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乃木藩、奔る~舞い散る羽根~

この物語フィクションです


粕盛山かすもりやまの西にある双崎山ふたさきやまはその名の通り二つの峰が連なるようにできた、長い稜線が特徴の山だった。古くは寺があったようなのだが、廃寺になっており、その跡に異国から来た宣教師が小さな教会を作っていた。
ハリウスというその男は陽気な人柄で民に親しまれ、見目にも優れていたことから、腹をすかせた男のために近所の女子衆が寄ってくる有様だった。
双崎山とその一円を治める吉田の家にとっても頭を悩ませる厄介者ではあったのだが、家を継いだ綾乃が真夏に近かったことから、その意を汲んで異教にも寛容な扱いをするようになり、軋轢は自然となくなっていった。
そんな折、当主の座を降りた飛鳥は自分が呼び寄せたともいえるその異教に興味を持ち双崎山を訪れていた。
岩本蓮加は飛鳥の供である。彼女は藩でも屈指の名家の出で、飛鳥が当主の時は小姓として彼女を支えていた。本来はもう少し出世してもいいものだが、蓮加自身があまりそういったことに興味がなく、飛鳥が出歩くときは身辺の警護も兼ねて供をしていた。
「で、どうして綾乃がいんのよ」
「あら、人数が多い方が楽しいですよ」
「楽しいものじゃないでしょ」
飛鳥と綾乃のやり取りを蓮加はけらけら笑って聞いていた。
綾乃の話では自分も異教を受け入れることでこの辺りの住民の恐怖心を失くそうとしたということだった。
「それで、クリスティー」
「はい、かわいいお名前だと思うんですけれど」
綾乃にはどこか突拍子もないところがあると思っていたが、異教の宣教師から名前を貰っているとは思わなかった。仏教にも法名や戒名があるのと同じと思えば納得できないでもなかったが、綾乃の穏やかな見た目とその腹の決め方はずいぶん隔たりがあるものだと蓮加は思った。
「あ、ハリウスさん、こんばんは。今日は飛鳥様をお連れしました」
「ドウモ、シスター飛鳥。今日ハ、オ会イデキテ嬉シイデス」
「シ、シスター?」
「生きている人は皆、兄弟姉妹だというのがこの教えです」
ハリウスの言葉に飛鳥と蓮加が戸惑っていると奥からもう一人現れた。深い黒の大きな瞳に揺れるたびに音が出そうな長いまつげが印象的な女性だった。黒と白の宗教服が彼女の愛らしさと清廉さを際立てている。
「申し遅れました。ハリウス様のおそばに仕えております、池田テレサと申します。お見知りおきくださいませ」
そう言って恭しくお辞儀をする。テレサというのがこの教えでの名前だろう。ハリウスと共に彼女は皆を教会の中へと導いていった。
「はぁ、綺麗な絵」
蓮加は思わず声に出して唸ってしまった。扉を開けると小さな教会に似合わぬ巨大な絵が目に飛び込んできた。テレサが説明するには神の使いらしい。豊満な女性が白い羽衣に身を包み鎮座している。これだけでも、救いを必要とする者には何か安心を与える一助になるのかもしれない。
「コレハ、テレササンガ描イタモノデス」
ハリウスが紹介すると、テレサが照れたように下を向いた。これだけの作品を仕上げるのには大変な労力だけでなく深い異国の知識も必要なのかもしれない。蓮加はテレサがただ美しいだけの人ではないと感心した。
「神ヨ、我ラヲ救イ…」
儀式の時間は神聖な雰囲気の中で行われた。何事かをハリウスが読み上げ、宗教の歌を歌い、神に祈りを捧げる。もちろん何を話しているのか飛鳥にも蓮加にも分からないので、三人が行う儀式をただ見守るしかないのだが、この国で見る、神仏に対する祈りとあまり差はないのだと蓮加は思った。
「海の向こうの人たちも悩むことは同じね。人は一人じゃ生きられないから、こうやって神様にもすがりたくなる」
「私もそう思います。みんな誰かの助けが必要なんだって」
飛鳥も同じようなことを考えていたことに蓮加は少し嬉しくなった。普段から飛鳥と同じようなことを考えつけるように、蓮加は身につけていた。君臣一体となっていれば、いろいろと手の届くことも多いのだ。
「何か焦げ臭くないですか?」
ふと綾乃がつぶやいた。そう言えばどこかしら煙たくもある。
背後の扉が勢いよく開いた。蓮加と同じく飛鳥の小姓を務めていた阪口珠美がそこにいた。戦闘の痕がそこここに見えた。
珠美は息を切らしながら叫んだ。
「早く、逃げて下さい」

