それでも僕らは生きていく/『魔性の子』
心に刺さった。これを読んでしまったからには十二国記全てを読まざるをえない。そう思える力を持った名作だった。ネタバレ注意。
あらすじ
どこにも僕のいる場所はない。教育実習生として母校に戻った広瀬は、高里という生徒が気にかかる。周囲に馴染まぬ彼が、過去の自分と重なったのだ。高里を虐めた人間は不慮の事故に遭うため、『高里は祟る』と恐れられていた。そして高里の周囲で実際に惨劇が……
感想
「自分はここにいるべきじゃない」「自分の故郷はここではない」そういう思いに囚われたことはないだろうか。わたしはある。
小学校から高校までは『変人』は褒め言葉だった。変わったやつは英雄視された。『変人』は沢山存在し、彼らは頭をひねって変なことをしていた。
ある友人は「本日は終了しました」をもじって「日本は終了しました」と書いたビラをたくさん作って、教室の壁にペタペタ貼っていた。ある知り合いは、教室のパソコンのディスプレイすべてに 某アニメ写真を映し、満面の笑みを浮かべていた。深夜に集まれば、各々が自らの特殊性癖を披露し笑いをとっていた。そんな中でわたしはずっと普通の人だった。彼らの変人ぶりに憧れつつ馴染みきれず、愛想笑いを浮かべていた。
社会に出て少し変人観が変わった。他人が当たり前にできることが自分にはできないのだ。わたしはミスが多く、他の人が当たり前にできることがうまくできず、怠惰の烙印を押された。『変』という言葉は「優れている」ものではなく、ただの純粋な違いにすぎないと理解した。本もほとんど読めずに、空のバスタブでうずくまっているうちに夜が更けた。
その経験を経て手に取ったのが、この本だった。主人公の広瀬は社会に馴染めず、自らを故国を喪失した者のようだと捉えている。同じく社会に馴染めない高里に共感を覚え、立場を超えて友人となるが、高里ほど他と違ってはいない。それゆえに逆に孤独を深めてしまう。その姿に痛いほどの共感を覚えた。
「どうしてお前だけなんだ」 救いたいと思った。それは紛れもなく真実だった。平穏な未来を歩ませてやりたかった。そのためにできるだけのことをしてやりたかった。それはいまも変わらない。それでもその陰に、故国に迎えられる高里に対する醜いばかりの嫉妬がある。 ーーー人が人であることは、こんなにも汚い。 『魔性の子』小野不由美 新潮文庫 P481
広瀬は、他人と際立って違うがゆえに、故国に帰れる高里に醜いエゴをぶつける。今いる世界に残るしかない自らを哀れみ、高里に嫉妬し自分を置いていかないでくれと懇願する。終盤剥き出しになる彼のエゴ、人間性は自分の内面を見ているような気持ちにさせられる。だからこそ、最後、生きるために彼が山に向かって駆け出す時、一抹の救いを得る。
高里が深く、深く頭を下げた。 広瀬はもう一度、頷く。頷いて、今度は路面を洗雨の中を小走りに歩き始めた。風が吹き寄せる。それに押され、やがて広瀬は駆け出した。 『魔性の子』小野不由美 新潮文庫 P484
辛くても泣きそうでも、それでも日は昇る。自身の心の中の違和感に折り合いをつけ、自分で自分を救いながら、わたしたちは明日を生きるしかない。自らを哀れんでも、誰も助けてくれはしないから、自身の足で一歩踏み出すより仕方がない。突きつけられるのは乾いた現実だけれども、現実であるからこそ心の底から力強い勇気をもらえる。そんな本だった。
わたしは本にまた救われた。
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