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ゲーム感想 イタズラガチョウがやってきた! Untitled Goose Game

よゐこのインディーでお宝探し生活3 第1回

 よゐこの動画で紹介されていた『イタズラガチョウがやってきた!』……私も買っちゃいました。ガチョウがあんまりにも可愛らしくて。これはぜひやってみたい……というわけで購入! ちょうど半額セールだったしね。

 では『イタズラガチョウがやって来た!』はどんなゲームなのか。
 制作したのはイギリス……ではなくオーストラリアのゲーム開発会社House House。はじまりは「3Dのゲームを作ろう」ということだったが、間もなくチームの1人がガチョウのゲームを提案した。ちょっとした冗談のようなものだったが、チームコミュニケーションツールSlakに投稿したところみんな大いに気に入り、乗り気になった。
 2017年10月、最初のトレーラー映像を発表。反応次第でプロジェクトを進行させるか別のアイデアに切り替えるか……というところだったが、トレーラー映像は大評判。ここで本格的に制作することが決まった。
 映像イメージは元から『ウォレスとグルミット』ふう……というのが念頭にあったために舞台はイギリス。そこで制作スタッフはストリートビューをじーっと眺めてイギリスの各街を散策。間もなくサフォークのオーフォードがイメージ通りだったのでモデルとして採用することにした。
 そこからゲーム制作が本格的に開始し、2019年9月20日、PC版、Nintendo Switch版が最初に発売。発売2週間で売り上げは10万本突破し、3ヶ月後の12月17日にはPS4版、XboxOne版の販売がスタートしさらに売上本数を伸ばし、あっという間に全機種累計販売100万本達成。いくつかの小さなアワードを受賞するほどにもなった。Steamによるレビューを見ると「圧倒的に好評」。実際のグラフを見ても不評を示す赤グラフがチラッとしかない。とにかくこの小さなゲームは世界中で売れまくったうえに、めちゃくちゃに評価されたゲームだった。

 では具体的なゲーム内容を見ていきましょう。グワッ!

 寝床である静かな森から、ノソノソと出てくるところからゲームが始まる。池を挟んで向かい側の農場が最初のステージ。

 人々はガチョウを見ても、たいしたリアクションはしない。「ああ、いるなぁ」という感じ。きっと人々にとってガチョウはご近所さんなのでしょう。イタズラをすると追い払われるのだけど、そのやり方も優しい。暴力などとは無縁の世界だ。

 イタズラの中にはちょっと「痛い」ものもある。ごめんねーとか思いながら、ニヤニヤ楽しんでイタズラを決行していく。

 と、こんなふうにひたすらに穏やかで優しいゲームだ。

 もうちょっと深いところまでゲームを見てみよう。

 主人公であるガチョウがイタズラをすると、《管理者》である人間はそれを元の状態に戻そうとするタスクを発生させる。ただし、その行動が非常にゆっくりだし、しかも頭に思い浮かべられるタスクはいつも一つ。上の画像でも、人間が頭に思い浮かべているタスクが出ているのがわかるでしょう。人間はタスクを頭の中に一つしか思い浮かべることができず、別のタスクを目の前にちらつかせると、すぐに頭に浮かんでいるタスクは忘れてしまう。
 これを攻略のテクニックとして使い、人間の目の前に「気になるもの」をちらつかせて、その隙にイタズラを成功させてしまう……。そういうゲームだ。

 私がチラッと連想したゲームがファミコンの『ロードランナー』。
 『ロードランナー』では敵ロボットが主人公を発見すると、捕まえようとやってくる。その線上に金塊があったら持ち去ってしまう。『ロードランナー』の敵ロボットはステージの管理者として存在していて、主人公を排除するために行動している。ただし、『ロードランナー』の敵ロボットはステージの状態を元に戻そう……というふうには行動しないんだけど(『ロードランナー』の場合、ステージは勝手に元に戻る)。

 『イタズラガチョウがやって来た』は『ロードランナー』のようなゲーム観を、徹底的に置き換え、入れ替えたゲームだ。具体的にどういうところがそうなのか?

 とにかくも『イタズラガチョウがやって来た』は優しいゲームだ。それは「難易度が……」という話ではなく、表現が優しい。
 まずガチョウがイタズラをしたら、人間は取り戻しに迫ってくるのだけど、そのアイテムを取り戻すだけで、ガチョウを絞め殺したりしない。かつてのゲームはエネミーに接触したら即死亡……というのが当たり前だった。それがない世界だ。

 イタズラをしたら追い払われるのだけど、そのやり方も優しい。人間達はガチョウに対して、決して暴力を振るわない(その逆で、ガチョウのほうは人間に対して結構なイタズラをするので「ごめんねー」ってなる)。

 ガチョウが目の前で何かを盗んだりしたら、人間は追いかけてくるのだけど、それも決して早い動きではない。Bボタンダッシュすれば逃げられてしまうくらい。よくあるゲームではエネミーのほうの動きを優位に作るはずだ。エネミーのほうを優位に作らないと、難易度が低くなってしまい、すぐにクリアできて「つまらない」となるからだ。
 さらに人間の動きは徹底していない。上の場面では靴を奪ってしまっているのだけど、人間は奪われてしまったことにたいして気にも掛けていない。しばらくしたら奪われてしまったことも忘れるくらいだ。

