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文章を書くことで得られる救い

私は嫌なことがあったらそれを文章に起こす
何もなくてただただ憂鬱なだけでも、
「辛い」、「苦しい」
そんな簡素な言葉だけでも、ノートに殴り書きする
私の心の声、今この瞬間感じているものは時間と共に忘れていってしまう
でも、ノートに書くだけで決して消えないものになり
今の私は存在しているんだと励まされる

現代文のテストで、阿部昭 ”小説の面白さ”という芥川龍之介の作品の
面白さについての随筆が出題された。

”芥川がどんなに「苦しい」「辛い」などの厭世的ものを書いても、
芥川は文章を書くことで得られる幸福感を求めている”

この考えが未だに腑に落ちて忘れられない。

芥川龍之介、太宰治の文章は特に厭世的なものだ。
2人の文豪は共に最後は自殺し、生前の暮らしは「死にたい」という感情に毒されたものだと推測できる。
そんな彼らの感情は小説という形で現れている、
有名な太宰治の人間失格は彼の死生観をもとに書かれているのではないだろうか。
彼らは文章に自分の感情を乗せることによって、幸福を得ていた。
どんなに人生に絶望してても、彼らには文章を書くという点には幻滅していない。

文章を書くことで得られる幸福感は私も日常で感じている。
どんなに死にたい時、死のうと思ってもまず最初に手に取るのは自殺するための
ロープじゃなくて、ノートとボールペンだ。

いつの間にか私は文章で得られる救いを人生の最後の砦として生きている

テストを解きながら、この得られる救いは私もわかるかも!!と文豪を近くで感じて嬉しく思ったテスト中の忘れられない思い出です。


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