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4月4日 『マトリックス』の第5作目が作られるそうです。その話を聞いて思ったこと……。

 マトリックスの5作目が制作決定!!

 ただし、ラナ&リリー・ウォシャウスキーは制作から外れる。「制作総指揮」に名前を入れるそうだが、これはたぶん、名義だけを置いて制作に参加しないやつだ。ウォシャウスキー姉妹は制作には触れないのだろう。
(名前を置いておくだけで、権限は発生するので、変なモノを作らせないくらいの抑止力にはなる)

 最初の『マトリックス』の頃を思い出そう――。
 あの頃のウォシャウスキー“兄弟”は凄かった。その前作である『バウンド』からすでにキレッキレだった。とにかくも「映画を作りたいんだ!」という情熱。緊張感。『マトリックス』は当時、「この作品を作れるなら死んでもいい」と言っていたくらいで、文字通りに全精力を注いで作られたものだった。

 ところが『マトリックス』の後は……ウォシャウスキーは“姉妹”になって、その後もSF映画を発表するけど、そのどれも平凡。予算は取れるようになったけれど、内容は『マトリックス』以前の“普通のSF”に戻ってしまった。

 2021年シリーズ4作目である『マトリックス レザレクションズ』が公開される。
 もしかしたら、“あの頃のウォシャウスキー”が戻ってくるかも……。と、期待したけれど、内容は20年前の『マトリックス』を少し付け足しをしただけで、ほぼ同じ内容を繰り返しただけ。「自己模倣」に陥っただけで、20年経ってからあのシリーズを再開する意味、この時代に対しなにを提唱するのか……といったメッセージはそこに載らなかった。

 どうして今の時代に『マトリックス』を再び撮ったのか? それはウォシャウスキーの両親が死去し、その悲しみを癒やすため……という個人的なことだった。

 いま改めて最初の『マトリックス』を見ると、ものすごい緊張感だった。特に構図作りは俳優が絵コンテで描いたように完璧に動けるまで何度もリテイクした。そうやって作られていたから、俳優とカメラの動きが見事なまでにピッタリ合っていた。俳優が映画の仕組みと一体となった、見事な映像だった。
 しかし第4作目には、そういう緊張感がまったくなかった。絵作りにしても「おい、どうした?」という緩さ。技術は新しくなったはずなのに、むしろ劣化して見えてしまう。全体的に生ぬるい。やっぱりそこまで本気じゃなかったんだろうな……と後になっても思うくらいだった。

 弟子(?)が制作した『ジョン・ウィック』は後半になるとだんだん『マトリックス』っぽくなっていって、むしろこっちのほうが『マトリックス』の新シリーズっぽく思えた。
(『ジョン・ウィック』の監督チャド・スタエルスキは『マトリックス』時代、キアヌ・リーブスのスタントダブルだった。これを弟子とは言わないが、私はそういうことにしている)

 で、とうとうウォシャウスキー姉妹から『マトリックス』が取り上げられてしまった。これを決定したのが会社なのか、ウォシャウスキー姉妹なのかはわからない。とにかくもはやウォシャウスキーに『マトリックス』というコンテンツを委ねていられない……ということだろう。

 しかし他人にあの『マトリックス』の続きを作れるかどうか。『スターウォーズ』でもそうだけど、本家以外が作品を作ると、どうしても過去作との連続性を作るために、「模倣」の要素が強くなってしまう。そこからさらに新要素を練り込もうとするが、しかしそれが逆に蛇足になってしまう。個性の強すぎる作品ほど、オリジナルが持っていたエッセンスを再現するのは難しい。
 「再現」は容易でも、「刷新」は難しい。これだけは作った本人でなければ無理だ。

 今の若い映画ユーザーにはわからないことだが、『マトリックス』は当時、衝撃的な映画だった。映画は10年おきくらいに、時代の流れを変える「凄い作品」が出てくる。『マトリックス』はそういう作品だった。『マトリックス』のあと、『マトリックス』をパクったような映画が山ほど作られ、その多くは『マトリックス』ほどの成功をつかめず消えていった。
 アニメの業界でも『エヴァンゲリオン』の後、『エヴァンゲリオン』のパクリっぽい作品が山ほど作られた。一つの革新があった後、みんなそれを真似する。それは「流行りだから」というのもあるが、みんなその新しい革新を採り入れたい……と思うからだ。みんなでパクリまくってどうなるかというと、時代そのものが「その作品」を踏まえた「それ以後」の新しい世代になっていく。作り手も受け手も共通の認識を了解するようになる。するとその上でようやく新しい時代の作品が生まれる土壌となる。
 アニメの場合、『エヴァンゲリオン』のように人間の内面を掘り下げた作品はなかったし、一見して結末を予想できないようなストーリーもなかったし、作品に込められる知識や哲学性も『エヴァンゲリオン』以降は一気にグレードが上がった。いま放送しているアニメは、『エヴァンゲリオン』以前だったら「難解すぎる」と言われて誰も見なかったし、そもそも作られもしなかったはずだ。革命的な作品とは、作り手と観客のステージを一つ上に押し上げてしまうのだ。
 『マトリックス』もそういう作品だった。あそこでVFXの使い方が変わったし、映画の撮り方、画面の作り方も変わった。明らかに「それ以前と以後」とあそこに“断層”が生まれた。それくらいの革命があった作品だった。

 『マトリックス』はそういう作品だったからこそ、もう一度革新をもたらしてくれるんじゃないか――そういう期待をしてしまう。
 いやむしろ、最近の作品をまとめて蹴り飛ばすようなショックを与えてほしい。それが『マトリックス』じゃないか。

 と、思うのだけど……。
 次なる第5作目が目指すのは「旧作の模倣」か「刷新」か……。どうなるやら?

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