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多様性はあればいいではいけない

多様性の推進はヒューマニティの問題ではない。
もはや生き残りをかけた急務の課題だ。

新しいものを受け入れられないと死ぬ

地方では、隣接する市町村の明暗がくっきりしていることがある。隣は繁栄しているのに、一方は廃りきっている景色をちらほら見てきた。
衰退村に聞いたところ、反対派が多いため新しいものを取り入れられず、人が離れていき、存続の危機にあるとのこと。
地理的な優位性の差はなくても、進取の気鋭のある地域は、誘致や産業が盛んで人もどんどん集まってきている。

この差は、おそらくリーダーシップ差に起因するのだろう。
排他的で、古い伝統を固持するあまりに、多様性がなくなることのリスクをわかっていても決断できなければ、そのままダラダラと死んでいくしかなくなる。

日本全般にみても既得権益構造が、そのまま日本の衰退を招いている。そして現在も超高齢化社会に、そのリスクは増え続けている。
けれど我々自身も、そのことを自分ごととして捉えず、制度的な話にして、経済が悪い政治が悪いと言いがちだ。この村社会根性だったり、リスクテイクできない自らを顧みることをしていない。

朽ちていく村の住民たちはこう言うらしい。
「いいんだ、この村への想いと一緒に沈没します」
「自然は自然のままに残しておきたい」

そうしたら、ああそうですか、と見捨てられていくしかない。
こうして、繁栄していくエリアと亡くなっていくエリアが明確に分かれていく。

日本もどちらの道を選ぶのか。
未来の地図に日本国を残したければ、まずは一人一人の多様性への寛容さが問われている。

女性の多様な価値も見直されるべき

もう一つ、忘れてはいけないのがジェンダー平等についての議論だ。
ジェンダー格差で世界のワースト30に入る日本は、男性優位の多様性からはほど遠い社会である。

家事や育児の分担や、性差について考え直され、育児休暇などの制度も整いつつあるが、日本はまだまだ女性が活躍できる社会とは言いくい。
これも男性の既得権益を守る意識が強いからでもあるが、意識でいうと女性側も遅れている。

男性に庇護され愛されるという特権をもった方が、楽で有利だという幼児性が日本人女性に多く残っているのではないか。それは教育の問題でもあるし文化的な側面もあるだろう。

いまいちど女性には、確認してもらいたい。
自分の意見をはっきり伝えないで、おもねることや気を使いすぎていないだろうか。
自分を押し殺して、生きようとしていないか。
それは、女性であるわたし自身が振り返るべきことでもあるし、他人にもそんな女性像を求めていないかを今一度見直していきたいと思っている。

制度や構造や男性の意識も少しずつ変わってきているが、最後の扉は、わたしたち自身なのではないだろうか。

女性一人一人が、自分の人生を生きるために、日頃の言葉がけにも気をつけたいが、商品やサービスに関しても自立女性を援護するものを応援したい。


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