零_幽霊dd95768ec8074

オフィスでホラーもの(サンプル)

サンプル小説

「吉田さーん。資料持ってきてくれる? この間デザイナーさんに描いてもらったやつ」

 園崎の軽い声が、しゃかしゃかとキーの叩く音ばかりが木霊するオフィスを横切る。

「ひゃい?」

 吉田は大福餅を口に入れたところで振り返った。
 園崎は机を1つ挟んだ向こう側に立ってこちらを見ていた。園崎は面長の顔に、あまり整っていない髪、黒縁のメガネ、平均よりやや張り出した顎に点々と髭を生やしていた。無精髭ではないが目立たせるわけでもなく、中途半端な髭だった。格好は白のカッターシャツにオレンジのネクタイ。シャツは一番上のボタンが開けたままになっていて、ネクタイも緩めていて、少し着崩している。身長は180センチとやや高め。もうすぐ40代になるオジサンだった。

「ほら、これから会議だから。行った行った。いま絶対暇でしょ」

 園崎が手を上げて、行くのを促すように手をヒラヒラさせる。

「はなほった(やなこった)」

 吉田は大福餅をもさもさと咀嚼しながら返事をする。キャスター付きの椅子をぶらぶらと前後させて、行く意思すら見せない。
 吉田は26歳。若いオフィスレディだ。薄い化粧で、背中に届く髪を首のあたりでくくっている。とりあえずの社交辞令的に塗っている薄めの口紅には、今は大福餅の白粉がぺったり付いていた。オフィスレディっぽい格好もせず、シャツの上に、白のセーターを着ている。まるで休日の家にいるような格好だった。

「いいから早く行け! 必要なの!」

 園崎が声を上げる。が、声の調子は半笑いだ。園崎は基本、顔が笑っているし、声も普段から笑っている。怒っているような言い回しをしつつ、実は怒っていない。そういう人だった。

 吉田はぱっと立ち上がって、緩めの敬礼をする。

「ふふへー(うるせー)」

「何だとぉ!」

 園崎の声に勢いが付く。が、その直後に笑い声を上げた。こういうやりとりはいつものことなのだ。

 吉田は踵を返し、オフィスのドアへと向かった。オフィス内にいる社員は30名ほど。机をキレイに整列させ、机の上には一台ずつノートパソコンを載せている。みんなキーを打ち込んだり、取引先に電話したりと忙しそうにしていた。たまに、こっそりスマートフォンでゲームをやっている人もいる。さすがに吉田ほど大胆に大福餅を食べて暇つぶししている人はいなかった。
 オフィス内は比較的静かで、ざわざわとキーを叩く音、ちょっと高めの声で取引先に電話する女性の声が聞こえる。その向こう側に見える空が、曇っているのか灰色を浮かべている。雨でも降りそうな気配だった。

 吉田はオフィスのドアまで進んだところでようやく大福餅を飲み込み、指についた白粉をセーターの袖で拭うと、廊下に出た。

 廊下に出ると、急に空気がしんと冷たくなる。4月に入ったばかりとはいえ、妙に寒々としている。天気予報が伝えた予想気温よりも、体感4度くらいは下だった。薄手のセーターだと布地を通して冷気が肌に流れ込んでくるように感じられた。
 廊下に人影はいない。オフィスのさざめきも廊下には届かず、まるで急に何かから切り離されたような寂しさがあった。
 窓の外は灰色の影を落としている。まだ午後に入ったばかりの時間。日暮れまでまだまだあるはずなのに、もう夕暮れの暗さが落ち始めていた。
 廊下は色彩を失って、重めの影を際立たせている。点々と付いている蛍光灯の明かりが、深夜の街の明かりのようにうすらぼんやりしている。
 雨……いやカミナリが来るかも知れない。
 吉田はパタパタと廊下を早足で進みながら、窓の側へ行く。ここはとあるビルの10階。窓から見える風景は他のビルに少し遮られているが、街の様子を見下ろし、空を見上げるには充分くらい開けていた。
 空は墨を垂れ流したような黒い雲が、勢いよく流れていっている。窓もぐらぐら言い始めた。結構な勢いで雨が降るかも知れない。
 今日は晴れって言ってたのにな。
 天気予報は当てにならない。

 部屋を2つほど横切って、吉田は資料室のドアの前までやってきた。
 ドアノブを掴み、開く。
 すると資料室の中から闇が溢れ出すような感じがした。真っ暗だった。
 資料室は四方八方アルミの棚で取り囲んでいるとはいえ、普段なら棚で半分塞がれた窓から光が射し込んでくるはずだった。時間的にも、真っ暗になるような時間ではない。
 それが、その空間だけとっくに深夜だ、という雰囲気で真っ暗闇に沈んでいる。廊下から差し込む光のおかげで、なんとか入口まわりの床が浮かび上がっているだけだった。向かい側の壁すら見えなかった。
 吉田は、明かりを点けず中に入っていこうとするが、数歩進むと廊下から差し込む光が遠ざかり、自分の足先も見えないくらいの闇に塞がれてしまった。中に入れば案外見えたりするかな、と思っていたが、予想以上の暗さだった。
 吉田は入口側の壁を探る。確かこの辺に……あった。指に突起物が触れる感触があって、それを少し強めに押した。

