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ドラマ感想 ロード・オブ・ザ・リング:力の指輪 第1話感想 中つ国第2紀の世界観

 このドラマが始まるのをずっと待ってたんだ。もうずっと楽しみで楽しみで……。

 私の『指輪物語』履歴はどんな感じかというと、原作『ホビットの冒険』と『指輪物語』を2回通して読んで、劇場版『ロード・オブ・ザ・リング』と『ホビット』を音声解説、メイキングすべて見た……というくらいの“にわか”。
 なんでこれだけ見ても“にわか”なのかというと、『ガンダム』でいうところの、最初の『ガンダム』しか見ていないような状況だから。第3紀中つ国についてはまあまあ知っているけれど、それ以外の知識はほぼゼロ。今回、「第2紀を映像化する」と言われても、「え? それっていつの話?」みたいな感じ。第3紀の3000年前のお話らしいが、その頃の中つ国がどんな様子だったのか……とかこのドラマを観て始めて知る……というような状態だ。

※ 時代区分について
第1紀 4092年まで続く。エルフ、人間が目覚め、モルゴスとの戦いが終結されるまでの時代。
第2紀 3441年まで続く。サウロンがギル=ガラドとエレンディルの同盟軍によって滅ぼされるまでの時代。
第3紀 3021年まで続く。指輪戦争終結まで。

 というわけで、今回の感想文は自分に向けた備忘録的な内容になります。なにしろ登場人物すら把握していないので……。
 それから、ピーター・ジャクソン版『ロード・オブ・ザ・リング』の話をするときは、「第3紀の時代」あるいは「指輪戦争の時代」というように表現します。

 プロローグで描かれるのは「ヴァリノール」と呼ばれる場所。
 この画像はドラマ版『ロード・オブ・ザ・リング』が制作されると発表されたとき、最初に公開されたものと同じものだ。
 私はこの風景を見て、ゴンドールの王都である「ミナス・ティリス」と勘違い。最初に見たときから、「似ているけど、なんか違うな?」とは思っていたけれど、これはまったく別の場所。かつてあったとされるエルフの都だった。

 このヴァリノールがなんなのかというと、「天界」。人間界とは違う世界。人間界からすれば、ヴァリノールなんてものが果たしてあるかどうかもわからない。エルフがそういう世界からやってきた……と説明されている場面である。
 しかしこの天界を、やがて忌まわしきものが穢してしまう。それがモルゴスだった。

 幼女時代のガラドリエル。浮世離れした天使的な美少女。めちゃくちゃに可愛い。ガラドリエルの幼女時代がこんな感じだったなんて、なんか驚き。実は人間が演じているなんて、信じられないくらいの天使性。
 これも今回のドラマで初めて知ったのだけど、ガラドリエルは天界であるヴァリノールの出身だった。エルフが天界にいた頃の記憶を持っている人だったんだね。

 しかしモルゴスとの戦いは激しく、エルフ達はヴァリノールを離れて、はるか東方の「中つ国」に移住する。
 少し不思議な話だけど、この時代はまだ天界と人間の居住区は地続きだった。といっても地図で見ると中つ国一つぶん以上離れているし、さらに……。この説明は後にしよう。

 エルフとモルゴスとの戦争は激しさを極め、そこで多くのエルフ達が命を落としていく……。
 ガラドリエルの兄も、この戦争の最中、この世を去ってしまう。

 成長したガラドリエル。
 おー、ケイト・ブランシェットに似ている。ケイト・ブランシェットを30歳若返らせるときっとこういう顔だろうな……という感じだ。いい女優さん見付けてきたな……。
 若いときのガラドリエルは血気盛んなエルフ戦士だった。第3紀の時代では「統治者」としての淑やかなガラドリエルになっていたから、若い頃がこんな姿だった、ということに驚き。

 サウロン様。第3紀の頃と同じ姿で描かれている。2001年に制作された映画版を尊重していることがわかる。
 サウロンはモルゴスの配下の1人。モルゴスが倒された後、サウロンが闇世界の支配者となっていた。サウロンは闇勢力の残党をかき集めて、新たな勢力を結成する。

