約1年5か月前から認知症の進行で精神科病院に医療保護入院中の祖母。
1か月前、精神科病院から「お祖母様が高熱で血液検査で気になる部分があるので大きい病院を受診して下さい」と告げられた。
搬送先病院の担当医師は、「尿路感染」と「詳細な血液検査が必要」で入院が必要と診断。
結局、祖母の容体が一進一退を繰り返し、退院まで3週間を要した。
その中で、重度認知症で要介護5の祖母が私にみせた表情や言葉から「感情はいつまでも生き続ける」というエピソードがあったので、紹介したい。
「2か月ぶりの再会、5分の面会時間で感じた祖母のメッセージ」
私は、30歳過ぎから祖母を6年間ほぼ一人で在宅介護し、コロナで面会禁止になるまで毎週精神科病院へ面会。
私は面会で祖母と散歩をしたり、夕食を食べたり、話したり、笑ったりとわずか1時間30分ではあるが、一緒にすごした。
ところが、新型コロナの流行で3月から面会禁止になり私は祖母に会えずにいて毎日のように「ばあちゃん、どないかな」と心配していた。
現在、新型コロナウイルスの院内感染防止のため多くの病院は面会禁止や制限をしている。
祖母が入院した病院は、5分だけの面会時間が認められたので久々に再会できた。
祖母は目を開けてはいたがぐったりし、私が「ばあちゃん、元気にしてたか?」と言っても無表情。
ところが、私が「誰か覚えてくれてるか?」という祖母に話をふると、祖母は「覚えてるよ」と言い、赤ちゃんのようにずっと涙を流し続けた、止まらない。
この涙が「病院から早く退院したい」のか「私に会いたかった、嬉しかった」のかそれとも別のメッセージなのか不明だ。
それでも、祖母の表情は「シンゴに会えてよかった」というようにみえた。
祖母の脳内が少し起きてきたように思ったので、私は「この病院どうや」と聞いてみた。
すると、祖母は「ちゃっちゃっとやってくれるよ」と答え、私とそばにいた看護士も思わず大爆笑。
重度の認知症になると、「家族の顔や名前は覚えていない」、「会話のキャッチボールができない」、「言葉が話せない」などの症状が普通だ。
そんな中、祖母は私に「病院に来てくれてありがとう、ちゃんと面倒をみてくれてるよ」と伝えてくれたのかもしれない。
「退院直後無表情だった祖母が一転し号泣した意味」
祖母の言動に驚いたのは、それだけではない。
退院直後、病院から精神科病院に移動するまでの間、祖母に話しかけても顔色一つ変えず反応がない。
普段であれば、祖母は笑ったり泣いたり怒ったり何かしら表情をみせるが、「鎮静剤でも打たれたのか?」と不安になるほどだった。
そして、祖母が精神科病院に到着するやいなや突然ぶわっと涙が噴き出した。
今までは入院したことのない病院で祖母なりに緊張していたのか。
祖母は、「富山にね、妹がいるの、富山にね妹がいるの」と繰り返すのだ。
実際、祖母は第二次世界大戦中富山で妹と一緒に疎開し、親戚の家で育った。
祖母の頭は、戦時中にタイムスリップしていたのだろう。
祖母以外にも医療や介護関係者から「突然、軍歌を歌い出す」、「戦争中の家族の話をする」などといった話はたまに聞くことがある。
祖母は今の精神科病院が妹と共に過ごした青春時代に戻った感覚で日々送っているのかもしれない。
祖母をそうした感情にさせる今の精神科病院は日頃から本当によくケアをしてくれる。
主治医はじめ精神科病院の治療方針が「極力薬を抑えて日中はデイルームで過ごしたり、レクリエーションし人らしい生活を送ってもらう」なのだ。
祖母が精神科病院に入院し1年5か月の間、処方された薬といえばツムラの抑拡散が1日3回(心身が安定する)と軽い眠剤ぐらいだ。
今の病院の現状は、夜間から朝方にかけ特に慢性的な人出不足で2人の職員に50人の患者をみていたりする。
なので、病院は粗暴行為などがある患者を仕方なく鎮静剤や強い向精神薬などを使用し寝かしたりせざるおえない。
祖母の場合、精神科病院は職員にかみついてケガをさせたり、蹴ったり、他の利用者に手を出したりする時があるのに薬をほとんど使用していない。
私は、泣き続ける祖母に「ばあちゃん、やっぱりこの病院が一番好きで落ち着くんやな」と声をかけると、涙が止まった。
あくまで推測ではあるが、私は祖母の表情や言葉から「入院した病院はよく頑張ってくれてるけどやっぱり精神科病院が一番」と読み取った。 

重度認知症の祖母が発するメッセージを見逃さないように、今後も見守り続けていきたい。

詳細 https://toratachan.site/okumura-kaigo/

https://www.youtube.com/watch?v=t1fhmQBPKJs




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