鬱とパニックとメロンソーダフロート

パニック発作に襲われて、自転車の風さえ心を軽くしてくれない。

今日は朝から不調の兆しがくすぶっていて、動悸はするし気だるかったが無理をして外に出た。案の定、冷や汗と胸がズーンと押さえ込まれるような息苦しさと、何が不安かもわからない巨大な不安がのしかかってきて、助けて!と叫びそうだった。あまりに苦しくて希死念慮にも襲われた。これに「パニック発作」という名前があることを知ったのはごく最近だけど、同じ気持ちは何度も何度もあった。それも小さいときからあった。祖父母と買い物に出かけて、買ってほしいものを祖父の買い物かごに入れたと思ったら、知らないおじいさんの買い物かごでびっくり恐怖したとき、この発作があって眠れなかった。そのあたりに始まって、ずっとこの発作とともに生きてきた。

さらにここにきて、予想外の事態である。自転車の整備点検のために自転車屋に来たのだが、点検が終わるのは今から2時間半後になるという!そんな長大な点検があるのだろうか?家から自転車屋までは約4km。とても歩いて帰る気にはなれない。仕方ないので近くのショッピングモールに入り、フードコートでメロンソーダフロートを飲むことになった。

フードコートで二時間半粘るのは辛い。いや、今は家の布団で二時間半過ごすのも同様に辛い。だってやりたいことがなにもないのだ。しいていうなら寝逃げして、この苦しい世から去りたい。Twitterは、スクロールで目が気持ち悪くなる。漫画は読み飽きた。本は読む気力がない。そうこうするうちにスマホは、ネットの速度制限がかかってくる。

あゝ、やりたいことがなにもないってなんて辛いんだろう。こんなとき、草原に寝転がってぼーっと空を眺めたり、海辺を歩いて貝殻集めしたら多少はマシだろうか?それでも希死念慮は追いかけてくるような気がする。この間延びした空虚な時間をどうしていいかわからない。辺りを見回すと、フードコートには、パソコンを開いている人、おしゃべりしている人、黙々と食べている人、ずっとスマホを見ている人などいろんな人がいる。

鬱じゃなかった頃は、時間がなくて困るほどやりたいことが山積みでいつも忙しかった。でも今は、なにをする意欲も消えてしまった。

原始人に「やりたいことが浮かばない」という苦悩はあったんだろうか?人はいつから鬱になったんだろう。猿もストレスで弱るというから、もっとずっと昔の進化の過程なのだろう。生命が危機に晒されるという苦痛は、どの生き物も共有しているはずで、鬱はそういう根源的な恐怖と地続きではないんだろうか。

文章を書いていると少し落ち着く。書くことは癒しだ。飲み干して氷だけになったメロンソーダフロートを、ゆっくり溶ける氷のスピードに合わせてときどきすする。それしかこのフードコートに居座るための免罪符がない。この氷が、2時間半もってくれると良いのだが。

この記事が参加している募集

今日やったこと

今こんな気分

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?