 ところがサウロンとオーク達はその後、忽然と姿を消してしまう。

 兄の死によって、「サウロンを絶対に葬る」という誓いを立てたガラドリエルは、サウロンとオークの行方を追って中つ国中を探索する。
 しかしサウロンとオークの軍勢を見付けることができず、地の果てまで探索し尽くしたにも関わらず、とうとう発見できずに帰還する。
 旅の最中に手がかりを見付けていたガラドリエルは、「間違いなくサウロンはまだいる」と主張するけれど、誰も信じてくれない。というのもサウロンが姿を消して、平和な時代は1000年も過ぎている。「50年や100年は一瞬」というエルフでさえ、「もうどこかで死んだんじゃないか……」と考えるほどの時間だった。

 半エルフのエルロンド。
 うーん、こっちはあんまりヒューゴ・ウィーヴィングに似ていない……。面影があるといえばあるけれども……。
 第3紀の時代では、エルロンドはなぜか『マトリックス』のエージェント・スミスに顔がそっくりになる(なぜエージェント・スミスにあそこまで似ているのかよくわからないんだけど。偶然って怖いなぁ)。あの顔になりそうといえば、なりそうだけど……。

 エルロンドには人間とエルフのハーフで、実は双子の兄がいる。兄のエルロスは「人間かエルフか」を選択肢するとき、人間を選び、ヌーメノール最初の王となった。エルロンドはエルフを選び、不滅の命を過ごすことになった。
 ……へー、そんな設定があったんだ。それでヌーメノールの末裔ってあんなに長寿だったんだ。これも初めて知った。
 このヌーメノールの生き残りがドゥーネダインの一族となり、その末裔が指輪戦争の英雄・アラゴルン。それじゃエルロンドとアラゴルンって遠い遠い親戚の関係だったんだ。知らんかった。

 冠を被せようとしているのがエルフの上級王ギル=ガラド。
 エルフにも上や下というものがあって、例えばレゴラスは「闇の森」出身。エルフの中でも粗野なタイプ。レゴラスはエルフにしてはフランクなところがあるが、そういう出身だったってこと。
 ギル=ガラドはエルフの上級王と呼ばれた人の中でも最後の人となる。ただその出生に関しては謎が多い。中つ国研究家であるトールキンは、いくつかの資料を発見しているが記述に食い違いがあって、不明瞭になっている部分がある。

 上級エルフの都、リンドンのとある風景。
 谷の絶壁に沿って、歩道がずーっと作られている様子が描かれている。

 西洋の庭園と日本の庭園とで考えの違いがあって、西洋の庭園ではオブジェに苔が付いたら「汚い」と考えて剥がしてしまう。でも日本の庭園ではオブジェに苔が付いたら、それも「風景の一部」としてそのままにする。西洋の庭園というのは徹頭徹尾「人工」の世界。自然を人工の世界に変えることこそが目的になっている。
 一方、日本の庭園も丁寧に手を加えるものの、自然が風景を作り出したら、「それもまた良し」という具合に、そのままにする。

 エルフの建築は日本の庭園と考えが近いところがあって、ツタが絡んでも落ち葉が入り込んでも、基本的にはそのまま。人工物に自然が浸食してきても、「それも一つの眺めだ」、とするところがある。
 エルフは森や崖といった自然が旺盛なところを好んで住む傾向があるのだけど、もともとの自然を破壊しないよう気を遣い、街を建造する。建材の確保のためにある程度の伐採はするが、自然を侵食してまで街を築こうという考えがない。
 エルフ建築といえば、アーチが編み込み状になっているのが特徴だが、これは見ての通り、自然の樹木の枝振りを参考にしている。自然の風景を様式的に整えたものが「エルフ様式」だ。
 もう一つ、特徴として考えられるのは、エルフの一族が住んでいる場所は、やや寒冷な地域だ。イギリスの自然がベースになっているのだが、いわゆる「ブナ林帯」と呼ばれる自然観だ。エルフ建築の瀟洒な雰囲気は、ブナ林帯という自然観が影響しているかもしれない。もしも日本のような照葉樹林帯だったら、柱はもっと太く、アーチの編み込みは複雑になったかも知れない。

