと時間を進める。
でもこのドラマは“うしろ”を見せる。“歩んできた行程”を見せる。

第一話の第一印象では「器の小さい男だな」としか思えてなかった人物が、大豆田とわ子が歩んできた人生をぼくらも擬似的にたどることを通じて、器が小さいだけではないと印象が変わる。
“時間の奥行き”を見せてくれたことで、鹿太郎の“人間としての奥行き”も広がってみえるようになったのだが、実は大豆田とわ子自身は第一話の頃からその事をすでに知っていて、そういう理解も胸に内在させながら鹿太郎のことを見ていた。ぼくらが知らなかっただけで。やっとぼくらがその記憶に追いついただけで。

この“時間のギャップ”のようなものを視聴者に体感させにくる物語の技術に、ぼくは毎回感動させられているのかもしれない。

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人生には“嘘”があふれている

第3話で特徴的だったのは、“嘘”の多さだ。

“嘘”はいつも人生の分岐点にあらわれる。

大豆田とわ子と鹿太郎の初めての出会いにも嘘があったし(私は馬しか愛せない人間です)、三人の元夫たちに訪れる“新しい恋の兆し”にも、それぞれもれなく“嘘”がついてまわっている。1人目は、親友に隠れてその親友の恋人を部屋に招いているという嘘をついているし、2人目は、世間をだますために偽装恋人の相手をしてほしいと相談されているし、3人目は、“パワハラを受けて辞めさせられた会社を訴えたい”という女の子の発言がそもそも嘘だった疑惑がかかる。
“嘘”が導いた恋。“嘘”がなければ始まらなかった恋。

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大豆田とわ子はというと、彼女はいろんな“本音”を飲み込んで、結果的に“嘘”をつき続けて暮らしている。
説明するのがめんどくさいからと離婚したことを報告しないでやりすごしたり、ひとりの建築家としては斬新なデザインにときめいているのに会社の存続のため改定案の提案を試みたり、偉い人との会食は疲れるけど元気そうに演じていたり。「あんたの先祖どうかしてるな」と思っても口にはしなかったり。

うそだったのに、本当にファッションカメラマンになったんだもん。
すごい すごいことだよ。

大豆田とわ子はあこがれている。
“嘘”を “ほんとう”のことにできるなんて。
自分にはできる気がしないなと思ってしまう。

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大豆田とわ子にとっては、“嘘”は、どこまでいっても“嘘”なのだろう、現状のところ。自分の本心まで騙せるほど器用ではない。
そういえばこのドラマには、ときどき(どこの誰だかわからない)“天の声のよう”な早口のナレーションが突然割り込んでくるシーンがある(声は伊藤沙莉)。たとえば今回でいうと『ラップの切れ目がわからない大豆田とわ子。ラジオ体操が今日もみんなと全然あわない。人間不信になるくらい合わない』とか語られるセリフ。
あのナレーションの正体はもしかすると、大豆田とわ子自身の“口には出せない心の声のようなもの”なのかもしれない。
そう考えみるとあの声は“日記”だ。日々を綴るような語り口だし、それに日記という存在は誰にとっても一番の本音の独白場所だし。
たくさんの“心の中でだけつぶやく声”が大豆田とわ子の中にはあふれているのである。

◆◇

そんなとき、「抱え込まないでさ、こぼしていこうよ」と鹿太郎は励ましてくれる。

やってられないなってときはあるよ。
そういう時にさ、我慢することないんだよ。
ひとりで乗り越えることなんてないんだよ。
愚痴、こぼしていこうよ。
泣き言、言っていこうよ。

鹿太郎にのせられて、深夜のふたりきりの会社で、大豆田とわ子は日頃の愚痴を口からこぼしてみる。「みんな勝手なこと言いやがって」と。
そうすると少し気が晴れる。鹿太郎が聞いてくれるだけでも私の味方がいるとほっとする。それはとても大切なことだ。

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でも、根本的な問題はそれだけでは解決しないことも大豆田とわ子は気づいている。明日になればまた嘘をつく。
でも、嘘をつかなければ始まらなかった恋もある。嘘はよくないことだが、一概に良くないことだけだとも言い切れないのかもしれない。良い方向へと導いてくれる嘘もあれば、悪い方向へ導いてしまう嘘もある。どちらもある。

社会には嘘があふれている。
たくさんの“嘘”とどう付き合いながら社会を生きていくか。大豆田とわ子の人生をふりかえりながら、そのことを学ぶドラマである。

(おわり)
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