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ドキュメンタリー感想 ガードナー美術館盗難事件

イザベラ美術館で起きた事件

 イザベラ・スチュワート・ガードナー美術館は、その名前にもなっている女性が築き上げた個人美術館だ。
 イザベラの父であるディビッド・スチュワートはスコットランド系アメリカ人で、その血筋はスコットランド王国スチュワート朝ロバート2世にまで遡ることができる由緒正しいものだ。そのディビッドは鉄鋼業で成功を収め、莫大な資産を築き上げることになる。
 1891年、ディビッドの死により、イザベラはその遺産を受け継ぐことになる。イザベラは夫との結婚を機会に新天地であるアメリカ・ボストンに移り住んでおり、手にした遺産でこの地に美術館を建設することを思い至るようになる。これがガードナー美術館建設の経緯である。
 着工は1899年、開設したのは1903年。外観はシンプルな作りだが、内部に入ると豪華絢爛。内部にパティオ(中庭)を置いた、15世紀のヴェネツィア邸宅を意識したデザインだった。絵画だけではなくテーブルや椅子などの調度品にも徹底的にこだわった“ハウス・ミュージアム”であった。“ハウス・ミュージアム”という呼び名からわかるように、ガードナー美術館は、美術館であると同時に、“生活の場”である住居であった。
 屋敷の中はイザベラの徹底した美意識で構成されており、遺言によれば、もしも自分が置いたものに変更を加えるなら、集めた美術品はすべてオークションで売るように……と残しているほどだった。

 イザベラには優れた鑑識眼があり、美術館に飾られている美術品はすべて彼女自身の目利きで集められたものだった。その中にはフェルメールやレンブラントの名作も飾られているが、これらは大金を積んで集め回ったものではなく、その当時はまだ真贋が曖昧だったものや、まだ再評価の光が当てられる前の作品達の中から集められたものだった。
 そうやって集められた美術品には贋作絵画などはどうやらないらしく、イザベラの目利きがいかに優れていたかわかるだろう。偏屈な令嬢だが、美意識は本物であったのだ。

 そんな美術館に事件が起きたのは1990年3月18日、日曜日。前日はセントパトリックスデーだ。アイルランド由来のお祭りで、その一日中街は浮かれて、みんな酒を飲んでいた。そんな日の深夜に事件は起きた。

 午前1時24分。美術館に訪問者を告げるブザーが鳴った。美術館外で待ち構えていたのは、二人組の制服警官だった。
 その時、美術館にいた警備員は二人。リチャード・アバスと、もう一人だ。二人とも本職の警備員ではなく、ただのバイトだった。リチャードは警備員の制服なんて着てなかったし、バンドなんかやっているから全体にカールを入れた長髪。当時のマリファナをやっているヒッピーにありがちなスタイルだった。名前が明かされていないもう一人の警備員も、美術館にトロンボーンを持ち込んでおり、深夜の見回りを終えたら楽器の練習をするつもりだった。
 そんな二人しかいないところに、二人組の制服警官がやってきたのだ。
「警察だ。騒ぎがあったと通報を受けた。開けろ」
 応対したリチャードは、言われるままに入り口扉を開けて、警官を美術館内に招き入れた。
「一人か?」
 警官の一方が訊ねた。
「相棒は見回り中だ」
 リチャードは答える。警察は、すぐに呼び戻すように指示を出す。リチャードはこれにも従った。
 その間に、警官の一人が、リチャードをいぶかしげに覗き込んだ。
「見覚えのある顔だ。指名手配犯か?」
 リチャードは自分は関係ない、見間違いだと答えるが、警察は言い訳を無視した。警察は高圧的になって「デスクから離れろ! 壁際に立て!」と命令し、それに従っている間にリチャードは手錠をかけられてしまう。
 ようやくやってきたもう一人の警備員も、同じように手錠を後ろ手にかけられてしまった。
 その後に、警察はにやりと笑って、こう明かした。

「諸君。これは盗みだよ」

 こうして制服警官に扮装した強盗は、ガードナー美術館に押し入り、ゆうゆうと美術品を盗んでいったのだった。

感想文 ~フェルメールの行方

 今回はドキュメンタリーの紹介はここまで。感想が長めです。

 Netflixでこのドキュメンタリーを見たとき、私は飛びつくように視聴した。というのも私はかつて、このイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館での事件を題材にした小説を書いていたからだった。AmazonKindleでも販売されている『鑑定士ツグミ』がそれ。あの小説の中で描かれた事件は、フィクションではなく、実話がモチーフだったんだよね。……たぶん、誰も知らなかったと思うけど(そもそも誰も読んでないんだけど)。

