見出し画像

感謝を理解する

noteのお題に投稿してみようかな。なんて思って調べていたら「#部活の思い出」というものがあった。
どんな思い出があったかな~と思い返してみて、あまり気持ちの良い思い出はなかったものの、1つ部活を通して自分の生き方で大事にしていることを学んだことを思い出した。

それなら書けるかな。と思い、文章をつづってみる。

小学校の時に学年で1番足の速かった私は、すごくモテた。
俗にいう小学生は足が速い人がモテるという通説に見事にはまったのだ。
運動会ではもちろんアンカーを担当したし、かけっこはだいたい1位。
おかげ様でいろんな子からラブレターをもらった。
小学4年生にして女子にモテる方法とか考えるようになっちゃうおませさんだった。

中学時代にあがってからはその自信をもって、陸上部に入部した。
もちろん誰かに負けるなんてことは想像していなかった。

しかし、思春期の成長とは恐ろしいもので、周りの仲間がどんどんと速くなっていったのである。
徐々に追いつかれ、そして追い抜かれていく。

私は負けずに頑張ろう!と思うのではなく、違うことを頑張っているからこの勝負では勝てなかっただけだ。という誰も意識していないにも関わらず自分自身に言い訳をして、努力することを怠った。

そう、私は本気になるということをしなかったのだ。

ことあるごとに仮病を使い、適当に練習をサボっていた。
理由は簡単、失敗した姿や負ける姿を見られたくなかったからである。

この根底にしみついた情けないスタンスは今も変わらずに自分の中にあり、色々挑戦しようと思う自分のブレーキになっているのは承知済みだ。

父親にはそれを見透かされ、「ヘタレ」と表現をされたときに的確な表現だな~と馬鹿にされているにも関わらず妙に納得したことを覚えている。

こんな情けない負け犬中学を過ごした私は高校では部活に入らずに、アルバイトをしながら美人な彼女を捕まえて放課後ランデブーを楽しもうと息巻いていた。

しかし、結果として私は高校の3年間を陸上部で過ごすことになる。

理由は2つあり、1つ目は入学したての頃、当時3年生だった先輩2人が突然クラスにきて私に陸上部に入ってほしいと言ってくれたことだった。
新入生でまだ右も左もわからない4月に突然、3年生がわざわざ教室に来てくれてなおかつ、一緒に陸上しよう!と声をかけてくれたことは妙な幸福感があった。これはおそらく承認欲求を満たされた瞬間だったと思う。

今まで中学で活躍できなかった自分を必要としてくれる人たちがいる。
しかもこの先輩2人がイケメンなのよ。そりゃもうイケメン。
今ほとんど関わりはないが、たまにSNSとかで見ると相変わらずイケメンだなと思うぐらいのイケメンが、自分を必要としてくれている。
これが浅はかな自分のハイスクールストーリーを狂わせた1つの要因である。

もう1つがその先輩の誘いにつられ、体験入部に行ったとき、陸上部の顧問の先生から「お前はいつになったら入部届を持ってくるんや」とさらっと言われたことである。
これは今思えば完全に先生の作戦だったなと思うが、当時の自分は「もう自分はメンバーの1人に入れてもらえているんだ!嬉しい!」とバカみたいにテンションをあげてしまい、「明日持ってきます!」と言ってしまったのだった。

この2つの理由により、私は高校時代美人な彼女と放課後ランデブーする訳ではなく、スポーツという爽やかな青春を過ごすことになってしまった。

しかし、そこから毎日走ってばかりの生活を過ごしていたが、相変わらず本気になることはなく、自分の性格を変えることはできなかった。

なにかしらいい感じの仮病を使い、しんどい練習は避けながら適当に練習を過ごしてきたように思う。

なので、この種目で絶対に全国にいくぞ!とか、自己ベストを更新するぞ!のようなやる気はなく、ほどほどに、そりゃもうほどほどに過ごしていた。
特に最後まで部活をやりきる理由もなかったのである。

なので定期的に辞めたいと思っていたし、今でもあの時陸上部に入らずにアルバイトしてたら変わったかな~という考えはよぎったりしてしまう。

でもこの部活を3年間やって、途中で辞めずに頑張ってよかったなと思えることが間違いなくある。
それは先生の教えだった。

先生は陸上の技術的な部分の指導以上に、人としての成長を考えてくれる方で、高校生という未熟な自分たちに向き合い、時に怒り、時に褒め、時にビスコをくれる先生だった。

その中でも何よりも徹底して教えてくれたのは「感謝すること」だった。

なんでもやってもらって当たり前じゃない。
練習ができることも練習をする場所があり、指導してくれる先生がいて、それを支えてくれる家族がいるからできるんだということを毎日教え込まれた。

また実際に御礼を言葉にすることも何度も指導された。

例えば、先生が試合のスケジュールをプリントしてくれた時に、私たちはすぐに自分はいつ出場するのか、誰と走るのかばかり気を取られプリントに夢中になってしまていたが、そのたびに先生から「なんでまず御礼の言葉がないんや」と指導されたのだった。

当時は感謝されたがりだな。と真意を理解できなかったが、今になってその指導がいかに大変で、難しいものだったのかと痛感している。

指導する真意を受け手がくみ取るのは先になることが多い。
ほとんどが自分が指導する側や何かを伝える側になったときに感じることが多いと思う。

実際、先生の指導の真意を本当に理解できたのは私は社会人になってからであり、感謝し、それを言葉にすることが仕事を、そして人間関係をいかに円滑にさせるのかを理解することは指導を受けてからずっと先のことだった。

そう思うと先生は、報われることは少ないが教え子の為になるからと、毎日、何度も何度も指導を続けてくれていたのであり、それを思うとそれこそ感謝の気持ちがこみあげてくる。

感謝の気持ちを持っていても、言葉にしなければ意味がない。
言葉にして初めて感謝の気持ちに意味が出てくるということを理解しなさいと、3年間先生に指導をされ続けられたおかげで今、私の口癖は「ありがとう」であり、まだ完璧ではないだろうが、関わる人に御礼を言える人になれたと思っている。

部活動は結果を残すことだけでなく、その活動を通して、精神的にも体力的にも人として成長できるものという視点で捉えることで、ヘタレな私が陸上部に入った意味は間違いなくあったのだと、その経験をプラスに捉えることができている。

全国優勝をした!のような華やかな部活動生活ではなかったが、この部活動があったからこそ、今の自分があり、今の幸せがある。
あの時一緒に陸上をしようと誘ってくれた先輩にも、早く入部届を持ってこいと言ってくれた先生にも、3年間ずっと一緒にやってきた仲間にも、その活動を支えてくれた家族にも、その他関係があった全てに改めて感謝したいと思うし、この想いを書き出すことで改めて感謝の大切さを理解する機会にしてくれたnoteにも感謝の気持ちを伝えたい。

ありがとう。

これからもこの想いを毎日を幸せに生きる軸にしたいと思う。



#部活の思い出

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?