見出し画像

2月14日 人間の脳はドアをくぐった瞬間にリセットされる――『ドアウェイ効果』

用事があって部屋に入ったにもかかわらず、その用事がなんだったのかを忘れてしまった、という経験がある人は多いはず。このような出来事は「ドアウェイ効果」や「位置更新効果」と呼ばれており、現実のドアだけでなくバーチャル空間のドアをくぐった瞬間にも発生することが複数の調査により明らかになっています。

 あーあるある😅
 「そうだ、あれやっておこう」って思って部屋に入った瞬間、記憶が飛ぶ。あれって【ドアウェイ効果】って名前があったんだ。

 ここから私の個人的な経験の話をするんだけど、どうやら人間は「意識」が切り替わった瞬間、脳内にインプットしていた内容をリセットする……という習性があるんじゃないか、という説を考えている。
 例えば、ものすごく集中して物事を考えていたけど、その集中が一瞬途切れたら「はて? なにについて考えてたっけ?」ってなる。そういう「意識の切り替え」を環境ごと行うと、やはり「はて、さっきまで何について考えてたっけ?」ってなる。
 例えば、帰り道、「家に着いたらアレをしよう」……と考えていたのに、家の玄関をくぐった瞬間、忘れる。逆もある。「アレを買いに行こう」と思って家を出たのに、家を出た瞬間、忘れる。

 一時、テレビで「アハ体験」ってのが流行ったことがある。ある画像が、別の画像にゆーっくり移り変わるのだけど、それが1分とか2分とかかけて移り変わると、明らかな変化があるのに気付かない……というものだ。これと同じパターンのやつで、2枚の画像をパッパッと切り替わるのだけど、その切り替わる間に真っ黒の画面を1枚挿入する。このたった1枚挿入されるだけで、2枚の画像に明らかな変化があるのに、それがなんなのかわからなくなってしまう。
 最近はYouTubeで動画を見ているのだけど、最近の人はずっと喋っているだけの動画では間が持たないので、間に「イメージ映像」をポンと入れている人がいる。こういう動画を見ていて気付いたのだけど、「喋っている人の画面」から「イメージ映像画面」に映る瞬間、見ている側に「意識の断層」が生じる。イメージ映像に切り替わった瞬間、一瞬「あれ? なんだっけ?」ってなりそうになる。
 私はこうやって長い文章を書くのだけど、ずーっと集中し続ける……なんてことはできない。ふとした拍子に、いつの間にか思考が執筆とはまったく関係ないところにいってしまう。おっと、いけない……と意識の中を切り替えようとするのだけど、その時には「はて? 何を書こうとしていたんだったか?」ってなってしまう。こういう文章を書いているときも、そういう「はて? 何を……」というのを何度も繰り返すから、もしかすると当初のプランと違うものを書いちゃってるかも知れない。最初に書こうとしたものなんてもう思い出せないから、果たして自分が書こうとしていたとおりのものを書けているのかは、私にすらわからない。

カール・ビューラー ドイツの心理学者。アハ体験を提唱した。英語圏では「エウレカ現象」と呼ばれている。

 こういう「意識の断層」のようなものを体験しているのは、私だけ……ではないはず。たぶん。みんなそうでしょ? こういうポンコツ行動は私だけじゃないと信じたい。

 私の仮説は、人間の脳には「脳内RAM」あるいは「脳内メモリ」と呼ぶものがあるのだけど、実はそれはたいした容量もないんじゃないか……。
 前にも書いたけど、同じ話を繰り返そう。
 一つの仮定として、もしも人間がコンピューターだった場合、1分間の視覚情報、音声情報をデータ保存しようとすると、何メガ必要か? というお題をAIに投げかけると、音声データ16ビットサンプリングレート44.1KHzとした場合、10メガバイト。視覚情報を720p解像度とした場合、1分間で10~50メガバイト……という答えだった。
 つまり、人間の1分間の行動記録はだいたい60メガバイトである。
 データが少なすぎる……という人もいるかと思うが、私たちはそんなに目がいいわけでもないし、耳がいいわけでもない。最近の人は視力が低いので、720p解像度ほどの情報量すら見えていない……という人もいるでしょうよ。私は耳がよくないので、10メガバイトの音をちゃんと聞き分けている……という自信が無い。
 それで、人間の記憶一時保存の限界はせいぜい3分くらいじゃないか……と考えた。つまり、脳内メモリの容量限界は180メガバイトくらいだろう、と。
 180メガバイトくらいしかないから、側に置いたメガネをすぐ忘れる。コーヒーを入れても、そのまま忘れて気付けば冷めている。部屋の中でスマートフォンをなくす。……なんでこんなポンコツな行動を頻繁にやらかすのか、というとそもそも人類の脳内メモリなんてたいしたことがないからだ……という仮説だ。
 側に置いたメガネの存在を覚え続ける方法はある。それは「ここにメガネを置きました」と脳内メモリを消費し、意識し続けることである。だがこれをやると、目の前の作業の他に脳のタスクを消費するわけだから、集中力は下がる。集中力を高めるためには、むしろ「ここにメガネを置きました」「コーヒーを置きました」なんてことは忘れてしまった方が良い。なにしろメモリが180メガしかないのだから。
 本当に集中したいときは、できるだけ狭い部屋に、部屋の中に余計なものは一切置かず、スマートフォンなんてもちろん持ち込み不可、自分自身と作業すべき道具のみと向き合ったほうが絶対に良い。そうしないと人間は集中力を維持することすらできないわけだから。

