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7月7日 「○○を見てない奴は人生の半分損してるわ~」というマウント

 ラジオでこんな話題をしていた。

「○○を見てない奴は人生の半分損してるわ~」
 という言葉がある。  あー、いるよね。こういう言い方をして、「それを知っている俺スゲー」みたいな人達。映画でもアニメでも音楽でもグルメでも、こういう言い方をするやつは絶対にいる。
 でもこの言葉の内実はなんなのか。どうしてこう言いかたをするのか……を見ていこう。

 まず私は……言わないかな。というのも、映画の場合、「その時」でないと、それがどんなにすごいのか、ショックなのか、が通じないから。

 例えばスティーブン・スピルバーグ監督『ジュラシックパーク』の第1作目。映画の世界に、初めて恐竜のCGが登場した作品である。この映画の時代は、テレビがまだブラウン管でビデオはVHSだから、解像度は低く、CGの恐竜は本物にしか見えなかった。
 『ジュラシックパーク』を切っ掛けに、映画制作は劇的に変わった。CGを前提にした撮影で、役者はグリーン一色のステージで周囲に何があるのか想像しながら演技するようになったし、撮影が終わったら従来だったら編集作業があって、それから公開……だったものが今は撮影の後に「CG処理」という手間が一つ増えた(ポストプロダクションという)。このCG処理という手間は、今や撮影よりも時間とお金がかかるようにすらなった。
 そういう映画というものが見た目的にも制作的にも変わった切っ掛けが『ジュラシックパーク』だったわけで、まさしく「映画史を変えた一本」で、映画ファンを自称するなら見るべき作品ではあるのだけど……今の時代に初代の『ジュラシックパーク』を見ても、CGシーンにさほど驚かない。当時は本物にしか見えなかったけれど、今の時代に見ると、いかにもCGっていう感じだ。『ジュラシックパーク』をリアルタイムで見た私たちは、「本物の恐竜を見た!」というショックがあって、それが共有意識になっていたのだけど、いま時代の人が見ても、何がすごいのか作品を見ただけではもうわからなくなっているはずだ。

 映画というのは、その時代に見なければならないものなんだ。記録的な大ヒットを飛ばした映画、というのは、その時代に対して何を提示したか……というものがあるから、多くの人々の印象に残ったんだ。『ジュラシックパーク』の場合は、その時代に存在していなかった「CGの恐竜」を登場させたから、みんなビックリした。どんな作品でも同じで、その時代になかった表現が盛り込まれていたから大ヒットした。その時代の社会問題を取り上げて、人々の意識を変えたから大ヒットした。そういった映画が、人々の時代認識を書き換えてきた。

 そうした知識を持たずに、後の人が作品だけを見ても……何がいいのかわからないだろう。若い世代が予備知識なしで最初の『ジュラシックパーク』を見ても、「なんでこんなショボいCG映画がヒットしたんだろうか?」と疑問にすら思うだろう。

 私はある時、昼のテレビ番組で「ヒッチコック特集」というものがあって、ラインナップを見ると、どれも見たことのない作品ばかり。これはいい機会だ。勉強のつもりでヒッチコック映画を観よう……となった。
 で、観てみたのだけれど、これがぜんぜん面白くない。テレビ放送だから、重要なシーンを切りまくっている……というのもあるのだが、まず表現が古い。どの表現もどこかで見たようなものばかりで、テンプレート的に見えてしまった。
 それはある意味で当たり前でもあるんだ。なぜなら、その後の映画表現の「典型的な表現」を作ったのがヒッチコックの映画だから。その原典的なものを見たわけだけど、私の目にはどれも「古くさいもの」にしか映らなかった。
 ヒッチコックが提唱したスタイルの表現は、後の人達が何度も引用し、刷新し、私はその最新のものを何本も見てきた。何度も引用され、刷新してきた……という過程を遡って原典を見てみたわけだけど、そこにあったのは荒削りで未完成なものという印象しかなかった。「原典」であるから、それは当たり前なんだけど。

 どんな作品でも時代的な要件を抜き取ってみると、その作品が面白いかどうか。ストーリーが面白いかどうか、しかなくなる。で、映画の大半って、実はストーリーはさほど面白くないんだ。

 例えばSF映画の金字塔『ブレードランナー』。SF映画の歴史を変えた1本だ。ところが、以前、とある若い人が書いたブログを読んだのだけれど、「名作と呼ばれている『ブレードランナー』を見たけれど、いったい何が面白いのかわからなかった。なぜこれが名作と呼ばれているのだろうか……」という感想だった。
 まあそりゃそうでしょう。『ブレードランナー』的な表現を踏襲した作品なんて、もう世の中に何百本とあるし、そうした過程で『ブレードランナー』的な表現はどんどん新しいものに刷新されていった。今さらその原典的なものに返って、楽しめるか……というとそれは無理。「古くさいなぁ」という印象しかないはずだ。
 ではストーリーが面白か……というと『ブレードランナー』って別にストーリーが面白いわけではない。『ジュラシックパーク』だってそうだ。別にストーリーが面白いわけではない。歴史に残る名作達も、本当はストーリーが面白いわけではない(ヒッチコックの映画も、実はストーリーはさほど面白くもない)。ストーリーとは別のところで、提唱するものがあって、時代を変えた。だからこそ名作になり得た。その時代から切り離されると、何がすごいのか、何が面白いのか、とたんにわからなくなってしまう。

