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5月27日 売れるかどうかは「運」次第

 作業中はいつもなにげない感じでラジオを流しているのだけど、とある声優が「売れる声優/売れない声優」の話をしていた。

 この業界、売れなければ終わり。売れても「いつまでも売れ続ける」なんてわけはなく、「旬」を過ぎるとそこで終わり。売れている声優でも、終わりがいつ来るかなんてわからない。わからないから占い師に頼ったりしてしまう。売れたとしても、「自分がなぜ売れたのか」なんてよくわからない。だから売れていてもやっぱり占い師に頼ってしまう。
 こういうのは漫画でも映画でも芸人でも小説でも同じ話で、売れたかどうか……というのは結果論でしかない。売れた後になって「こういう理由で大ヒットした」という分析はいくらでもできるけど、それを仕掛ける前からできた……なんて人を見たことがない。色んな仕掛けをやっていても、たいていの場合、人知れずコケて姿を消している。ハリウッドであれだけの大ヒット映画を量産したジェリー・ブラッカイマーのインタビューを見ても、「なんで売れたかなんてわからない」というくらいの世界。
 後になってからはいくらでも言えるけど、本当はなんで売れたかなんて誰にもわからない……。そういう世界だ。

 でも売れるべくして売れた……という人はいて、例えば宮崎駿と新海誠。宮崎駿は今こそ「国民的作家」と呼ばれるくらいの地位を獲得したが、その以前はずっと不遇の作家だった。最初の映画『カリオストロの城』はアニメ史上に残るほどの不入りで、業界を干され、その後『風の谷のナウシカ』はどうにかそこそこのヒットになったが、それ以降もいまいちパッとしないアニメ監督だった。
 「宮崎駿は凄いぞ」……というのは業界内評価やアニメファン界隈内評価でしかなかった。「あれだけすごい人なのに、商業的には恵まれない」……と言われ続けていた。
 それが『もののけ姫』の時に戦略的に「巨匠」として売り出し、これが大成功して、一気に国民的作家になっていった。今ではかつて「いまいちパッとしない不遇の作家だった」といっても若い人には信じてもらえないくらいだ。
 もう一人、新海誠も「凄い作品を作るけど、マニア向けで知る人ぞ知る作家」止まりの人だった。それが『君の名は。』を切っ掛けに一気にメジャーになって「国民的作家」になり、そのまま世界に飛び立っていった。
 ただ新海誠はメジャーになって以降は、明るい祝祭感の強い作品ばかりになってしまった。その以前のビターな作風が完全に消えてしまった。今はメジャー作家であるために、より多数の観客に向けた甘い作品ばかり期待され、そしてその期待通りの作品を作るようになった。一度メジャー作家になってしまったがゆえの……というやつだ。「売れる」ということはなんとも難しい。

 宮崎駿や新海誠は才能も実力もあって努力もしている。むしろどうして売れなかったんだ……というくらい。こういう人が売れた……というのは「売れるべくして」というやつだ。宮崎駿は鈴木敏夫というプロデューサーとの出会いがあって、新海誠は川村元気というプロデューサーとの出会いがあって、一気に道筋が開いた……という感じだった。

 宮崎駿や新海誠くらいの実力ありすぎる作家になると、逆に売れるのが当たり前。むしろ今まで不遇だったことが不思議なくらい。でも漫画やアニメや映画の業界、そういう「すごい実力を持っているけど不遇の作家」はわりといる。凄い人なのに、知られていない……そういう人はたくさんいる。「こんなに凄いのに、どうして売れないんだ!」という人はそこかしこにいる。そういう人たちがいつ売れるようになるか……というのは「運」次第。「よくわからない」が答えだ。最後までそういう運が巡ってこない……そういう人だっている。

 ときどき言われていることに、「ヒットしている○○みたいな作品を書けばいいのに」……というのがある。売れたいんだったら、大ヒットしている○○みたいな作品を書けばいいんだよ……そんなアドバイスを言う人はわりと多い。
 今だったら「『鬼滅の刃』みたいのを描けば売れるんじゃない?」とか。創造性のない人ほど、こういうことを言いがちだ。でもこれは考える限り、「アウト」は話。
 まず第一に、「大ヒットしている○○みたいな作品」を書いたところで二番煎じにしかならない。最悪「パクリ」という悪評を受ける。
 これを書いているごく最近、スクウェア・エニックスの作品でこういう映像が出た。

『FOAMSTARS』アナウンストレーラー

 業界大騒然である。え……『Splatoon』のパクリじゃ……?
 といってもこちらは「泡」。塗り重ねることで地形がどんどん変わっていくから、実際に手に取ってみたらぜんぜん違うゲーム性だったりするんでしょう。それに泡の中に隠れる……という要素もない。発売されたら、意外と面白い……とそれなりに売れるかも知れない。今では人気作の『原神』もファーストトレーラーの時は映像イメージも編集も『ブレスオブザワイルド』にそっくりに作られて、「パクリだ!」とさんざん言われたものだ(あれは広報スタッフが悪い)。あれも実際やってみると、まるっきり違うゲーム性の作品だった。
 でも『FOAMSTARS』の場合は……ひょっとすると上司から「うちでも『Splatoon』みたいなゲームを作るぞ!」みたいに言われたんじゃないかな。