 ただしエルフたちは天界からやってきた半分天使のような存在だから、こういう建築に住めるのであって、人間がこんな雰囲気の建築を作ると蜘蛛の巣が一杯絡んでくるし、雨風は防げなくてそこまで快適なものではないだろう。あくまでもエルフ達ならではの建築だ。

 上級王ギル=ガラドはガラドリエルの長年の功労に敬意を払い、東方のヴァリノールへ行くことが許される。
 これはどういうことかというと、エルフというものは寿命がないため、人生を終えるためには自分から天国へ行くことになる。ある意味の「死」なのだけど、でも人間の考える「死」とはまた違う……というのが難しいところ。
 そもそもエルフには「死」という概念すらなかったが、モルゴスとの戦いで初めて「死」を認識し、中つ国へと舞台を移して戦争をしなければならなくなっていった……というのもなかなかすごい設定だ。

 でも具体的に「ヴァリノールへ行く」……ということがどういうことなのか……。正直なところ、よくわからなかった。その謎めいた瞬間を、今回のドラマが初めて映像にしている。
 東方へずーっと航海を続けると、空間がバッと開いて、ヴァリノールへ行ける……という映像だ。非常に神秘的。
 サウロン捜索をし続けた一行と、ガラドリエルがヴァリノールに招待されている。随伴している巫女も一緒に行くことになっている。人間の考える「死」とは違って、ヴァリノールへ行くということは古里への帰還であるし、「終わりなき安らぎ」の場所へ行くということであって、それはエルフ達にとって誉れであるし、エルフ達が心から願っていることだった。
 エルフの生と死の概念が人間と違うので、ここがわかりにくいポイント。とにかくもこの物語の時代というのは、天国へは船に乗っていける地続きの場所だった。その天国への扉は、第3紀の最後で閉じてしまい、天国は神話の中だけの世界観になってしまう。
 その最後の船に乗ったのは、フロド、ビルボ、ガンダルフ、ガラドリエルの4人であった。

 ところがガラドリエルはヴァリノール行きの船から飛び降りてしまう。
 まだここで果てるわけにはいかない……自分の使命は終わっていない。
 この飛び込む姿のフォームがまた見事で……。よくこんな映像撮れたな。
 私はこの場面にちょっと感動しちゃって……。というのもガラドリエルは後の第3紀、指輪戦争の終結を見届けて、最後の船に乗って中つ国を去っていく……。どうしてガラドリエルは指輪戦争を見届けるまで、最後の最後まで中つ国に留まっていたのか。統治者としての責任感からか。そうではなく、この時に決意した「兄の仇」をずーっと想いとして抱き続けたからだった。だからエルフにとっての誉れであるヴァリノール行きをなげうってでも中つ国に戻り、自分の使命を果たそうとしたのだ。
 それで、3000年後、ようやくサウロンの死を見届け、モルドールの最期を見届け、安心してヴァリノールに去ったのだ。ここまでの流れがわかってくると、ガラドリエルに長い長い物語があったんだな……ということがわかって、改めて指輪戦争の物語を見ると感動ポイントが増えるシーンだ。