綾乃は珠美の背後から影が忍び寄ってくるのを確認した。
「珠美、危ない」
声を出すと同時に背後から翁の面の男が斬りかかってきた。珠美は前転してそれを躱し、すれ違うようにして蓮加が帯刀を一閃するや男を斬り捨てた。
「綾乃はそのお二人を守って、飛鳥様は私たちが守る」
蓮加が扉の周囲を警戒する。どこかで剣戟けんげきの触れ合う音が聞こえる。
「みんなが戦ってくれてる」
藩主の護衛の衆を珠美が率いており、それが珠衆たましゅうと呼ばれていた。珠美がみんなというのはその人たちのことだろう。珠美自身も当然腕が立つ。それがここまで立ち入られるとは相当な凶刃と言えた。
「あとここに火矢が撃ち込まれている、早く逃げないと」
珠美が刀を構え直して告げる。先ほどの焦げ臭さはそれだったのかと綾乃は妙な納得をした。
ハリウスとテレサは祭壇の近くで震えていた。無理もないだろう。
「私がお二人をお守りします、抜け出しましょう」
綾乃は刀を握った。真夏からは刀を抜くのは最後の手段と言われていた。それを言われてからすぐには抜けないように組み紐できつく結んである。武士としてどうなのかという冷ややかな目もあったが、綾乃は気にしなかった。
それを外した。仲間を、大切な人たちを守るためなら、真夏も許してくれるはずだ。ためらいは必要なかった。
二人を連れ、あけ放たれた扉に近づく。見れば飛鳥も刀を抜いていた。
「飛鳥様、そのような」
「大丈夫、自分の身は自分で守る」
飛鳥は自分を狙った襲撃だと思っているようだった。確かに異教に関する攻撃にしては手が込みすぎている。
蓮加と珠美はそれぞれ刺客と刃を交えている。刺客の顔には蓮加が倒した男と同じ翁の面があり、薄気味悪さを増していた。他の珠衆もいるはずだが、森の影に隠れて見えづらい。
辺りを窺っていると後ろから気配がした。振り返りざま抜刀する。キンという音とともに鍔迫り合いになった。目の前には翁の面。男の方が力が強い。押し切られそうになった。ふと、男の力が弱まる。男が倒れると飛鳥が刀を振り下ろしていた。
「ありがとうございます」
「礼は後、まだ来る」
言葉の通り、また一人翁の面が駆け寄ってくる。飛鳥に近づけてはいけないが、教会の中にいる二人のことにも気を配らなければならない。このままでは火を消す前に逃がすことができない。
相手との間合いが詰まる。すれ違いざま相手を斬り上げた。敵がよろめきながら茂みに倒れていく。綾乃は肩で息をしていた。とても気分のいいものではない。一人を斬ったことで、大きな石でも載せられたように、身体が重く感じられた。
「お二人とも、こちらへ」
辺りを警戒しながら、ハリウスとテレサを導いていく。二人は翁の骸を見ないように恐る恐る外へ出てきた。敵がもっと迫ってくるかと思われたが、何人かが斬り倒され、襲撃の失敗を悟ったのか、退散していく。
「ふう、助かったよ、珠美」
「いえ、美波の命でついてきただけです」
「余計な、いや今日は助かったってところか」
美波は、飛鳥の身を案じたのだろう。珠美も飛鳥の邪魔にならないように見えないようについてきたようで、綾乃は珠美が現れるまで気づかなかった。
ハリウスが井戸から水を汲んで、火矢にかけている。しばらく燃えていたようだが、大きな延焼は防げたようだ。テレサもそれを手伝っている。
突然、森の中に轟音が響いた。目の前の飛鳥の身体が浮き上がり、地面へと投げ出される。時がゆっくりと流れるように、綾乃はそれを見ていた。
「飛鳥様」
飛鳥の肩口から血が流れ出ている。蓮加が持っていた手拭いでそれを押さえ、茂みへと隠そうとした。すると、またも銃声が轟いた。
飛鳥らをかばおうとした珠衆の一人が倒れた。
ごん
「早よお、隠れられよ」
権と呼ばれた珠衆の男が口から血を流して息も絶え絶えに言う。一目、もう助からないものと思えた。
綾乃はこの惨状を見て固まってしまっているハリウスらの手を引き茂みに隠れた。蓮加たちも飛鳥を連れて森に紛れたようだ。
銃声は止んだが、翁の面の男たちが引き返してくるのが見える。
「綾乃様、私たちは」
「静かに、大丈夫だから見てて」
不安を隠し切れないテレサに気丈に答えたつもりだが、解決の術は見つかっていない。綾乃自身も手の震えを抑えきれていなかった。
日が傾きつつある。
冬のものだけではない寒さが綾乃の全身を覆っていた。