 私は『鑑定士ツグミ』を書くにあたり、事件の関連書籍は日本語で出ているものはだいたい全部読んだし、フェルメール関連の書籍ではだいたいこの事件が取り上げられていたから、それを含めるとかなりの量のものを読んできた。ネットでもできる限り情報を集め、英語なんかまったく読めないのにも関わらず、FBIのサイトへ行き、絵画に付いている報奨金が本当に資料に書いてある通りか確認もした(当時のインターネットは自動で翻訳なんてやってくれなかった)。
 でもイザベラ・スチュワート・ガードナー美術館について当時の私が知っていたことは本に小さく掲載されていた白黒の写真だけ。ガードナー美術館について知っていたことを挙げろと言われたら外観の様子と、パティオ(中庭)に作られたささやかな庭園くらいなものだった。つまり、ほとんど何も知らなかった。なぜなら資料をいくら探しても、見つからなかったからだ。

 それがこのドキュメンタリー『ガードナー美術館盗難事件』には美術館内の様子が詳細に描写されている。そればかりか、事件当夜の詳しい状況が丁寧に語られている。どれも当時の私がほしくて堪らなかったものだ。それだけに、私はこのドキュメンタリーに熱を入れて見入ったし、「あの時に見たかった……」と悔しくも思った。このドキュメンタリーが10年前にあったらな……というのは、もう言っても仕方ない話なんだけど。

 事件の話をしよう。
 『鑑定士ツグミ』にもちらっと書かれていることだが、私はこの事件の犯人は「素人」だと考えている。理由はいくつかある。
 第1に、犯人達は最初からガードナー美術館を狙っていたわけではない……ということだ。事件のおよそ2ヶ月前、ボストン美術館にも警官服の男が現れ、「事件があった。中へ入れてくれ」と立ち入ろうとする事件があった。この件についてボストン警察にも確かめたところ、その日にボストン美術館を訪ねた警官はいない、ということだ。
 また2週間前にも、実は警官服を着た二人組がガードナー美術館を訪ねていた。しかしこの時は別の警備員で、「中には入れられない」と告げるとさっさと退散したようだ。つまり、「別の美術館を狙っていたけど、ダメだったからガードナー美術館を狙った」という経緯があり、しかも一度ダメだったのにも関わらず同じ場所で同じ手口で入ろうとしたら、たまたま成功してしまった……というのが今回の事件だった。泥棒も素人だったが、警備員も経験の浅いただのバイトだったから、成功した事件のようなものだった。

 第2に、盗み方があまりにも雑。警官服を着た泥棒は、絵画を額縁から外さず、額縁の内側にナイフを差し込んで、切り取って持ち去ったのだ。つまり、額縁の裏側になっていたおよそ1センチほどの部分は、現在もガードナー美術館に残されているわけである。
 価値ある美術品をナイフで切り取って去って行く……これだけでもあまりにも度しがたい。もし絵画をどこかに売るつもりだったとしても、そんなことをしたら価値が下がる。この一点だけでも犯人が絵画の扱いを理解していない素人だったといえる。
 第3に、美術品以外も盗んでいたこと。美術品以外というのは、中国の壺と、旗竿についていた鷹の飾り物のことだ。中国の壺は骨董品といえば骨董品だが、特に価値のない展示品で、なんでそんなものを盗んだのかわからない。鷹の飾り物に至っては、本当にただの展示品だ。
 しかも盗み方が不可解で、絵画を盗むときには絵画の内側にナイフを入れるという乱暴な盗み方をしているのに対し、鷹の飾り物を盗むときには丁寧にネジを1本1本外している。そんな手間をするくらいなら、明らかに価値のある絵画を額縁からきちんと外すべきだが、それをやらなかった理由がわからない。
 という以上の理由から、「犯人は素人だ」……と私は考えていた。
 盗んだ物も一貫性がない。フェルメールとレンブラントを盗むのはわかる。世界的に知られている画家の作品で、「被害総額5億ドル」といわれる事件だが、その内訳のほとんどがフェルメールとレンブラントの3作で占められている。泥棒が高額商品を狙うのは当たり前だ。

フェルメール 合奏

 『鑑定士ツグミ』でも書かれているように、フェルメールの『合奏』だけでも推定150億円。フェルメール作品は世界におよそ33点ほどしか残されておらず、その中の1点ということで希少性はめちゃくちゃに高い。うっかりサザビーズなんかに出品されたら、150億円では止まらないかも知れない。世界中の美術好き、フェルメールファンが「死ぬまでに絶対に見たい名画」の一つだ。「オランダの至宝」どころか、「世界の至宝」と呼ぶべきお宝芸術である。推定150億円は妥当なお値段だ。

レンブラント ガラリヤの海の嵐

 レンブラントが海風景を手がけた唯一の作品である『ガラリヤの海の嵐』は、推定100億円。縦128センチ、横160センチで、サイズ的にかなり大きな大作だ。レンブラントの名作の中でも、一際すぐれた一作と評される作品だ。