 ところでトールキン先生は『指輪物語』という作品を通じて、何を描きたかったのか。それはイギリスの「創世神話」だった。イギリスには創世神話というものがない。例えば日本には『古事記』の中で神々の長い物語が描かれ、その最後で神が人間としての姿を持つようになった。神の世界から人間の世界へ移っていく物語が存在している。
 しかしイギリスの成立は、1万年ほど前、ゲルマン民族から分派した一族がブリテン島に侵略し、先住民を虐殺してその島の主になった……というのが経緯だ。創世神話というものがない。(その先住民達にはきっと「創世神話」があったはずだった)
 この時、虐殺し、海へ沈めてしまった人々をイギリスの伝承では『ティル・ナ・ノーグ』と呼ばれ、死んでいった人を神として崇めることにした。これがヴァリノールの元ネタとなる。
 トールキン先生はどこの国でも必ずある創世神話を『指輪物語』の中で描こうとした。だから最初に神々の世界であるヴァリノールがあって、それがやがて中つ国の物語へと移っていく。(日本の神話に「高天原」があるように、『指輪物語』ではそれがヴァリノールということ)
 この神と人間の時代の両方に足跡を残すエルフという種族の創造は、実に見事だった。
 この時代の中つ国は、いわゆる「人間世界」とは違って、天界からやってきたエルフもいるし、闇世界の魑魅魍魎もいるし、人間ではなく様々なものが同時に存在する……そういう混沌とした世界観だ。(これを「正しいファンタジー世界」と呼ぶ)
 しかし第3紀・指輪戦争の後、闇世界の魑魅魍魎は滅ぼされ、天界からやってきたエルフ達はヴァリノールに去り、その扉を永久に閉ざして、そこから人間界としての歴史が始まった……というお話になっている。神秘も魔法も存在しない、人間世界の始まりだ。日本の『古事記』でいうところの神武天皇のお話が始まった……みたいな終わり方をしている。
 要するにトールキン先生は、「神話」が「歴史」に変わっていく過渡期のできごとを、物語として小説として描き起こしたこと。これが究極の功績だった。
 第3紀の時代ではもう天界・ヴァリノールのことなんてほとんど語られてなかったが、第2紀の頃はまだ地理的に地続きみたいな感じになっている。ただ、「分かちの海」という特殊な空間があって、おそらくそこは人間には通行できない領域。まだ神話の世界が人間世界の近くにある……そんな世界観だ。この分かちの海が消失してしまった後、東へ航海すると世界を一周し、西に巡ってくるようになったのだという。

 中つ国に住んでいる他の人たちの様子も見てみよう。
 ハーフットと呼ばれる種族だ。1メートルそこそこの小人族で、後のホビットと呼ばれる人たちの御先祖となる。この頃はまだホビットという名前もなく、東方の安息地を発見するまでは移動型の生活をしていたようだ。
 元ネタとなっているのは「ノッカー」と呼ばれる小人の伝承で、ノッカーは隠れるのが得意で、人間の気配を感じるとさっと身を隠す。そのため、めったに人間の前に姿を現さないのだ……と語られている。その伝承のノッカーみたいな暮らしをしているのがハーフット達だ。
 映像を見ると、人間が近付くと建物の入り口をパタンと閉じてしまい、すると自然の風景に紛れるようになっていて、近付いてよーく覗き込んでみるまでそれが何者かの住居であることがわからないように作られている。

 映像から、ハーフットたちの暮らしを見てみよう。
 コミュニティの中に「畑」がない。農業生活をしていない。家畜も飼っていないようだ。台詞の中でもどうやら本当に農作はしていないらしく、その代わりに周囲の自然が非常に豊かで、そういう豊かに実っている場所を移動しながらの生活をしているようだ。ハーフットたちの様子を見ても、栄養状態は非常に良さそうで、この時代の自然環境が豊かで食べ物に困らない生活を送っていることがわかる。

 蔓草を加工して作られたランタンが吊されている。中の明かりはなんだろうか……と疑問だったが、第2話でホタルが一杯詰められていることが明かされた。
 ホタルって数日で死ぬものだけど、そのつど採取しているのだろうか……。
 ランタンはある種、ホタル専用虫取り籠のようなもので、表面を薄い紙で覆っている。

 ハーフットの長・サドク・バロウズが本を広げている場面。
 まずいって本があることに驚きだが……。紙はあまり薄くないし、相当皺がよっていて品質はよくないが、紙を生産する能力があることが示されている。ランタンの紙も同じ方法で制作されたのだろう。
 それにしてもこの本の紙質がいい感じに作られていて、おそらく紙職人がこんな雰囲気の物をオリジナルで作り、そこでインクとペンで本の中も作り込んだのだろう。この作り込み具合がなかなか凄い。制作スタッフ入魂の小道具だ。