遥香は藁で馬を撫でていた。
巡検として馬とともに村々を回った後は必ずこうしている。
「黄昏」は栗毛の気性の優しい馬だったが、こうして自ら面倒を見てやらねば、へそを曲げてしまう。馬は誰よりも正直だった。
同じようにして愛馬を撫でているのは柴田柚菜だった。柚菜はさくらの馬廻りとして様々な馬の面倒を見ているが、愛馬の「海鳥」だけは自分で面倒を見ると決めているようだった。「海鳥」もそれを誇らしく思っているようで、基本的に柚菜以外に自分を触るものがいれば体を振って嫌がっていた。そんな「海鳥」が遥香だけには体を触ることはおろか背に乗せることも許していた。柚菜が遥香を慕っていることをどこかで感じ取っているのかもしれない。やはり馬は正直だった。
夕日を背に二人して無言で撫でていた。こういう静寂は嫌いではなかった。
ふと視界に、人影が飛び込んできた。焦りを抑えきれずに馬を繋ぐのにも苦労している。
遥香は見知った人影に声をかけてみた。
「珠美さん?」
「遥香ちゃん、これ、お願い」
振り返ると蒼白い顔がそこにあった。珠美には珍しく感情のない目がこちらを向いている。羽織には血しぶきと思われる黒い染みがあった。
遥香は声も出せず、手綱を渡され駆けていく珠美の後ろ姿を見送った。
「珠美さん、どうしたの?」
「何かあったんだ、何かが」
柚菜の声に、遥香は自らを取り戻した。手綱を放り投げて珠美の跡を追う。後ろで柚菜が何かを叫んでいるが気にはしていられなかった。
珠美はさくらのいる御殿ごてんに向かっているのだろう。馬場から御殿までは階段が続いている。静寂の中をひたすらに走った。いや、その静寂は遥香の焦燥が生み出したものかもしれない。周りの音を気にする余裕はなかった。
階段を上り切って膝に手をつき大きく息をした。
御殿の縁側にはさくらと美波がいた。珠美もそこにいる。顔に血の気はまだ戻っていないようだった。
「遥香、今、誰かをやろうと思っていた」
「はい。珠美さんにお会いして何かあったんだろうと思ってきました」
「飛鳥さんが」
さくらはそこまでいってもう言葉にならなかった。目から涙が一筋こぼれていくのが見えた。遥香は何かを覚悟した。身体の真ん中に力を込めた。
「珠美、飛鳥様が銃によって撃たれたことは間違いないな?」
「はい」
時が止まったようだった。覚悟した「何か」が現実になった。飛鳥の顔が脳裏に浮かんだ。藩主を退く時、さくらのこと、よろしく頼んだよ、そういって微笑んでくれた優しい顔だった。
「飛鳥様は今どこにいる」
「綾乃の、家に、いらっしゃいます」
「息は?」
「されて、います」
「よかった」
遥香は安堵の声を出した。そうでもしなければ、まだ押し寄せてくる身体の震えに抗いようがなかったかもしれない。
「護衛は?」
「助けに、来てくれた、葉月と、綾乃が」
「蓮加も傷を」
「そう」
「分かった、御典医様を向かわせる。珠美、先導しなさい」
美波に言われても珠美は身体を動かさなかった。先ほどの言葉もずっと途切れ途切れで、今にも感情があふれそうだった。
「珠美、顔を上げなさい」
美波が一喝した。それでも珠美は動かなかった。
「いい加減にしろ」
肩を持って美波が珠美を無理に起こした。そういう美波も目の周りを真っ赤にしている。
「守れなかった、飛鳥様のこと、美波から、言われてたのに」
「そんなこと、今はいい」
美波は珠美の身体をきつく抱きしめた。
「珠美が無事で、よかった」
美波がつぶやく。二人は奉行所からの同輩で、思うことはこちらが考える以上にあるのだろう。ふと、珠美の身体がゆっくりと動き始める。枷が外れたようだった。二人の涙は止めようがなかった。遥香は自分の頬にも涙が伝っているのに気づいた。
さくらが珠美に近づいて、すがるように話し始めた。
「珠美さん、飛鳥様をお願いします」
「分かりました。御典医てんい様を迎えに行きます」
珠美の声は上ずっていたが、そこには意志を感じた。
「飛鳥様の元に着いたら、守りは任せる。賊には指一本触れさせるな」
「御当主は私たちがお守りします」
飛鳥が狙われるとなればさくらの身も危うい。遥香はそう考えた。
「あ、そういえば」
「珠美、まだ何かあるのか」
「飛鳥様が、『さくらと、真夏のことを頼む』って、そう言われて」
背筋に寒いものが走った。守るべき人がもう一人いた。
「真夏様は今日、非番だ。お出かけなさると聞いている」
「私の守りより、真夏さんをどうか助けて下さい」
さくらは頭を下げて頼み込む。そんな弱った姿は見ていられなかった。優しくも強いものを内に抱えたさくらが遥香は好きだった。自分がさくらの前を覆う闇を祓わねばならぬとそう思った。
「自分が行きます。真夏様をお助けし、こちらへお連れします」
「私からも頼む。無事にお連れしてくれ」
さくらと美波から馬廻衆うままわりしゅうの出動の許可を得ると、遥香は元来た道を走り始めた。御殿のある本丸から吹き下ろす風が強い。
もっと吹いて、背中を押してくれ。遥香の焦燥は止まなかった。


ここまで読んでいただきありがとうございました。
ひと月以上開いてしまいました。
もう少し早いペースでできればなぁと思ってます。

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