感想というか「同士少女よ、敵を撃て」を読んで考えた、戦時中と現在について

今年は、ここ数年で流行っている本とか、有名な本、名著と呼ばれるものを読もうと思っています。本が好きと言いつつ、あまり知られている本を読んでない事に気づいたので…

「同士少女よ、敵を撃て」も、気になっていた本。図書館に予約して借りられたので、さっそく読みました。
言い方は悪いかもしれませんが、面白い本出した。
戦争とは、「敵」とはいったい何なのか、いろいろ考えさせられました。と思ってたら、推薦文にも同じことが書いてありました。
例によってネタバレしてたらすみません。あと、愚痴っぽくなってしまったので、不快にさせたらすみません。

戦争の話なので、やはり重たい部分はあるのですが、なにより女性目線での話というのが、よりお猛者を感じさせる。「戦争は女の顔をしていない」という本もあったな、と思っていたら、こちらも選評やら推薦文にも同じようなことが書かれていましたね。

女性を兵士として戦場に送ったのはソ連だけだったというのは、知らなかった。兵士以外にも、いろんな女性が出てくる。戦争での様々な女性のそれぞれの立場での行動、自分が生きるための、誰かを生かすための行動。考えさせられるものがありました。
戦時中の女性、という点では映画「この世界の片隅で」も感じるものがたくさんあった。戦場ではない場所で過ごす女性や子どもたちにも時間は流れ、そのような環境でも楽しみ、喜びを求め、食などを工夫したり、遊んだりする。
この本の中では、戦場でも、水を汲み生活する女性や子どもたちが遊んでいるシーンがある。より過酷な環境でも、それが、そこに住む人には当たり前であり、生活し、生きる場所になる。懸命に生きる彼らにも戦争という暴力が入り込んでいく。日常は壊されていく。

主人公もそうだ。まさか、狙撃兵になるとは、微塵も思ってなかっただろう。復讐のため、それぞれの目的のため、同じような境遇の仲間とともに戦場をかける。

程度は違うのだろうが、現代にも通ずるものはあるのかと。
気がつけば、組織の一員となる。例えば、会社員だ。その中で役割を与えられる。配属ガチャなんてのもあるし、リスキリングという体の良い言葉を用いられ、思っていたのと違うことをやらされる。自分が思っていた仕事ができている人はどのくらいいるのだろうか。
生活するにはお金がかかる。働かざるを得ない、と言う人が大半だろう。極端かもしれないが、やるしかない。経営者の意図に従うしかない人がたくさんいるのだ。これは戦争に駆り出されるようなものと言うのは言いすぎだろうか。女性の社会進出が遅れているのも、軍隊的な気がしてしまう。

軍隊の指揮官は、いわば経営者に当たるのだろう。働いていると、いろいろな会社のお偉いさんや経営者(基本的にジジイ)とかに合う機会がある。が、本当にすごい人だと思える人は本当に少ない。小さい会社の経営者、というのもあるのだろう。ちゃんとした会社の人ほど、そんな話はしなくなる傾向にはあると思う。
酔ったときや、冗談を言ったとき、その人の本奨学金見える気がする。大したことない経営者は、そんなとき大体、女性絡みの下世話な話をしてくる。周りは周りで、笑ったり、おだてたりしている。本当にくだらない。そんな奴らにこき使われてるのかと思うとなおさらだ。
あなた達は、そんなに偉いのか。相手や社員に対するリスペクトとか、謙虚さとかはないんですかね。
そんな事を、この本を読んで思い出したり考えたりしてしまうのも、何か申し訳ない。

いや、物語としても面白い本なんですよ。第11回のアガサ・クリスティー賞の大賞も受賞している。なぜアガサ・クリスティ賞なのか、と思ってましたが、読み終わると、確かにミステリー。しかも、倒叙ミステリー的だと思います。
戦争を生き抜くための、自分の心を救うための駆け引き。最後は一気読みでしたね。

狙撃手が活躍するという点で、マンガですが、ゴールデンカムイも少し思い出しました。金塊を得るための争奪戦。人を狂わせるのは、戦争を起こすのは、金、なのでしょうか。
そして現在も、企業同士の争いは続いている。人はそうは変わらない、ということでしょうか。

そんなことはないと、そう信じてます。

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