 本があるということは、ハーフットの文化が口語で伝承しきれないくらいの文化観・歴史観をすでに持っている、ということの証でもあるが……。
 中身をよくよく見ると「文字」ではなく、「象形文字」の連続。まだ文字を作り出すほどじゃないんだな……。
 とはいえ、おそらく全てに意味があるものをここで独自で作り出すってのも凄い。

 自然に密着した暮らしを送っているハーフット達だが、よくよく見ると少ないが鉄器を使用している。ただ鉄器はどれも錆びているし、刃物などを研いでいる様子も描かれている。どうやら鉄はハーフットたちにとっても貴重品らしく、いつでも生産できるもでのはなく大事に大事に使っているようだ。
 映像を見ても鉄を加工するような炉が見当たらず、もしかしたら別のハーフットのコミュニティにはそういう鉄の生産を専門にしている一族がいたりするのかも知れない。鉄を作るには相応の森林伐採が必要だが、このコミュニティの中にはそういう設備は見当たらない。
 そうでなければ、ひょっとすると別部族との交流……例えばドワーフと交易とかしているのかも知れない。
(……いや、ドワーフならもっと精巧な鉄加工品を作るか……)

 ノーリの父親は車輪制作職人だという。そのノーリが作った車輪を見せている場面がここ。
 ハーフットの建築を見ると、柱やテーブルを見ても、切り出した板材をあまりきちんと整えていない。映像を止めて見ても「釘」が見当たらず、椅子の脚も、プラモデルのように組み立てているような感じだ。
 ただ、それでも「板」は存在するから、少なくともノコギリはあるはず。さらに車輪を作っているし、外輪を留めるための「鋲」が打ってある。ハーフットはある程度の鉄を使っている……ということがここでわかる。

 ハーフットの主人公がこの2人。ノーリとポピー。
 右がノーリことエラノール・“ノーリ”・ブランディフット。左がポピーことポピー・プラウドフェロー。
 2人の顔を見ると、フロドとサムを思い出すよね。

 ノーリ役の女の子が可愛い。
 ハーフット文化はよく作られている。狩猟もやっていない、農業もやっていない、文化の中でも初期段階にある小規模血縁社会だ。でも小規模血縁社会ってリアルに作り込みすぎると、正直なところ、あまり映像映えしないんだ。そこまで清潔じゃないからね。
 でもハーフットは人間ではなく、ある種の妖精。リアルなところとファンタジーなところをうまく組み合わせて、文明社会に毒されていない、素朴だけど洗練された美意識を持った種族を創造している。花や草木を髪飾りに使っている姿は、どことなく伝承に語られる妖精のようにも見えてオシャレだ。肌は綺麗じゃないし、服も洗濯していないって感じが出ているのだけど、でも不潔ではなく、愛らしく感じる種族に見えるよう工夫されている。むしろホビットよりも伝承の妖精っぽく見える。

 おや? ちょっと待って。籠の中にニンジンとタマネギが入っている。あれ? ってことは農業やってるのか? ニンジンやタマネギって天然でできるものなのかな……。
 たしか、逆三角形型のニンジンは後の品種改良によって生まれたもので、もとはヒョロヒョロとした細い作物だったような気がするけど……。

 さあ3つめの勢力は人間達だ。藁を刈り込んでいる様子だけど……農業についてはよく知らないので、どういう光景なのかわからない。
 小規模の村だけど、よく作り込まれている。ここまでよくやるなぁ……。

