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「マンディンゴ」を観て

信頼している友人である渋谷君のレコメンドにより、映画「マンディンゴ」を新宿武蔵野館で4/5月曜の昼間に観ました。感想を書くには単純な映画ではなく、色んな視点や層での理解が必要になるかな~とか思ってるのですが、まあとりあえず筆をとりはじめています。詳細はググっていただければわかるのですが、南北戦争の起こる20年前の1840年ごろのアメリカ南部の黒人奴隷"牧場"を中心に繰り広げられる黒人奴隷の実態と保守的な文化を描いた作品です。

この映画を観るにあたって、前日の夜にオマージュ元になった「風とともに去りぬ」をアマプラで観ました。3時間40分耐えました。長すぎるだろバカが。風と~はまあ普通に観ておく価値がある名作だな、内容は南部を美化しすぎてるな、というぐらいの感想です。「マンディンゴ」を観るためには知っておくと楽しめる部分が大いにありますが、別に観てなくてもいいかなと個人的には思いました。

以下感想です。

まずこの映画は、単純な黒人奴隷の差別のリアルを描いた作品でそのエグさが云々、というだけで評価するにはあまりに勿体ない、それぐらい要素が多く、かつ面白い映画です。自分は映画に全然明るくないのですが、それでもいろんなことを考えながら観ることができたし、終わった後も新宿をあてもなくさまようぐらいには解釈を重ねました。いくつかの映画レビューサイトを読んでも上記のことにだけ言及している感想が多くめっちゃもったいね~こいつらこんなに主張強く喋りたがるぐらい映画のこと好きなくせに~と思ってしまいます。テーマとしては色々あると思いますが、"南部の保守的な文化"を全体の大きなテーマとしつつ、その文化の一要素として黒人奴隷を描いており、それと並列かそれ以上の大きさで家父長制のヤバさについて伝えている映画だと思いました。「マンディンゴ」というのは映画では説明されていませんが大体「肉体的に優秀な遺伝子を持つ黒人」という意味だと理解できます。登場してくる白人がアウトレイジ並みに全員悪人なのですが、彼らは黒人を"交配"させて優秀なマンディンゴのDNAをつなげていこうとします。血統書もあります。馬みたいな扱いをしているのですが、南部の文化を描く中で絶対に"白人"の"男"を生まなきゃいけなかったり、女は結婚するまで処女じゃなきゃいけなかったり、そういう家文化に登場人物全員がとらわれています。いかに家の稼業を守り抜くか、男の血統を維持するか、みたいな感じで、黒人の血を大事にしている白人たちの方がよっぽど血で雁字搦めになっている、というのが映画全体を通したユーモアとして存在しています。自分は九州の出身ですが母親が九州出身じゃないです。父親の実家に行くと料理の支度はすべてばあちゃんとか伯母さんがやってくれますが、母親は一回も台所に立ったことがなくずっと寝ており、ごはんの時間だけ起きてきて小皿に自分のぶんの料理を盛って食卓を囲まずこたつに入ってテレビを観ているような人間です。母親のそういう姿をみてきたり、「九州の制度っちゃなあ田舎臭いわい」と言われてきたので激ヤバな家制度に侵されることはなかったのですが、周りとかそのさらに知り合いの話をきくとやっぱ九州ってやべえなと思います。アメリカを日本に置き換えるとしたら確実に九州は南部になると思います。そういう家文化を面白がる俺にとっては、この映画で描かれた家父長制のエグさをテーマとして捉えざるを得ません。あくまでもスクリーンを観る一つの眼として。風と~の対比だとすれば、女性の自立・強い女性像みたいなのを1939年という立場から描いたのに対して「いやそんなわけねえよこんなに保守的で強い家制度あったんだぜ女はガチガチよ」という批判を込めているんだと思います。

この映画のすごいところは黒人奴隷差別とか歴史の実態云々以上に、とにかく興奮するシーンが多く、エンタメとしての完成度が非常に高いところです。何も考えず、ただ絵として、一次的に理解できるものとしてドキドキする場面がほかの映画と比べても圧倒的に多く、かつ強いです。その中でも特に、印象的なシーンが「格闘」と「セックス」です。それらは「維持」する「血統」という映画のテーマに対応しているかなとか思います。

