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読書感想文 美人の正体

この記事はノートから書き起こされたものです。詳しい事情は→この8か月間に起きたこと。

「人は見た目とか顔じゃないよ。中身が大事なんだよ」
 という言い方がある。これは日本だけで言われている話ではなく、欧米その他、多くの地域で共有されている価値観のようだ。
 人は見た目じゃない。外見じゃない。中身が大事。性格が大事。見た目よりも優しい人がいい。イケメンよりも誠実な人がいい。
 本当だろうか?
 1966年、ミネソタ大学の研究院ウォルスターは実際に検証してみることにした。
 ウォルスターは大学に入ったばかりの学生を集めて、パーティを開くことにした。このパーティは、「コンピューターがあなたの最適なパートナーを探してくれます」、と説明するが、実際はランダムに組み合わされているだけ。ただし、男性の方が女性より少し身長高めに設定されていた。
 このパーティの参加者は事前に性格テストを受けており、成績の高い低い、社会的な内向性外向性、男らしさ女らしさ、自分を肯定しているかどうかなどが測定された。それとは別に、上級生たちも集めており、パーティ参加者の写真を見て外見的魅力を評定されていた。
 さて、パーティが終わった後、この時に作られたカップルともう一度会いたいかどうか尋ねられた時、「もう一度会いたい」と答えた男女が一番重要視したのは何か? 成績が近いことか? 相手の男らしさ、女らしさか? いや違った。外見的魅力、すなわち格好いいか可愛いかが一番重要視された。

 同様のテストは、後にアメリカで何度も繰り返し、方法や批判を入れながら繰り返された。しかし結果はいつも同じだった。宗教的価値観、音楽価値観、性格その他の一致以上に、相手の見た目が良いか悪いかが「もう一度会いたい」かどうかの決め手となった。
 「人は見た目じゃないよ」は正しくない。「人は見た目だよ」が正しい。

「美人は3日で飽きる」
 という言い方がある。こちらも日本だけではなく、似たようなことは欧米その他の地域でも言われているようだ。
 美人は3日で飽きる。外見がどうこうよりも、やっぱり中身が大事なんだよ。
 本当だろうか?
 1975年、マテスはこれまでの実験は出会って30分程度の対話で相手を決めていたから、決め手となる情報は顔しかなかったから、見た目が決め手になっていたのではないか、という仮説を立てた。だからデートを何度も繰り返していけば、たとえ顔が良くても、そのうち価値観の不一致や性格の不一致などが露見して、「美人は3日で飽きる」状態が生まれるのではないか。
 実験してみた。
 マテスは組み合わせたカップルに40分のデートを1週間ごと、5回行わせ、そのたびに相手の魅力度を評定する実験を行った。
 ところが外見的魅力の高い人とのデートは、何度デートしても相手への魅力度が変わることはないどころか、むしろじわじわ増えていった。一方、外見的魅力度の低い人とのデートは、デートのたびに魅力度は落ちていった。
 「美人は3日で飽きる」は正しくない。「美人は何度見ても飽きない」が正しい。

「美人は性格が悪い」「見た目がいいやつは、性格の悪い奴に決まっている」
 という言い方がある。これは日本だけではなく、似たようなことは欧米その他の地域でも言われているようだ。
 本当だろうか?
 1965年、ミルズとアロンソンはある実験を行った。
 実験では被験者を半分に分け、半分の被験者にはとある女性がメイクして美しくなった姿と、残りの半分にはノーメイクの女性を見せた。
 その第1印象は、メイクをした女性の方が、「優しく」「好感が持て」「陽気で」「きちんとした」性格の人……という友好的な印象を持たれた。ノーメイクの女性を見た被験者は、その反対の意見を持った。
 このファーストインプレッションというのはなかなか変化しづらいらしく、この後、女性の行動が5つ提示され、提示することに女性への友好度がどう変化するか、回答してもらった。
 すると最初に「友好的」な印象を持った被験者たちは、女性がネガティブな行動をとっても「たまたま気分が悪かっただけだよ」「やむを得ずだよ」と擁護するような考えを持った。
 一方、最初にあまり友好的ではないという印象を持った被験者たちは、女性のネガティブな行動を見て、「ああやっぱり」と考えた。逆にポジティブな行動を見せたときも、さほど印象がよくなることもなかった。「劇場版のジャイアン」現象は起きなかった。
 これは「ファーストインプレッションはできるだけ変えないようにしよう」というバイアスが私たちの心の中にあるからだと考えられる。

