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新時代に辿りつけても

 新元号が発表される前日、私は身近にいた人の訃報を聞いた。といっても、ここ一年くらい会っていなかったのだが。別に、その人と親しい間柄でもなければ、その人との思い出もほとんどない。ただ、「職場が同じだった」というだけの間柄だ。

 たったそれだけの関係なのに、私はひどく動揺した。つい一年前までは、元気だったはずなのに、つい最近も「昨日一緒に飲んだんだけどさ、相変わらずだったよ」なんて話を耳にしたばかりなのに、その人がこの世にもういないなんて、全く信じられなかった。悲しかったわけではないが、衝撃のあまり、肩を落としている自分がいた。

 その人の死因は心筋梗塞だったらしい。それまで元気だった彼の死は、誰もが驚く急展開だった。彼も平成の終わりを目前にして、もうすぐ新しい元号へ変わる瞬間を迎えることができると疑わなかったのではないかと思う。しかし、それは叶わぬ夢となってしまった。それどころか、新元号の発表すらも聞けなかったのだから、なんとも無念である。

 そんなことを考えていると、「私が新元号の発表の瞬間を目の当たりにできたのは、ただ単に運がよかったからなのかもしれない」、「私だって令和を前にこの世から消えてしまうかもしれない」などと思えてくる。

 命とは儚いものだ。今まで元気に生きていた人間が、次の瞬間この世から消えてしまうことだってありうる。そんなことはとっくに、自ら命を絶った自分の父親の死で、痛いほどよく認識していたはずだ。だが、人間とは不都合なことは忘れてしまう生き物なのだろうか、そんな当たり前のことが、いつの間にか私の頭からすっぽりと抜け落ちていた。私はそれを、今回の出来事で再認識した。

 身近な人の訃報というのは、何度聞いてもまったく慣れることがない。それは、永遠に続くと信じていたものが急にプツンと途絶え、消えてなくなってしまうからだろう。

 今度は、自分の大切な人が突然いなくなってしまうかもしれない。もしかすると、私が消えてなくなってしまうかもしれない。人の死は予測不可能だ。令和の初めの日を迎える頃、私が生きていられるという保証はどこにもないが、それでも生きていられるとしたら、一日一日を悔いなく過ごしていきたい。そして、大切な人たちとの時間を大切にして生きたい。

 だが、そう願っていても、きっと私はまた忘れてしまうのだろう。なんとも愚かな人間だ――。

 

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