好きなものを見つめる

 私は、女性が好きだ。この「好き」というのは、恋愛対象として見ているということなのだが、もっとわかりやすく言えば、レズビアンだ。「レズビアン」という言葉に少し抵抗があるので、あえて回りくどい言い方をしてみる。

 「レズビアン」と言うと、なんだか妖艶な響きがするように感じる。少し性的な感じが見え隠れしているようで、その言葉を使うのにためらってしまう。「女性が好き」と言ったほうが、マイルドな感じがして、なんかいい。そう思うのは、「褒め言葉以外は何でもオブラートに包んでほしい」と思うタイプの人間だからかもしれない。

 「レズビアン」を短縮した「レズ」という言葉はよく使う。だけど、これもあまり好きではない。Twitterのプロフィールなんかは、思いっきり「レズです」なんて書いているけれども、これには自虐的な意味が込められている。

 当事者の用いる「レズ」という言葉には、自嘲的な意味が含まれている気がする。Twitterで「レズ」と検索して、タイムラインを眺めていると、性的なツイートを除けば、だいたいは悪口か自虐で埋め尽くされている。だから、人にはあまり「レズ」と言われたくないし、言いたくない。真面目な話やいい話の中で「レズ」という言葉をあまり使いたいとも思わない。

 「同性愛者」という表現もあるが、なんだかそれは堅苦しい。漢字の羅列なんて、見ているだけで頭が痛くなってしまう。無機質な感じがして、愛を感じとることもできない。ただの四字熟語にしか思えない。

 だから、私は「女性が好き」という表現が一番好きだ。そこには愛と光と優しさがあるような気がする。カミングアウトの問題は別として、「レズビアン」や「レズ」や「同性愛者」ではなく「女性が好き」と言っているときには、後ろめたさを感じたり、自虐的になったりしなくて済む。

 そう思うのは、「自分が何者か」ではなく、「自分は何が好きか」ということに焦点を当てているからかもしれないとも思う。そう考えると、自分の内面について考えるよりも、好きなものについて考えていたほうが、幸せな気持ちになれるのかもしれない。

 自虐的にならずに生きていくのは難しい。だけど、それだけでは悲しい。だから、好きなものをたくさん見つめて生きていこう。きっと、それがいい。

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