 で、「ストーリーが面白い映画」がこういう時どうして取り上げられないのか……というと、たぶんストーリーが面白い映画は名作として持ち上げられることって、実はあんまりないんじゃないかな。映画を何本も観ていると、ストーリーが面白い作品は、そりゃ世の中に一杯ある。でもそういう面白い映画はほとんどあまり注目されず、そこそこのヒットで、後は忘れられる。「ストーリー“だけ”が面白い映画」ってそういう扱いを受けるんだ。そういうものじゃないかと。

 で、名作映画ってそれを見た世代の人達に「神聖な1本」として祭り上げられてしまう。それで「これを見てない奴は人生の半分損しているわ~」とか言われる対象になる。でも後の人が見たところで、何が面白いんだかわからない。
 本当なら、「その作品が出た時、その時代にいなかった奴は損している」と言うべきだ。作品は後から遡ってもダメで、「立ち会うもの」なのだ。

 そういう意味で、私はゲーム文化をファミコンから見て来れたのはラッキーだったなぁ……(正しくはセガマーク2からだけど)。ゲーム文化の変化に立ち会えた。
 初めてCD-ROMのゲームが世に出た時、キャラクターが喋る……ということがものすごいショックだった。しかも声優が声をやっている! ゲームキャラクターが喋るっていうのはその以前からあったけれども、それはスタッフが声をやっていたし、せいぜいかけ声程度だった。それが声優がちゃんと芝居をやって、しかもえんえん喋り続けている!
 あの当時はゲームが始まる前のムービーとかひたすら繰り返し見ていた。ああ、なんてすごい技術なんだ! すごいイマジナリィなんだ! ……とか思っていたけど、いまその当時の映像を見ると薄っぺらいCGでしかない。なんだ、私はあんなものに感動していたのか……とガッカリしてしまう。

 という話を今の若い人にしたって意味がわからんでしょ。ゲームキャラクターが喋るなんて、そんなの当たり前じゃん……と若い人はみんな思っているわけだから。その原典的な、例えば『天外魔境』の第1作目に遡ってみても、表現がショボいな……というか、たまにしか喋らんな……という印象しかないはずだ。
 昔「すごい!」とか言われた映画やアニメやゲームは、その後の時代ではもうわからんのだ。すごいのはその時代の、その瞬間だけの話でしかないんだから。

 私は映画でいえば、CGが導入された端境期を見られたし、アニメは撮影がCGに変わる端境を現場で経験した。ゲームはファミコンから進化の歴史を見られた。そういう時代の変遷を観ることができた……というのは幸福でもある。要するに、名作が本当に真価を発揮した瞬間を知っているのだ。
 今の若い世代は、そういう時代の変遷にことごとく立ち会えなかったし、私たちが経験したようなダイナミックな変化は、おそらくもう後の時代にはない。それが不幸なのだけれど、その不幸さにも気付けないという不幸。最初から完成された娯楽に接していられる……という幸福はあるのだけど……それは「名作を知らない」という不幸に変わる。
 私はヒッチコックくらい映画を遡ると、何が面白いのかわからなかった。それはヒッチコックが現役で映画を作っていた時代を体験していないからだ。若い世代が、ゲームのクラシックをやっても何がすごいのかわからない……というのは、私がヒッチコックの映画を何が面白いのかわからなかった……というのと同じ感覚だ。

 で、「○○を見てないやつは人生の半分は損しているわ~」という人は、こういう時代の感覚を無視しちゃうタイプの人だ。確かにそれは名作と呼ばれているけれど、今の時代で見ると、さほどでもないぞ……ってね。そんなもん、若い人に言ったってしょうがねーよ。
 でも、そういうのに価値を置いちゃう人達がわりとたくさんいる。自分の価値観を客観視できない人達だ。
 映画にしてもゲームにしても、過去作を楽しもうと思ったら、「時代」という横軸を押さえておかねばならない。語る場合においても、時代もセットで語らなければならない。そうしないと、何がすごいのか、何が面白いのかわからなくなってしまう。
 私みたいな「映画解説おじさん」にとって必要なことは、その作品と付随する「時代」もきちんと紹介することだ。過去作を紹介する場合でも、その作品がどんな時代背景を受けて、大ヒットになったのか……ということも紹介しなければならない。その紹介がないと後の時代の人には何も伝わらなくなってしまう。なぜなら、ほとんどの映画は、ストーリーだけを見るとたいして面白くないからだ。
 まあ、私の普段の映画感想文ではそんなこと書いてないけどね。

 名作は今の時代にしか存在し得ない。「不朽の名作」なんてものは実は存在しない。自分の時代にとっての名作をいくつ作れるか。いくつ立ち会えるか。それが大事だ。

つづき

つづきのつづき


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