見出し画像

亡き父への感謝

4月

新年度や新生活

ワクワクやドキドキ

楽しみや不安といった感情が多いこの季節

まさに新しく何かがスタートしていくこの時期

そんな時に、僕の父は亡くなった

あまりにも突然の出来事だった

当時、僕はまだ中学生で、春休み中だったのだけど

朝起きると、一階にいる母から

「お父さんが死んじゃった」と伝えられた

父が自殺したらしい

僕は、何が起きたのか分からなかったのか、ソファーに座り込んでいた記憶がある

この時、父に対して泣いた記憶はない

ただ、葬儀に来てくれたはとこを目の前にして

立ったまま涙を流していた自分はいた

それだけは覚えている

父の自殺に関係することは

僕が成人してしばらくしてから

遺書と共に知ることになった

遺書といっても、僕には呪物のように感じられた

父にとっては、それほどまでに苦しかったのだろうし

悔しさもあったのだろうと思う

父の自殺のことで、母から聞いた話もあるけど

事実なのかどうかはわからない

少し捻くれた考えだけど、記憶は簡単に捻じ曲がってしまうから

当時どのようなやり取りがあったのかは

当事者同士にしか分からないと勝手に思っている

当時我が家には、家族や親族の交流がそれなりにあったと思うけど

誰も父を救えなかった

もしかしたら、その方法がわからなかったのかもしれない


ふとした時に思うことは

父と最後に交わした言葉はなんだっただろうかということ

覚えている言葉はあるけど

ものすごく

そう、ものすごく

男同士の親子の会話に繋がる話だった

インパクトが強すぎて、そのことしか覚えてない

それ以外の会話というと、実際あまり覚えていない

父のことは、そこまで好んでいなかった

小学生の頃、雨の日に迎えを呼んだとき

珍しく父が来た時にはがっかりしていた(気がする)

いつだったか、コロコロコミックを買ってきてくれたこともあった

たまごっちとか知り合いの伝手で買ってくれたり

ホビー系のイベントがあれば連れて行ってくれた

船釣りにも連れて行ったくれたし

ゴルフの打ちっぱなしにも連れて行ってくれた

してもらったことは、本当にたくさんある

子どもなのだから当たり前じゃないのかとか

思ったりするかもしれない

それでも、何かを押し付けようとはしなかったし

自分がやりたくないってなったものは無理強いしてこなかった

母曰く、父が僕に野球をやらせようとしたことがあって

キャッチボールの段階でやらなくなった僕に悔しがっていたらしい

この時に恐怖を覚えたのか

目の前に飛んでくるものに対して、異常なまでに恐れることが未だにある

父との思い出がなかなか見つからないのは

そういったことがあったからなのかな

たぶん、実際に話をしていくと

ポロポロと出てくるんだろうけど

嬉しかったことっていうのが

どうも欲しいモノをくれた時のことばかりな気がしていて

なんだかなって思う

お墓は歩いて行ける場所にあるので

命日には行くようになった

最近の記憶だと、雨の降っている時が多い

雨にどんな意味を持たせるかは

人それぞれだけど

今は浄化の雨とでも思っておく


あれから20年以上が経って

父が僕に、いろんな体験をさせてくれたこと

これが今の僕の基盤になっていると思うと

会話の記憶とかがあまりなくたって

いいかなとも思えてくる

記憶の映像として見えて

その映像に映っている自分が笑顔で

家族も楽しそうにしている姿が見える

それだけで十分

きっとこれからも

新しいことを体験していって

人生を楽しんでいくのかな


数年前にヒプノセラピーみたいなものを受けた時

父の姿を見た

父は笑顔で一言だけ

「楽しんで」

そう言ったように思えた


そんなイメージの中でも

笑顔でいてくれる父に一言

「ありがとう」

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?