 人間の脳の限界はその程度だろう……と考えているので、私は「うっかりミス」をなくすために、できるだけ「思いついたその時にやっておく」ということにしている(手元にスマートフォンがあったら、メールに書いてパソコンに送信……ということもやっている)。「後で」は忘れる。思いついたらすぐ、その時に……そうしないと永久に思い出せないことすらある。

 映画監督の押井守の話。
 押井守監督はとあるイベントに出席したとき、ふっと気付くとイベントは終了していて、知らないところに立ってたという――。
「あれ? 俺なんでここにいるんだっけ?」
 押井守監督はさすがに不安になって、自分が出演したイベントをネットで見て、周りに聞いたりしたけど、なにも問題なかった。普通に出演して、喋って、終わった後は領収書を切って……。ところがその後、記憶がすっ飛ぶ。
 この件について、養老孟司さんに話を聞いたところ、「人間なんてそんなものだ」「人間は大半の時間を人形として過ごしている」という答えだったそうだ。
 人間はいつも自律的に物事を考えて過ごしているわけではない。だいたいの時間を「人形」として過ごしている。どういうことかというと、人間は習慣的に行う行動を「サブ頭脳」である「小脳」で処理している。例えば「歩く」とか「ものを食べる」といった、「どうやってやるんだろう」とか考えずに済むような行動は、サブ脳のほうで処理している。人間はたいていの時間、大脳ではなく小脳の機能のみで行動している。「○○へ行こう」「昼食は○○で食べよう」……日常的などこへ行って、なにをしよう……そういう習慣的な行動は人形として行動している。ある種のロボットのような状態だ。そういうものが人間として自然だという、いや、生き物として自然だという。
 で、そういう最中に何度も記憶や意識がリセットされている。でも人形として行動しているので、意識のリセットには気付かない。むしろ「気持ちの切り替え」として有用に働いている。
 でも時々、ふっと変なタイミングでリセットが入る。その時に「あれ? 俺はどうしてここに? どうやって来たんだっけ?」となる。それでもたいていの人は、脳内の行動履歴を辿って、何事もなく帰るのだけど、リセットそのものに意識を向けると、不安になってきてしまう。

 さて、今回『ドアウェイ効果』というものを知って、そうか、人間の意識は一日の間に何度もリセットを繰り返しているのか……と気付いた。どんな拍子でリセットが起きるのか、それは「周囲の環境が変わった瞬間」に起きる。それは視覚情報につられやすい傾向があるので、「目の前の画面」が変わった瞬間にもリセットが起きてしまう。それこそ、2枚の絵をパッパッと切り替わる間に黒い画像を1枚入れるだけでもリセットされてしまう。
 だからといって「リセットしない」ということもできない。集中力というのは、どんなに頑張っても30分程度が限度。そこで勝手にリセットがかかるようにできている。どんなに集中して勉強や仕事なんかをやっていても、30分ごとに集中力が途切れる。それ以上無理をしても集中力はどんどん落ちる。次第に10分おき、5分おきにリセットがかかるようになるので、休憩を取った方が良い……ということになっている。
 休憩をとる時間も惜しい……という人もいるだろう。本で読んだ知識で正しいかどうか試したことがないのだが、集中力を復活させる方法がある。それは「場所を変える」ことだそうだ。集中力が途切れたら、その都度、場所を変える。そうするとずっと集中力を維持し続けられる……というが。そもそもの話、普通の人はそんなに頻繁に場所を移して勉強や仕事なんかできないって話だ。
(私がこの方法を試したことがないのは、そのため。移動できる場所がない。脳が視覚に釣られやすい性質があるなら、vision proを使えば周囲の風景だけは変えられるが……)。

 おいおい、私たちの脳はなんてポンコツなんだ……。
 脳内メモリをもっと増やして、集中できる時間を増やせないのか。うっかり物忘れを防ぐことはできないのか。……そんなものが意図的にできるようなら苦労はしない。訓練が可能なら、とっくにどこかの学者が発表しているはず。それがないってことは、メモリの限界は生まれつきのもので、増強は不可ってことだ。

 脳を増強する方法は、サイボーグしかないのかな……。
 もしもサイボーグになったとしても、増強したメモリをなんに使うか……だな。ごく普通に暮らしている人はメモリの増強なんて必要がない(普通の人々は脳内RAM180メガで充分! なぜなら意識がリセットされていることに気付いていない人もいるわけだから)。やはり最先端で物事を考え、社会に提唱する必要のある人々……だけのものになっていくのだろう。そもそもそういう人でないと、サイボーグにもなれないだろうしね。


とらつぐみのnoteはすべて無料で公開しています。 しかし活動を続けていくためには皆様の支援が必要です。どうか支援をお願いします。