 これが「大ヒットしている○○みたいな作品を書けばいいのに……」の末路。こうなるからダメ。「売れたいんだったら『鬼滅の刃』みたいな漫画描けばいいんだよ」……それ、ただの「パクリ」と言われるだけです。
 売れたいんだったら、今の時代にある作品と可能な限り違うものを作ったほうが良い。これだけは間違いない。「よく似た作品」というのは、一番良いやつは評価されるけど、それ以外はまるごと淘汰されるのである。
 それでも、世の中のバカな上司というやつは、「うちでも大ヒットしている○○みたいなやつを作れ」と予算を付けて指示を出してくる。作る側はどこかしらの、従来作品と違う何かを足そうと頑張る。でも結局は二番煎じ的なものにしかならない。会社の指示だから逆らえない。宮仕えはしんどい……というやつだ。

 件のラジオでは、「売れるんだったら、やっぱりイケメン・美女であったほうがいいのか」という問いもあった。
 まあ、そりゃそうでしょう。今は「見た目主義」の時代。はっきりいえば、実力もさほどないのに、見た目が綺麗、見た目が可愛い……というだけで売れていく人もいるくらい。見た目がいい人ほどチャンスが得られる……というのは間違いない。

 でも、実はそこまで見た目にこだわる必要もないかな……という気がしている。
 たとえばウィレム・デフォーという俳優さん。

 イケメンじゃないよね。でもこの顔を見ると、安心するんだ。ああ、この人が出ているんだったら、きっと良い映画だろうな……という信頼感。「職人の顔」なんだ。むしろ格好よくも感じられる。
 そういう、「この人が出ているだけで安心感」がある俳優……というのは時々いる。アンソニー・ホプキンスやロバート・デ・ニーロ、ダスティン・ホフマン、ジャック・ニコルソン……。みんなイケメンじゃない。でもどうにもならないくらいの魅力を持っている。そういう人達の方が実は長く生き残れる。
 でもウィレム・デフォーの作品が最初からこんなに信頼感があったわけはないんだ。といってもウィレム・デフォーの初期作品知らないけど……。おそらくは色んな苦労を経験してきたんだろうけど、今じゃこれだけの地位を築いてきた。そうした過程で、だんだんこの顔を見ると、むしろ安心するというくらいの信頼を獲得できるようになってきた。逆にこの顔じゃなきゃ……と感じられるくらいに。
 人はなにかを極めていく……という過程でだんだん「職人の顔」になっていくもの。宮崎駿も若い頃は残念ながら顔はあまり……だった。女性社員からもぜんぜん人気がなかった、というくらいだ。でも白髪になって何かを極めようと修行を続けるあの顔や姿を見て、むしろ格好いいと思えるようになった。物事を極めると、自然にああいう顔になっていくものなんじゃないだろうか。
 そういう意味で、見た目の美しさ……というのはさほど気にする必要もないかな、という気がしている。

 若い頃の宮崎駿と先輩の大塚康生。見た目は……だった。

 確かに若いうちは美形で生まれついた方がいろいろお得というのは確かだけど……一方で悪目立ちもする。
 実力も付いていない状態で表舞台に立たされる。実力をしっかり身につけないと、人気に翳りが出た途端、一気に仕事がなくなる。
 それに綺麗な人って逆に言うと「特徴のない顔」でもあって、見分けが付きづらくなるんだ。最近のアイドルはやたらと人数が多いが、私みたいなおじさんが見ると全員同じ顔に見えてしまう。同じ顔に見えてしまうのは、美人ほど「平均顔」に近いからだ。つまり、顔つきが似通ってくる。そのうえに最近のアイドルは数十人の大所帯になって、さらに同じタイプの顔を集めている。見分けが付きにくいのは、ある意味当然の話だ。
 声優の話だと、ポッと出たばかりの若い子ってみんな同じ声に聞こえてしまう。キャリアが5年10年経ってくるとだんだん個性が出てくるんだけど、「見た目が可愛い」で出てきた声優さんは困るほど個性がない。
 そのまま個性を見いだせず、しかも実力も付かず消えていく子もいる。「見た目」よりも「個性」、さらに「実力」が大事。年を取っていくほどに、重要なポイントが変わっていく。「見た目」一本で何年も勝負していくことはできない。見た目以上に個性と実力の方が大事、という時がやってくる。

 それでも売れるかどうか……はよくわからないのがこの世界。見た目がよくて高い実力があったとしても……売れないときは売れない。やっぱり究極的には「運」が必要になってくる。
 ただし「運」だけで売れていく……ということだけは絶対にない。これだけは言える。運なんてものは使い尽くしたらなくなるもの。そんなものに人生をかけるのは危ない。
 それに、運に頼らず、「売れる確率」を高めて行く方法が間違いなくある。それはひたすら研鑽すること。目一杯実力を付けていけば、「当たる」確率は自ずと高まっていく。宮崎駿や新海誠のように、いつかは「売れるべくして売れた」という状態になる。結局言うと、運に任せず努力が一番大事……って話になってくる。
 見た目よりもやっぱり実力が大事。積み上げたものがその人の土台になる。その土台がない人が売れ続ける……ということだけはない、と断言できるから。
 でもやっぱり、最終的には「運」次第だけど。


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