 とにかくゲーム設計が緩い。よくあるゲームだったら、エネミーは何がなんでもタスクは決行に移すはずだ。それにもっと早く動く。「追われているときの緊張感」をゲーム的な面白さの基本設定するはずだ。。走れば逃げ切れてしまう……というのはゲーム難易度としては緩すぎ。人間に掴まれても「ゲームオーバー」で中間地点からやり直し……ということもない。その時に奪ったものを取り替えされたり、その場から追い出されたりするだけ。中間地点から戻されることなく、すぐに次の行動が取れる。

 よくあるゲームだったら、こんな緩いゲーム、「面白くないよ」と言われそうなもの。ゲーマーはまず難易度の高さを重要視する。攻略の歯ごたえを求めたがる。
 でもこのゲームに限っては誰もそんなものは求めない。なぜなのか?

 まずはコレ。主人公がガチョウだということ。このガチョウがよちよち歩く姿がそれだけで可愛いし、妙にとぼけた雰囲気が出ている。こんなガチョウが出てきたら「もっと難易度を!」とか言うのも野暮な気がしてしまう。

 もう一つはアートワーク。
 人間の顔が描写されていない。すると人間達の感情描写は身振り手振りの大袈裟な動きだけとなり、その様子がどう見てもコミカルな雰囲気になってしまう。
 ディテールがほぼ完全に省かれているから、この世界観にある優しさや緩さがうまく表現されている。抽象度が非常に高い世界なので、そんな世界で暴力を求めてもな……となる。
 ガチョウも人間もみんなとぼけた雰囲気なのに、こんな世界観でガチガチな難易度を設定されてしまうと、「なんか違う!」ってなる。
 むしろこういうアートワークだからこそ、ゆるく優しい世界がうまくはまる。

 次にステージ構造を見ていこう。グワッ!
 ゲームの始まりはお爺ちゃんが1人で切り盛りしている農場。そんな農場に押し入って、好き放題荒らすわけだから「ごめんねー」っていう気分にもなる。

 次のステージは住宅街へ入っていく。人間は2人(実はもう1人隠れている)。
 人間が2人いるけれども、2人が噛み合う場面はほとんどない。上画像の時に、ちらっと絡み合う程度。

 第3ステージはどこかの住宅の庭。隣り合った家の庭におじさんが1人、おばさんが1人。ここまでやってくると、人間同士がかなりしっかり絡む。攻略はこの2人の動きや様子をよく見て、うまく利用しなければならない。ガチョウはものを掴むくらいはできるのだけど、その程度しかできないので、人間をうまく利用して目的を達成する……というゲームになっていく。もっとも頭を使うのはここのステージかも。

 第4ステージが最大の難所。昼間の酒場。ステージが広いし、人が一杯。おじさんはガチョウを見るとすっ飛んできて追い出しに来る。人間同士もよく絡むので、攻略はだいぶ難しい。でも前ステージほど人間同士が複雑に絡むこともないので、頭は使わない。ただ難易度が高い。

 と、一見ゆるゆるなゲームに見えるけれども、ちゃんと難易度がじわじわ上がっていくように作られている。基本的なゲーム構造はきちんとしているんだ。
 でもこのゲーム、終わらせよう、攻略してやろうと思ったら数時間で終わってしまう。攻略に何日もかかったり、やりこみ要素が……みたいなのはない。一応「2周目」はあるけれども、そちらはそんなに面白くない。
 全体的に内容がゆるい、薄い、軽いゲームなのだけど……でもそれでいいじゃないか。それがいいんじゃないか。そんな気持ちにさせてくれる。
 なぜそういう気持ちになってしまうか、というと主人公がガチョウだから。ガチョウが主人公でこういう優しい世界のお話しだから、「これでいいじゃないか」という気持ちになってしまう。それ以上を求めるのはやっぱり野暮だ……という気になってしまう。

 私は時々思うのだけど、「ゲームってこういうのでいいんじゃないか」、と。
 ゲームは何かと「暴力」を求める。なぜかというと、やっぱり暴力は痛快だから。世の中は暴力に溢れ、理不尽に溢れ、せめてエンタメの世界だけでもエゴを解消したい……そういう気持ちを持っている人は多いし、そういう人がゲームでの現実逃避を求める。
 そのおかげでゲームはなにかと暴力を求め、暴力を解消するためのものになりがちだけど……時々はこういう緩く優しいゲームがあったっていいじゃないか。暴力が振るわれることはない。ちょっとした操作ミスでゲームオーバーを突きつけられ、中間地点からやり直し……ということもない。ゲームの中で理不尽を突きつけられることもないから、苛々することもない。ストレスから解放されたゲーム……それも現実逃避の形として大事ではないか。
 ゲームの中での暴力行為がないから、強いストレスが解消されるということもない。ゲーム設計が緩いから難易度を求める人からすると物足りないだろう。
 でもゲームの中には、こういう緩くて優しい世界があってもいい。いやむしろこういうゲームの方が大事なんじゃないの? 特にストレスを感じてる私たちには。暴力を求めるゲームは、ゲームの中でストレスを積み上げる……という本末転倒に陥りやすいから。

 FPSゲームでの撃ち合いもなんかしんどい……そんなふうに思ったときは、ガチョウになって意味もなく街の中をフラフラして、グワッグワッと鳴いてみるのもいいのではないだろうか。


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