 レンブラント作品は他にも盗まれているが、とりあえずはこの2点。この2点さえ持っていれば、いきなり資産家になることも夢ではない。それくらいの価値を秘めた絵画が盗まれていったのだ。
 ただし、あまりにも有名すぎる絵画だから、どうやって売るのか……という問題を乗り越えられれば。

 だが、価格の高い絵画というのはフェルメールの1点とレンブラントの2点だけであって、あとはさほどでもない。ドガのラフ画なんてなんで持っていったかわからないし、さらに特に価値のない調度品まで持ち去っている。美術泥棒の素人が入っていって、たまたま盗んだものの中に超高級絵画が入っていた……という感じだったのではないか。泥棒が絵の価値を理解していたかどうかも怪しい。
 ――というのが私の考えであった。

 そこで今回のドキュメンタリー『ガードナー美術館盗難事件』には私が今まで知りようもなかった事件の詳しい情報が掘り下げられていた。しかしそこで新たにわかったことは……特になかった。いや、ドキュメンタリーには様々な情報の提示があり、あの事件の続きがどのように展開していたのかを知る有意義な機会となったが、しかし実際には「謎」が深まっただけだった。

 強盗がガードナー美術館に押し入った。そこまでは知っている。問題はその後で、犯人は81分もの間、美術館にいたという事実だ。強盗は速やかに、手際よく行うものだ。にもかかわらず、犯人達はゆっくりと81分もの間、美術館の中で寛いでいた。
 まず犯人はフェルメールとレンブラントが展示されている2階オランダ室(ダッチ・ルーム)へ行き、いそいそと絵画をナイフで切り取って確保した。
 この時――この時というのはレンブラントの『ガリラヤの海の嵐』を盗み出すとき、警報が鳴っている。普通の泥棒は警報を聞いたら退散するはずだが、犯人は気にせず、その後も悠々と美術館に居座った。
 次にショートルームへ行き、ドガのスケッチを確保する。
 その次にブルールームへ……入っていない。ここが不可解なポイントだ。
 というのも、「どの部屋に何時に人が入ったのか」……という記録がコンピューター上に残っているのだが、事件があった時間帯にブルールームへは誰も入っていない。しかしブルールームに展示されてあったマネの『トルトニ亭にて』が姿を消している。『トルトニ亭にて』を盗んだのは一体、誰なのか? 「いつ盗まれていたのか?」という問いにも探らなければならなくなってしまった。この謎は未解決のままである。

 犯人はオランダ室にある隠し部屋の扉をわざわざ開けて中を荒らす、ということもやっている。なぜ隠し部屋のことを知っていたのか。さらに事件当日の監視カメラのVHSも持ち去っている。犯人は美術館の内部や警備システムについても詳しく知っていた。そこまで詳しく知っていたのに……という「?」が残される。
 事件当夜の犯人の足跡を再現しようにも空白部分が多く、犯人が81分もの間なにをしていたのか、よくわからない。のんびり美術鑑賞でもやっていたのだろうか。フェルメールやレンブラントを盗むときはいそいそとナイフで切り取ったのに、旗竿に付いた鷹を盗むときにはちまちまとネジを外している。何がしたいのかよくわからない。この犯人の行動を再現したとしても、81分はかかりすぎ。詳しく知れば知るほどに、かえって不可解さが深まる事件であった。

 『鑑定士ツグミ』ではフェルメールの『合奏』が日本にやってきた……という設定で小説が描かれている。これはお話として成立させるための無理矢理だ。私としても『合奏』が日本にやってきているなんて思っていない。
 ただ、当時は「噂」としてあった。1990年代頃というのは、日本はバブルで得たお金で西洋の色んな絵画を買いあさりまくっていた時代だ。欧米の人達からすると、「自分たちの文化」の中でも宝と思われていたものを、極東の黄色い猿に金に任せて持ち去られてしまうことは、快く見られていなかった。「美術品の価値なんて何もわかっていない成金のくせに」……と。そうしたやっかみを込めて、「日本人が買ったに違いない」という噂が立てられていた……というのがあった。
 ところが事件の起きた1990年という時代は、日本のバブル景気が弾けた直後だった。日本の景気は一気に冷え込み、株は大暴落して、前日まで享楽の中を踊っていた人々はあっという間にどん底を味わった。バブル崩壊で日本は大騒ぎになっていたところなので、そんな時代に日本人が150億円の盗難絵画を買った……なんて話があるわけがない。
 「フェルメールは日本人が買ったに違いない」……そんな噂がまことしやかに囁かれたのは、西洋欧米人の深層の中に、「美術品を買いあさる日本人」のイメージがまだ強く残っていた時代だったからだ。