 人間界の様子。どうやら酒場兼食堂のようだ。昼間の風景なのに、極端に暗い。エルフ界、ハーフット界が明るく描かれていたのに対し、人間はやたらと陰鬱に描かれる。

 ここの人たちはなんなのか?
 「南方人」と呼ばれる人たちで、かつての戦いの時にモルゴス勢力に加わっていた人たちで、第3紀・指輪戦争の時にはサウロンの軍勢になってしまう人たちである。
 確か2003年の映画『ロード・オブ・ザ・リング』でも描かれていたはず。この時は「中つ国は後のヨーロッパのことであるから、南方人はきっとアジア系だ」と解釈されてちょっとインド人っぽい風貌として描かれていたと記憶している。
 南方人についても原典である『指輪物語』にもほとんど記述がなく、今回のドラマ化によってやはり初めて映像で、物語で描かれる人たちだ。
 エルフやドワーフやハーフットたちと違い、人間は悪しき性質に陥る素因が強く、特に南方人はその傾向が強い人たちなので、南方人を描くときはやたらと暗く描かれる。

 そんな南方人の中にも善き人というのはいて、それが治療師のブロンウィン。
 美人は美人だけど、エルフやハーフットたちと違って妙に生々しい感じというか、一番現実にいそうな雰囲気として描かれている。
 そんなブロンウィンとロマンスを築くのが黒人エルフのアロンディル。アロンディルは森のエルフの一派で、務めを果たし終えた後もヴァリノールへは行けないという。エルフの中でも差別はあるのだ。

 窓際の作業場。この風景もなかなかオシャレだ。
 西洋諸国では薬草の秘術は主に女性に伝えられていった。しかしそういう薬草の秘術を持った女性達は、やがて時代の変わり目に「魔女」として葬られてしまう。時代の変わり目が来たときに、若い世代から「あの草をゴリゴリ砕いている不気味な雰囲気の女はなんだ」と奇異の目で見られて、そのうち「いわゆる魔女ってやつじゃないか」と囁かれるようになり、裁判にかけられてしまったのだ。

 ひぇ、すごい。ここはエルフ達の砦で、ここから南方人の暮らしを俯瞰して眺められるようになっている。
 その見張り塔周辺が、本物の木彫りだ。こんなのよく作ったなぁ……。このドラマの本気っぷりがよくわかる。
 背景はCG合成だけど。
 映像の一番奥に見える山はどこだろう? この辺りの地理ってよくわかんないんだよね……。中つ国の地図と整合性を取ってこの風景を作っているはずだけど……。モルドールの滅びの山……ではないよなぁ? 滅びの山は険しい岩山に囲まれているから、こんな感じには見えないはず。

 モルゴスとの戦争を終えているが、エルフ達はその後も南方人たちを警戒して監視下に置いていた。それだけではなく、南方人がその後も生活していけるように指導・援助もしている。もともと荒野だったこの地を切り拓き、畑を作り、生活し続けられるところまで面倒を見ている。
 どうしてそんなに面倒を見ているのか……というと「生活に苦難があるから悪しき者の誘いに乗ってしまうんだ」という考えの下、生活を援助し、独力で土地を切り拓き富を築けるところまで導き、そうすれば悪しき者に誘われてもなびかなくなるはずだ……とエルフ達は考えたのだろう。
 まあ、結局南方人はサウロンの軍門に下ってしまうんだけどね。
 そんな未来が来ることを知らず、エルフ達は南方人の暮らしも安定し、悪しき誘惑ももうないとみなして、この地からの撤退を考えていた。

 最後にちらっと出てきたエントたち。……ひょっとしてエントの女だろうか? 第3紀の頃にはエントの女は行方不明になっていて、あまりにも長い期間誰からも目撃されてないから、エントの女がどんな姿なのかエントすらもわからない……という状態になっていたが。