 井上章一は、明治の修身(「道徳」に相当する授業)の教科書の中に、「美人は往往、気驕り心緩みて、却つて、人間高尚の徳を失ふに至るものなきにあらず……之れに反して、醜女には、従順・謙遜、勤勉等、種種の才徳生じ易き傾あり」と書かれていると指摘する。
 つまり、美人はその美しさゆえにしばしば性格が悪くなるが、醜い女は誘惑に晒されないため、才徳が生じやすい……と。教科書だというのに、なかなか書いていることがひどい。
 これは明治時代、芸者のような社会的地位があまり高くない女性たちが、顔の良さだけで社会的地位の高い男性と結婚するという「玉の輿」がよく起きていたため、見た目のあまりよくなかった女たちの嫉妬を買っていたようだった。
 でも本当なのだろうか。美人は性格が悪いものなのだろうか。
 検証した人がいる。1992年イエール大学ファインゴールドは、この問題を扱った論文や、または統計をとった過去のデータなど145本も集め、分析を行った。
 その結果、外見的魅力の高い人は低い人に比べて、孤独感が少なく、社会的不安が少なく、社会的スキルも高く、もちろん人望が高かった。これらは明らかに言って「性格が良かった」から得られた地位だった。ということは「美人は性格が良い」と考えるのが正しい、というわけだ。

「美人は頭が悪い」
 という言い方がある。これは日本だけではなく、いや、いっそ欧米こそ根強くある考え方で、「ブロンドは頭が悪い」といった言い回しを含めて、「美人・美形は馬鹿だ」と考えられがちだ。「巨乳は馬鹿」という言い回しもある。
 本当だろうか?
 この検証は何度も繰り返されたようだった。決定版となったのはロンドン大学の金沢による研究だ。この研究では1958年3月にイギリスで生まれた1万7000人の子供を対象に行われ、検証は一度きりではなく、その後なんども追跡調査が行われ、成長してからの「魅力度」と「知性」の相関関係が検証された。
 その結果、外見的魅力度の高い人ほど、知性が高い、という結果が出た。「顔がいい人ほど、頭がいい」という検証結果だった。

 でも、ここまでの話は、自分の体験を振り返ってみると、誰でもわかる話だ。
 よくよく思い出してみよう。イケメンが性格悪かったことがあるか? イケメンはだいたい学校の成績もよかっただろ? イケメンはだいたいスポーツもできて、音楽的才能にも恵まれていた。私たちはその実際を見てきたはずだ。
 でも、なぜか成長してくるほどに経験とは逆の考えを持つようになる。「イケメンはバカで性格が悪い」と。
 その正体はなんなのか? 嫉妬だ。僻み。妬み。ルサンチマン。顔を含めて何もかも勝てるものがないからこそ、「イケメンはバカで性格が悪い」という嘘を言い合うことで、気持ちを慰め合っていた。
 いっそ、そういう考えを持つ方が「性格が悪い」とは言えないだろうか。

 それでは、そもそも「美人・ハンサム」とはどういう顔のことだろうか?
 この研究は古く、最初の提唱者は1879年フランシス・ゴールドの検証だった。
 フランシスは最初、犯罪者の顔写真を何枚も合成すると、「犯罪者特有」の容貌が現れてくるのではないか、と考えた。しかし何枚も重ね合わせてみると、出てきたのは美形顔。何枚も顔を重ねると、それぞれの特徴が消えて、人間の平均的な部分のみがどんどん強調されていく。そこでフランシスは、「美形顔=平均顔仮説」を打ち立てた。
 1990年ラングロワとログマンもコンピューターを使って同様の実験を行った。ラングロワはコンピューターを使って、96人の顔写真を取り込み、重ねていった。
 その上に、2人重ね合わせた顔、5人重ね合わせた顔……10人、20人、30人と重ね合わせた時の顔を用意し、実験参加者に魅力度の評定を行ってもらった。すると、やはりたくさん重ねれば重ねるほどに、魅力は上がっていった。「美形顔=平均顔説」は補強されていった。
 もちろん批判もあった。人の顔が美しく感じるのは、「平均化」ではなく「対称性」ではないのか?
 1988年ローズは、元の顔と、少し対称性を高めた顔、かなり対称性を高めた顔、完璧に対称性の顔の4段階の顔を作成し、それぞれの魅力度の評定を実験参加者に行ってもらった。すると対象顔がもっとも評価の高い顔となった。
 別の批判もあった。写真を何枚も重ね合わせた顔が魅力的に見えたのは、お肌がツルツルになっていたからだ。お肌をツルツルにすれば、誰でも魅力的に見えるはずだ。
 2002年リトルとハンコックは、元の顔と、お肌ツルツルにした顔、元の顔に平均顔を足したものと、さらにお肌ツルツルにした4パターンの写真を用意した。
 結果、もっとも高く評価されたのは平均顔にお肌ツルツル効果を施したものだった。単に顔を平均化したものはさほど魅力的ではない。もっとも魅力的なのは、この上にお肌ツルツルにしたものだった。

