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背浮きのこつ

   その夏は例年にないほどの猛暑で、容赦なく強い日差しがわたしたちを連日あぶった。わたしは小学校4年生で、髪は男子のように短くしていた。茶色く癖のある髪は自然とゆるくカールして、細面のわたしの顔を優しく縁取った。大人からショートヘアが似合うわね、と褒められると、はずかしくて俯(うつむ)いていたが、何より洗いっぱなしで楽なのが気に入っていた。養母をことさらわずらわせなくて済むから。
 夏ごとに友達と競うように肌を焼いた。膨らみはじめた胸はまだ小さい。思い返すと、その夏までわたしの体は自由だった。わたしの意識から自由だった。姿勢は美しく動きは滑(なめ)らかだった。猫背の人間が鏡を見る前のようだった。
 7月。気温35度を初めて超えたその日、消毒の匂いの強い学校のプールで、わたしたちは「背浮き」を習うことになった。背浮きというのは、仰向けになってただ水の上に浮かぶこと。溺れそうになった時など役立つらしい。
 おそろいの紺の水着をつけ、網のような素材の帽子をかぶり、額(ひたい)の上にそれぞれの名前が大きく書かれた札をつけていた。わたしの額には「中村」と書かれている。油性のペンの字は、どの子のものも少しにじんでいた。ピーと強くホイッスルが鳴ると、泳げる子も泳げない子もプール際に一列に並んで、足からそっと水の中に入る。冷たい。気持ちいい。歓声。水しぶき。
 体育の先生は若い女の先生で、名前はもう忘れてしまった。痩せて背が小さく声が大きかった。競泳用の赤い水着の上に、しわしわの薄いパーカーを羽織っていた。水泳の時は胸に銀色のホイッスルをぶら下げている。
 先生はスタートサイドの3コースに立って叫んだ。みんな。間隔をあけてください。もっと。もっとお。次に右手でプールサイドにつかまって体を仰向けにしてください。ゆっくり。落ち着いて。そうそう。体が浮いた人は、そっと手を離してください。
 翌日の放課後、残されたのはわずかに5人。 
 どの教科でも、わたしはできる子のグループに入った。特に体育の授業は、得意なだけじゃなく大好きだった。先生は珍しく居残り組に入ったわたしを意外そうに、でもなんだか楽しそうに見て笑った。
 緩(ゆる)みなさい。もっとお。
 いくら先生にそう言われても、私は力んだ。足が沈んだり、頭が沈んだりした。クロールも平泳ぎもなんとか25メートル泳げるのは、がむしゃらに手と足を動かしているかららしい。ずいぶん何度も挑戦したが、ただ仰向けに浮くことができない。
 力を抜いて。何も考えないで。ほらあ。
 無理。仰向けに挑戦するたびに青空が視界いっぱいにひろがる。そして次の瞬間には頭が沈んで目の前を水におおわれる。バランスをくずして立ち上がったとたん、息を止めていたはずなのに鼻から入った水にむせてしまう。苦手なんだ。わたしは脱力することが苦手なんだ。
 その日初めて自分がいつも力んでいたことに気が付いた。それを生きる頼りにしていたのかも。血のつながらない父と母に何不自由なく育てられて。何不自由なく―だれがわたしにそんな言葉を教えたのだろう。施設の先生があやしい。呪文のようにその言葉がわたしを縛っていた。あの時、真っ青な夏空を見上げながら不自由な自分を突然思い知ったのだ。映画のおきまりのシーンのように、飛行機が高い空を横切っていった。そしてあの日、濡れた髪で帰宅したわたしに初潮があった。

 暗い地下室に繋がれている。見知らぬ双子の少女の持つ口の細いジョウロから、わたしの両耳に静かに水が注がれる。治療なのよ。我慢して。ジャバジャバ、ゴボゴボ、という音がうるさい。大きな水音のおかげでわたしは突然不快な夢から覚める。現実の世界では視界いっぱいの夏空。わたしは水に浮いている。耳元で水音がするのは、小学生の頃のように仰向けになって、わたしが背浮きの状態だからだ。ただあのころと違って、大人のわたしは脱力に成功しているらしい。体はまっすぐ楽に伸びて、充分な浮力を得ている。薄い布が体に張り付いている。ワンピースかもしれない。それとも薄地の浴衣か。それにしても背を包む水の半端なぬるさ。それに比べて水面に出ている顔やお腹の一部がひりひりと熱い。
 青空はゆっくりと流れていく。頭の上から足元へと真っ直ぐ目の前を過ぎる。わたしは頭を先にして、川を下っているようだ。左の岸辺から子どもたちの歓声がする。右の岸辺では蝉が声を嗄らしてないている。その声の遠さから、この川がかなり大きな川であることがわかる。
 荒川だろうか。家から一番近いのは荒川だ。荒川の土手を自転車で下ったことがある。あのころ、まだ息子は本当に小さかった。ハンドルにつける小さな子供用の椅子に座って、二人で歌いながら自転車を漕いだ。小さな後頭部を眺めていた。子ども独特の匂いがした。わたしの歌声はどうしても半音高くなった。
 今、真夏の午後らしい音を聞きながら、わたしは橋の下を何度も通過する。束の間の暗さと冷たさが優しい。荒川ならたくさん橋が架かっていたはず。もう幾つ橋を通過したのか。数えるのは忘れてしまった。
 幾つ目かの橋の欄干に身を預けて残していく息子が笑って見下ろしていた、と思う。あの子も今年小学4年生になった。父親が誰か明かせないあの子を身ごもったときに、養父母と疎遠になったことを後悔する。わたしにはそれほど近しい友人もいない。このまま海にまで流されてしまったら、あの子のために必死で貯めてきたお金はきちんとあの子にわたるのだろうか。
 あの子が小さい頃は寝ている間に、夜の荷物の集荷場で働いた。それから朝の清掃のアルバイト。アル中だった実母みたいになるのが怖くてわたしはお酒が飲めない。だからスナックやクラブでは働けなかった。それでもそれなりの貯金はしてきた。今は朝と息子が学校に行っている間に清掃の仕事をしている。
 大人になってから実母のことを思い出すと、胸が苦しい。お酒に溺れるしかなかった人生の重さを想像して泣きたくなる。人生のはじめに苦しみを見せられたわたしは幸運だった。想像で実母をかばうことができるわたしは幸運だ。
 息子の夏休みの宿題の本は戦争の話。空襲で逃げる母子の描写が子どもの目線から描かれている。どうしてこの男の子は泣いちゃいけないって思ったの。空襲で町中が火事で逃げなきゃいけない時だから。本当はね、子どもは大人に甘えていいんだけど、この時は大変なときだからお母さんに甘えちゃいけないって思ったんじゃないかな。こわいけど、しっかりしなきゃいけないって。息子は黙っていた。それから熱心に続きを読んで本を抱いたまま寝てしまった。あの宿題は最後まできちんとできただろうか。
 また一つ橋の下を通過した。カモメの鳴き交わす声が聞こえた。海が近いのかもしれない。いまさら何も祈らず、ただゆるんで、江戸時代から死体が流れ着いたという瀬に捕まらないといいな、とぼんやり考えてみる。
                     了

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