 という第1話だが……なんとお話がまったく始まらない。ずーっとプロローグだった。プロローグが1時間も続く、ちょっと変な作品だ。
 実は2001年の映画『ロード・オブ・ザ・リング』も最初はずーっとプロローグでお話が始まらなかった。あれでもまだ原作をうまくまとめているほうで、原作は前半200ページくらい読まないとお話が始まらない(原作はそれで脱落しちゃう人が多かった)。
 こういうお話構成になるのも、もともと『指輪物語』があまりにも壮大だから。私たちとはまったく接点のない世界でのお話で、読者の誰にも了解できる前提というものがなく、物語をスタートさせる前に、説明しなくちゃならないものがあまりにも多い。
(「読者の誰にも了解できる前提がない」……というのは、「こういう世界観です、みんなご存じですよね」という作者と読者の間で共有できる知識がない状態のこと。例えば「異世界転生もの」はここではない架空世界のお話だけど、「異世界転生もの」というテンプレート設定は存在していて、それは作者にとっても読者にとってもお馴染みのものなので、世界観の説明をせずにいきなりストーリーをスタートさせられる。『指輪物語』はそういう前提が一切ない世界観での物語、つまり完全なる独創・オリジナルの世界観だから、説明しなくちゃいけないものが多い。しかも今回のドラマ版はトールキン先生もほぼ描いていない物語。より説明しなくちゃいけないものが多くなる。こういうのが本物のファンタジー)
 ある意味、映画版よりも原作準拠的な内容になっている。
 願わくば、この第1話で脱落してしまわないこと。面白いのはここからなんだから……。
 幸いにも、おそらくAmazon側もそういう内容であるという自覚はあって、1話と2話が同時公開になっている。第1話で脱落せず、ぜひとも第2話も続けて見てほしい。第2話に入って、いよいよ物語が動き出すから。第1話で寝ちゃダメよ!

 さて、ドラマ版『ロード・オブ・ザ・リング:力の指輪』で一つ気になったことは2001~3年版映画『ロード・オブ・ザ・リング』の制作スタッフが参加していない。ピーター・ジャクソン監督も不参加だし、アラン・リーとジョン・ハウすらいない(WETAの名前は発見することができた)。ロケーションはニュージーランドだが、旧作に関わった人たちの名前がない。
 ピーター・ジャクソン監督はどうやら企画の初期段階には加わったが、その後、手を引いたようだ。こういう話を聞くと、「『力の指輪』のスタッフとなにか諍いが?」と想像しそうだが、そうではなく、ピーター・ジャクソンの個人的な精神的な問題だったらしく……。映画『ロード・オブ・ザ・リング』の撮影はあまりにも過酷だったので、あんな経験はもうしたくない……そうで。今でも映画を観ようとするとあの時の苦労を思い出して、落ち着いて映画を観る気持ちになれないとか。それで催眠療法で「記憶を消してもらおう」とまでしたとか……。ちょっと精神障害っぽい話が出ている。本当に過酷だったんだろうな……。
 IGNではピーター・ジャクソン不参加を「トールキンの遺族がピーター・ジャクソンを嫌っているからじゃないか」という予想を立てていた。確かにトールキンの遺族がピーター・ジャクソン版の映画を批判的に見ていた……という話は一時メディアに出て騒がれていたが、私の見方ではこれは違うだろう、と考えている。
 理由はシンプルで、トールキンの孫であるサイモン・トールキンが『ホビット』に出演している。衣装を着て、かなり目立つシーンに出ている。映画出演までさせてもらって、映画が終わった後、ピーター・ジャクソンの映画を非難している……? そんなことあるだろうか?
 要するに、トールキンの親族は1人ではなく、トールキンの親族全員がピーター・ジャクソンの映画を否定しているわけじゃない、ということだ。中にはそういう人もいる、というだけの話。報道ではあたかも「トールキン遺族全員が……」みたいな書かれかたをしたが、あれは嘘だ。
 ちなみに、サイモン・トールキンの名前は今回のドラマ版クレジットにプロデューサーとして名前が載っていた。トールキンの原作の映画化に積極的な親族もいるのだ。
 旧作『ロード・オブ・ザ・リング』のスタッフはほぼ関わっていないドラマ版『力の指輪』だが、ちゃんと旧作の映画のイメージを踏まえて、あそこに繋がるようにできている。旧作を尊重しまくっているのがよくわかる内容だった。新作スタッフと旧作スタッフとの間に対立があったわけじゃない……ということは映像を見ればわかる。
 ちゃんと精神的な繋がりがわかる作り。しかもクオリティは異常なほど高い。最近見たドラマの中でも、私としては1番のお気に入り作品になった。

次回


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