 でも実は「噂」を裏付ける情報もあった。
 1997年8月、ウィリアム・ヤングワースがマリファナと武器所持の容疑で逮捕される。しかしヤングワースは、「ガードナー美術館から盗み出された美術品を持っている」と語り始め、その美術品を返還する代わりに刑期の短縮、出所、さらに友人のマイルス・コナーの開放を要求したのだった。なにしろ総額5億ドルの絵画だから、自分とムショの中にいる友人を解放させるくらいの価値は確実にあった。
 この事件はかなり長めの「なんやかんや」があり、結局のところ美術品は見つからず、司法取引の話もうやむやになって、最終的にはなんだかわからなくなる。
 ただ、この長い「なんやかんや」の中で、マイルス・コナーが「フェルメールは日本に渡った」と語る場面があった。これが「フェルメールは日本人が買った」という噂を補強する証言となる。

 『鑑定士ツグミ』はこのほんの一言を切り取り、かなり無理矢理なこじつけや屁理屈を付けて、「本当にフェルメールが日本にやってきていた」というエピソードを作り上げた(1997年の事件については、『鑑定士ツグミ』の中でも取り上げられている)。
 ただ、「無理矢理なこじつけと屁理屈」と書いているところからわかるように、それでも私はフェルメールの『合奏』が日本にやってきていたとは思っていない。理由はシンプルで、ガードナー美術館の事件は当時としては珍しい事件であったため初動が遅れたというのはあるが、ただちに大がかりな検問が敷かれ、疑わしいものは徹底的に調査された。この時点で、美術品がボストンやその周辺から出るのは難しいだろう。空港での検査はもっと厳しく、「絵画っぽい板状のもの」はどんなものであれ、係員が開封して検め盗難品と照合する……という決まりがある。欧米ではこの検査がそこそこ厳しいので、やはりここをくぐり抜けていくのは難しいだろう。
 こういった理由で、私の心証としては、ガードナー事件の美術品はボストン周辺からあまり動いていない……という説を採っている。小説の中で「日本にやってきた」とあるのは、本気でそう思っているのではなく、あくまでもお話を成立させるための創作だ。

 ウィリアム・ヤングワースが美術品を司法取引に使うという話が出たが、当時はわりとあった話だったようだ。1990年はボストンを舞台に、警察とアイルランド・マフィアが抗争を繰り広げていて、ガードナー美術館もエリア的にその中にあった。
 マフィアからしてみれば、美術品は「持ち運びができる資産」のようなものだった。バッグに100億円の紙幣はどうやっても入らないが、絵画だったらそれが可能だ(※)。美術品は売れば金になるし、逮捕されたときの司法取引に使える。もしもの時に自分を助けてくれる夢のカードだった。だから価値がわかっていなかろうが、多少傷が付いていようが、持ってさえいればそれでよかったのだ。
(※ 2013年、とある事件で5000万円の紙幣がバッグに入るかどうか……という検証が行われたニュースを覚えているだろうか。バッグに5000万円詰めるのもかなり厳しい。しかし100億円の絵画なら入る)
 ガードナー美術館の美術品はナイフで切り取られて持ち去れたが、あれは「売るため」ではなく、後々警察に掴まったときに司法取引にするため……だったとしたら、一応納得はできる。そもそもフェルメールやレンブラントにもなると、高級すぎて誰も手を出さない。あまりにも有名事件なので、どこかに飾ったらすぐに通報されてしまう。売りたくても売れない商品なので、飾ることすらできない。使いどころとしたら、司法取引くらいなものだ。
 実際に、当時逮捕されたマフィアが司法取引に盗難美術品を出してくるケースはわりとあったようだ。1997年のウィリアム・ヤングワースの事件もその一つだ。
 警察はボストン浄化のためにマフィアを一掃したいが、しかし盗難絵画を司法取引に使ってくると解放せざるを得ない。マフィアもそれを目的に美術品を盗難しまくり、このせいで地域の治安が悪くなる。逮捕しても「盗難美術」というカードを切られるわけだから、当時の警察としては厄介の極みであっただろう。

 ガードナー事件は当事者にとってはその後もずっと忘れられない事件となった。当時の警備員や当時の館長を務めた人にとって、ずっと「喉の奥に刺さり続けている骨」のようなものだ。5億ドルの損害だ。当事者は忘れたくても忘れようもない。事件を担当した警察やFBIにとっても、やはり忘れられない事件だった。被害総額は絵画盗難の中でも最高額で、世間的にあれほど注目されたのに、事件は未解決のまま……引っ掛からない当事者がいるはずはない。
 それが今回のドキュメンタリーが作られた経緯だ。事件を経験した当事者が、25年前に起きた事件を振り返り、語り、再検証していく……。それで何が見えてくるのか?
 犯人は?
 美術品はどこへ行った?
 それが改めて徹底的に語られるドキュメンタリーだ。

 私としては、このドキュメンタリーと一緒に『鑑定士ツグミ』も読んでいただけると嬉しい。


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