前者は全体の中でも3分ぐらいのシーンですが、血もダラダラ流れるし、声出るぐらい目つぶしするし、太もものあたりの皮膚剥がれてるしで、ひえ~っと思いつつも、「どっちが勝つんだ!!!!」みたいな興奮に近いものが内側から沸き上がり、単純な"強さ"という人が渇望するものを描き出してくれています。汗だらだらの黒い肉体のぶつかり合いを、カメラはずっと近くで撮っているのですが、近いからこそ見えにくい角度での接点とかもあり、本当に近くで、観客としてみているようなリアリティーがあります。映像技法とかを全く知らないのですが、そういう要素があるのかなとかも思ったりします。

後者の「セックス」は映画全体のテーマの「血」の部分とリンクしています。この映画ずっとセックスのことばっか話してます。今日は初めて黒人の女とヤるんだとか、私は未亡人だから少しぐらい黒人のイチモツのデカさ気にしたっていいじゃないとか、ずーっとそんな感じです。ただ、ずっとその行為自体を描くことはなく、単に行為に誘い出すまでの口説きと終わった後のピロートークを中心として、セックス前後の会話がストーリーテラーの役割を演じ続けていくのですが、最後にあたる嫁さんと黒人奴隷のセックスのみ、誘い出すところから射精(この奴隷がまた早漏なのが生き物っぽくて良い)まで、唯一描写しています。嫁さんが奴隷にキスを迫るところ、「しちゃいけない相手に誘われてるけどしたい」みたいな葛藤で唇を近づけたり離したりする黒人側の動きがリアルすぎてめっちゃ引き込まれます。何度か重ねて我慢できなくなった黒人がオラーっとベッドに押し倒すところでこちらも「来たぜおい!!!」となり、そのままフィニッシュまで官能性と野性を両立させた素晴らしいカットが続きます。そしてこのセックスが起承転結の転となり、主人公の家が破滅に向かいます。

「強さ」と「性欲」という人間の欲求の根幹に訴えるシーンのパワーにこそ、興奮している観客自身に対してもしょせん生き物であることを突き付けているような、そんな諧謔性があるのではと考えるとこの映画本当に最強だなと思います。この大きなテーマだけでなく、単純に楽しめるエンタメ要素は数多くあり、特に親父が最高に最悪な人間で、リウマチを治す迷信を信じて常に奴隷の子どもを踏んでいたり、息子の白人と奴隷の黒人の間で生まれた赤ちゃんを「どれも黒い虫にしか見えんな笑」と一蹴したり、とにかくヤバいです。日常生活で立場を捨てる覚悟で使いたくなるヤバワードが連発されます。とにかくそういう目や耳だけで楽しめる要素が多いだけでも、この映画のエンタメとしての完成度の高さはすごいです。

個人的には2年前に一人旅したニューオーリンズのフレンチクオーターの景色が映画のニューオーリンズ観光のシーンでも同じ街並みで描かれているのに感動しました。今はすべてジャズバーやライブハウスになっているあの文化的に掲揚されている街が、当時は嫌味な繁栄の象徴だったと思うとたまんないです。皆さんもぜひ聖地巡礼を。

不明点としては主人公の家が経営していたのは奴隷が綿花などを栽培する奴隷農場なのか、奴隷自体を繁殖させて取引するためだけの奴隷農場なのか、そこがわかりかねました。特に産業を描いているシーンはなかったように思うのですが、それもまた稼業など全然関係ないみたいな描き方なのか、映画初心者すぎて自分がなんもわかってないのか。あと主人公が足の病気を患ってるっていうのが「自分も欠陥的人間だ」ということ以外の何か意味があるか、そこが読み取れませんでした。2階に昇る際のわかりやすい足音以外の意味があれば教えてほしいです。

とにかく歴史的な見方も、カメラの撮り方などの技術的な見方も、単なるエンタメとしての見方も、色んな楽しみ方、切り取り方がある多面的で多層的な映画だと思います。語り合いたすぎるので皆さん早く観てください。まだ全国的に上映されてないのですが、最速でみれる東京に住んでてよかったなと思うし、平日は13:05しかやってないのに全く気にせずチケットをとれる休職の身分でもよかったなと思うし、自尊心高まりました。楽しすぎて紹介してくれた渋谷君とその日の夜に神楽坂で語り合い、そのあと渋谷家で語り合い、気づけば終電を逃し朝帰りしました。マンディンゴ、最高~!


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