 パチ。
 蛍光灯に明かりが入る。真っ暗闇の資料室に色彩が浮かぶ。8畳ほどの奥方向に伸びた縦長の空間に、壁が全てアルミの棚で埋まっている。どの棚も、紙資料を束ねたファイルがぎっちり収まり、時々ダンボール箱も収めてあった。入りきらない資料はダンボール箱に入れて、床に置かれている。ポスターを突っ込んでいる箱も棚に収まらないので、床に置いたままにされていた。
 明かりが入ったとはいえ、蛍光灯の明かりはうすらぼんやりしていて、部屋のあちこちに闇が落ちている。異様に深い影が、無機物としての存在感をむしろ高めているような感じすらあった。
 吉田はなんとなく不穏さを感じて、息を深めに吸った。廊下と繋がるドアは開けたままにすることにした。

 ええっと、園崎さんが言っていた資料は……。
 最近の資料は少し進んだ所の、右手の棚にだいたいあるはず。それ以外の棚に何があるかは、実は把握していなかった。でもいつもだいたいこの辺りのはずだ。
 吉田は指でファイルの背に入っているラベルを確認しながら、視点を横へ横へとずらしていく。

 すーっと空気の流れが変わるような気がした。ちらとその方向を見る。ドアが閉まった。まるで誰かが締めたかのように、すっと音もなく閉じた。
 気にすることはない――でも妙な不安が吉田の胸を捉えた。なぜかこの密室に1人でいたくない、そわそわするような気持ちを吉田を捉えていた。その暗い空間が、まわりから切り離されるような不安を感じた。
 吉田はせめてドアを開けておこう、と思って出入り口のほうへ進もうとした。

 パッパッ……。
 蛍光灯がちかちかっと明滅した。ぱちぱちっと視界に暗闇が差し挟まれる。
 ふと吉田は振り返った。
 何か――誰かいたような。そんな気配がした。
 でも資料室の中を見回しても、誰の姿もない。いるわけがない。気のせいだ。
 吉田はもう一度ドアを振り返った。
 突然、暗転した。蛍光灯が光を失った。資料室内が真っ暗闇に落ちる。
 吉田は一瞬悲鳴を上げそうになった。呼吸が速くなる。でも慌てることはない。暗転したが、蛍光灯がじわりと光を残している。それに、出入り口はその先だ。すぐそこだ。何も慌てることはない――と吉田は自分に言い聞かせる。

 吉田がその方向へ進もうと1歩足を出そうとした時。
 何かが、吉田の左手首を掴んだ。
「おねーちゃん」
 子供の声。
 吉田は悲鳴を上げた。体が跳ね上がった。しかし左手首を掴む指は強かった。吉田を放さなかった。吉田はバランスを失い、その場で崩れてしまう。
 真っ暗闇に、けらけらと子供の笑い声。子供が無邪気に遊んでいる時の、あの声だ。
 吉田は腕から逃れようとした。地面を這った。
 吉田を掴んだ手は決して離れなかった。確かに子供の手だった。小さな掌。小さな指。でも異様な力で、吉田の手首を掴み、さらにぎりぎりと締め付け始めた。子供の力ではなかった。
「やだ、やだ! やめて! やめて!」
 息が漏れて、大きな声が出なかった。喘ぐような息と共に、懇願した。
 子供の笑い声が聞こえる。
 パン! パン!
 吉田ははっと音がする方向を振り返った。側で子供が跳ねる時のような音がした。でも真っ暗闇で何も見えなかった。気配だけがそこにあった。
 あはは……。
 反対方向だ。耳のすぐ側で、子供の笑い声がした。
 子供は1人じゃない。自分の周りを、何かがパタパタと走り回っている。音が自分をぐるぐる取り囲むような気がして、吉田は方向感覚を失いそうだった。
「いや、やめ、やめて!」
 恐怖で声が引き攣る。うまく声が出せない。全身から力が抜ける。
 さらに、ぐいっ、ぐいっと腕は吉田の体ごと、どこかに引っ張り込もうととした。吉田は地面に這いつくばって抵抗しようとした。だが腕の力は強力で、ふりほどこうと振ってもぴくりともしなかった。
 吉田は蹴った。自分を掴んでいる主がどこにいるのかわからない。しかしとりあえず蹴った。足をバタバタとさせた。
 蹴りの何発かは当たった。確かにそこに誰かがいる。大きさやシルエットはわからない。
 吉田は足だけの感触を頼りに、思い切った一発を放った。
「う」
 闇が呻いた。吉田の手を放した。
 吉田はもがくように立ち上がった。足下がふらつく。腰が抜けそうだ。でも今はそれどころではない。まっすぐ出入り口があるはずの方向へ向かった。
 すぐに壁に手をついた。
 そこに蛍光灯のスイッチがあったはずだ。吉田は手探りで探した。
 あった。
 パチッと明かりを入れた。 
 吉田は振り返った。

