乗り越える、の意味
こんにちは、とりコレクターです。
今回は、「乗り越える」について。
「神様は、乗り越えられない試練は与えない」
っていう言葉、聞いたことありますか?
わたしはこれを直接言われたことがあります。励ましの言葉として。
そして、この呪縛にしばらく苦しみました。
なぜなら、「神様の期待に応えられなかった」と思ったから。
あれはわたしのメンタルがズタボロになる前後のこと。
それまでの人生でもまぁまぁ冒険してきたけど、とりわけかなり無謀な挑戦をしていました。(とりだけに)
反対されたりもしたけど、困難だらけだけど、きっとどうにかなる。というかする。
まだ「スゴい人」「聖人君子」を目指していたころ。
サクセスストーリーを描くべく頑張っていました。
が、すり減る体力と気力。募る焦り。陰るやる気。
もう、ムリ。
いろんなものから一刻も早く逃れるべく、心身を守るべく、戦線離脱することにしました。
これで良かった。心身死なずに済んだ。
と思う一方、
「負けた…」
「乗り越えられなかった…」
「周りや、自分や、神様の期待に応えられなかった…」
減点がメーター振り切って急降下。
株価だったら大暴落ですよ。大恐慌。
そうやって苦しみつつ、ちょっとずつ回復して、あるとき思ったこと。
「そっか、わたしは結局『乗り越えた』のかもしれない」
それまで、私は
「乗り越える = 成功する」
だと考えていました。
だから、問題を解決して、「成功」にたどり着けなかったわたしは、乗り越えられなかったんだ、と。
でも思ったのです。
こうしてわたしが生き延びたこと。
あの経験から色々学んで、こうしてゆる化できたこと。
それって、「乗り越えた」って思っていいんじゃないか。
そして究極、もしわたしが人生から戦線離脱してしまっていたとしても、神様は「しょーがないね、またチャンスあげるよ」と言ってくれたのではないか。
「乗り越える」の形って、1つじゃないかもしれない。
というお話でした~