 ここまでくると、美人の顔を集めて平均顔を作れば、より美しい「スーパー平均顔」が作れるのではないか。そこで1986年、カニンガムは美人コンテストに優勝した、誰もが美人と認める美人の顔のみを合成して平均顔を作成した。
 するとできあがったのは、目の上下幅が大きく、目の左右幅が大きく、目の間の距離が長く、頬骨の位置が顔の幅よりも長く、目から眉毛までの距離が長く、瞳孔が大きく、顎が短く、鼻の面積が小さく、頬の幅が狭い顔だった。と、文章で書くとピンと来ないかもしれないから一言で書くと、要するに「子供顔」。「幼形化」した顔こそがもっとも美しい顔だということになった。
 そう、ロリ顔である。繰り返す、ロリ顔だ。ロリ顔がもっとも美しい顔であるのだ。
 ただし、幼形化した顔が美しいと感じるのは女性のみであって、男性はその逆。成長した顔の方が美形と感じやすいようだった。

 美形・美人と呼ばれるには相応の理由がある。その理由は、多くの人が科学的に検証されている。美しい顔というのは左右均等で、お肌ツルツルで、女性の場合はやや子供っぽい顔が美しいとされる。これは「個人的印象(好みの問題)」とかそういうものではなく、統計で答えが出されている。誰もが共通して「美人だ」と思う顔は統計的に存在する。
 そういう多くのものは私たちが普段、思っていることだ。女性を見て「綺麗だな」と思うとき、だいたいその顔は子供っぽく、左右均等で、お肌ツルツルの顔だ。そういう顔がモテる。そういうものを私たちは日々見てきているし、その通りに“思って”いる(ただ私たちは多くのバイアスを受けているので、自身が感じている直観とは逆の考えを価値観として持とうとする)。この本では、私たちがよくよく考えるまでもなく日常的に思っている感覚を、学者たちが統計データを使って、改めて確認した、というだけのものだ。
 もちろん、「学問」だからその向こうにある「理由」も解説されている。
 左右対称の平均顔が好まれる理由は? それは病気を持っていない証だからだ。もし脳に障害などが起きると、顔に現れる。顔から対称性が失われる。それを見極めるために、私たちはまず顔が美しいか美しくないかで判定する。顔が美しいか美しくないかをなぜ厳しく判定するのか、というとそれは生物学的な理由に基づいている。
 恋愛の問題で、伴侶にできるだけ美人を求めるのは、よりよい遺伝子を残すためだ。幼形顔が求められる理由は、幼形顔であると妊娠している可能性が低いからだ。男性は自分の遺伝子を確実に残したいと思うが、しかし男性は生まれてきた子供が本当に自分の子供か確信を持つことができない。他で浮気してきた子供かも知れない。だから性経験の少なそうな、幼形顔の女性を求める。また若い個体の方が、将来的により多くの個体を生み残せることができる。
 身体的魅力……男性がくびれの強い女性を魅力的に感じる理由も同じところからきている。くびれのある女性はまだ妊娠しておらず、かつバストとヒップの大きい女性を求める。バストが大きい女性は授乳のためだし、ヒップが大きい女性を求めるのは妊娠する能力に繋がっているからだ。
 男性の関心事は自分の遺伝子を残すことであって、その子供が他の子供であってはならない。だから結婚後は女性をなるべく家から出さなかったり、肌を露出させなかった。江戸時代日本には「お歯黒」という習慣があったが、これも結婚女性をあまり魅力的に見えさせないためだった。
 一方、女性側にとってのリスクとは「ヤリ逃げ」されること。女性は妊娠中活動できないし、出産後もしばらく育児に時間が取られてやっぱり何も活動ができない。だからヤリ逃げされないように、女性側も様々な戦略をとる。 
 だから女性は安易にセックスはさせない。まず資力の投資を求める。投資させて、男性側にヤリ逃げはもったいないと思わせる。逃げにくい状態を作り、それからようやくセックスと、結婚を了解する。恋愛のテクニックのように思えて、実は生物学的合理性にあった行動をしているわけだ。

 本のタイトルに『美人の正体』とあるから、もうちょっとアート寄りの話かと思って買ったのだけど、実際には統計の話。統計の結果、どういう顔が美人だと思われるのか。美人がどういう印象と認識されているのか。そういう顔が求められ、好まれる生物学的理由とはなんなのか? それを追いかけた本だ。
 その向こうにあるのは、実は「恋愛論」の話。なぜ現代人の恋愛は、こうも複雑で、一見して合理性がないと思われるようなものばかりなのか。統計と学問という視点から、恋愛に合理的視点が当てられる。
 内容はというと、ここまで紹介してきた通り、だいぶライトな内容。難しいことは何も書かれていない。ブロンド巨乳がいかにモテるか、という話が何度も出てくる。もうそれはいいよ、というくらい統計の話が出てくる。
 それで、結局のところ、「大抵のイケメンは能力が高く性格がいい」という話を科学的に証明される。しかもそこにはきちんと理由が問われ、その答えも用意される。
 一見してライトな本だが、わりとしっかりしている。なかなか面白い本だった。


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