忍者って最高にかっこいいよね!ところで天誅2ってゲーム知ってる?
どうも、とらぎつねです!
突然ですが、この世で一番かっこいい職業ってなんですかね?
まぁそれが忍者であることに異論は一切ないことはわかり切っているのですが、あえて聞いてみました(^^)
今回は私の大好きな忍者ゲーム、「天誅 弐」についてネタバレ含めて語ります!
ゲームプレイ済みであの作品大好きだよ!って人以外はこれまた読む価値0です。
ここで今回はお別れしましょう。
それではまた次回!
・・・・さあ、この先はもののふのみ通れる道じゃ。覚悟はよいな?
<天誅弐とは?>
2000年発売のプレイステーション用ソフト。98年発売の一作目の前日譚となるような、過去の話となる。
主人公の3人(力丸、彩女、龍丸)が忍びの里を卒業し、大名に仕えるところから始まる。
しかし周辺の大名が裏切り、力丸たちは城攻めに遭ってしまう。
敵側の忍者軍団は「陽炎座(かげろうざ)」。
戦いの中、龍丸が行方不明となり、後になんと陽炎座の一人として力丸・彩女の前に現れる!
力丸たちは敵軍、そして兄弟である龍丸に勝利することができるのか・・・。
目印用に色を塗った米(五色米)なんて地味な忍具が登場する渋さを持つこのゲーム。
ストーリーが秀逸なのはこの作品くらいでしょうか?
陽炎座と忍者同士のぶつかり合いをするシナリオは熱くなります!
<東忍流と陽炎座のぶつかり合い!>
東忍流はいわゆる一般的な忍者のイメージそのままです。
黒装束を身に纏い、闇夜に紛れて悪を斬る。
仕える大名からの命を受け、ミッションをこなしていきます。
時代の影として生きる、最高にかっこいい職業です。
そして陽炎座。
彼らは忍者でありながら自らの国を作ろうとします。
影であることをやめ、表舞台に出ようとしたのです。
確かに、実際にこういう忍者が出てもおかしくないと思うんですよね。
日々鍛錬を積み、様々な実力を身に付け、強く賢くなっていく。
そうなったら、やっぱり自分の力で独立したいと考えるものが出てくるのは自然なこと。
実際にいた忍者たちは、どうやってそのような因子を防いでいたのでしょうか?
気になるところです。
さてこの「影として生きるべき」という忍者と「表舞台に立つべき」という忍者。
どちらが正しいのでしょうかね。
私は、どちらが正しいということはなく、それぞれが主張をぶつけ合っただけだと感じます。
厳しい修行の末に獲得した力、どう使うかは本人が決めるしかありません。
当然、これはゲームですから主人公側が勝利する結末となります。
自分のしたいことのために力を使うより、誰かのために生きてみたい。
エンディングはそのように収束します。
<忍者は何故かっこいいのか>
私が思う忍者のかっこよさ、それは「驚くべき鍛錬の末に手に入れた高い能力を、すべて誰かのために使い続ける」ところにあると感じています。
影として生きる。
自分の能力を自慢することもなく、調子に乗ることもなく、目立たず、口数少なく、冷静で、状況を的確に把握し、任務完遂時にも油断しない。
全てを高い能力で淡々とこなす寡黙な忍者。
うーん、最高にかっこいい・・・!!
グラフィックは粗いですが、今でも十分楽しめるゲームとなっていると思います!
スパイダーマンのように屋根に登ったりするアクションも楽しいですよ♪
忍者同士の物語、他にももっとゲーム出て欲しいなぁ。
それではまた次回!
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