 そこにいたのは、小学生中頃の少年だった。小さくて、細い体。Tシャツを着て、短パンを着て……どこにでもいそうな子供の格好だった。ただ子供は頭部がなかった。首のところでスパッと切れていた。首の断面に、骨が切断されているのが見えた。
 吉田は悲鳴も上げられなかった。

 その日、オフィスで若い女性が死んだ。突然の心臓発作だった。
 変死であるので遺体は警察が引き取り、検死が行われた。目立った外傷は見付からなかったが、手首のところに皮膚がすりむけるほど強く握られた跡があった。

おまけ

 先日、「もしもオフィスをホラーゲームの舞台にするなら」という課題を立てたので、じゃあこんな感じかな、と思って書いてみました。
 まあ……ありきたりな内容ですね。よくあるホラーもののフォーマットに当てはめてみたというわけで新鮮味も驚きもない。何番煎じかわからないような内容です。内容が定番すぎて、怖くもなんともないですね。
(例によって、夜眠れないのでその間に考えたやつです。書いてみると思いのほかつまらなくて、書いている最中に飽きちゃいました)

 オフィスという特殊な場所でホラーをやるとなると、どんなものがあり得るか。どういう心地になるか。なにしろオフィスという場所がホラーのメイン舞台になったことはほとんどない。
 それで、とりあえず一番ありきたりなフォーマットを載せて実験した……という感じです。
 でも、これじゃあダメですわね。これだったら別に駅でも廃墟でもどこでも一緒のものができあがる。オフィスだからこそのもの。その場所でしかあり得ないようなホラーになっていない。
(一応、土地そのものが“曰く付き”の場所で、お祓いもせずに建てちゃったから、それでビルそのものが祟られたという設定……はあったのだが)

 でもオフィスだったらどんなものがいそうかな……?
 ここでいいアイデアが思い付かない。真っ当な社会人経験ないもんね。
 映画『ポルターガイスト』のように、その作品ならではの何かを1つ代入しなくちゃダメなんだけど、いいのは思い付かないなぁ。

 ところで、幽霊といっても自由になんでもできるわけではない。一応、幽霊にも行動規則と縛りがある。
「電源のオンオフができる」
「電波の中を移動できる」
「暗闇の中を自由に移動できる。壁抜け可能(ただしお札が貼ってある壁は抜けられない)」
 幽霊は機械製品の電源をオンオフにできる。サンプルの小説にもあるけど、幽霊は機械の電源をオフにできる。これは色んな作品でも見られる現象だ。
 「電波の中を移動できる」というのは、よく電話の声の中によく現れるから。あれは多分、電波の中に入って移動できるからじゃないかな。電線の中を移動することもできるのかも知れない。
(そういえば最近のホラーでは、オンラインの回線の中を移動できる……というものがぽつぽつと出てきている。そういう電波・電気系のものの中は案外自由に移動できるのかも知れない。ケーブル内も移動可能かも?)
 オフィスという空間をホラーにする場合、幽霊の移動経路を物語のヒントにするという考え方はあるかも知れない。
 暗闇の中を自由に移動できて、壁抜けもできる。しかし幽霊は、光の中を進むことができない。暗闇の中であれば、自由に移動できる。暗闇があれば、昼であっても多分移動可能。
 ただし幽霊にもおそらく行動範囲があって、自分の死んだ場所から半径○メートル以内とか、そういう制限があるらしい。自分が死んだ場所に縛り付けられるからかも知れない。
 漫画の世界ではこういう制限なく、昼の光の中を自由に移動したり、移動に制限のない幽霊も結構出てくる。まあ表現の世界だから、例外はいくらでもある……ということで。

 問題になるのが、幽霊による殺害方法。映画、漫画、小説では幽霊が人を殺害するその瞬間は描かれない。その前後のみが描かれて、肝心の「どうやって殺害するのか」が謎の包まれている。
 西洋の幽霊はむしろこの殺害の瞬間こそがクライマックスとして描かれるのだが。こういうのも文化の違いだ。
 映画、漫画、小説は幽霊と遭遇した瞬間そのもののみを描けばいいが、ゲームだとそうはいかない。ゲームは幽霊と遭遇した後、その幽霊を対処するプロセスが描かれなければならない。その部分がプレイヤーとの駆け引きの部分となる。
 でもこれが結構怪しいところで……。『零』シリーズとか、べたーと触れてくるだけだから。接触でダメージということはクリボーと一緒だ。ゾンビものは噛みついてくる、というアクションがあるけど(わりと噛みつかれているのに、ハーブで治っちゃうというのもどうかと思うけど。ゾンビ化の予防ってわりと簡単だな、と思ってしまう)。なんで幽霊に接触されてダメージになるのか、よくわからない。

 幽霊がどうやって人を攻撃するのか。この辺りも含めて、考えを詰めていったほうが良さそうだ。

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