大村哲弥 tetsuya omura

モノと言葉。 別名:東京坂路地散人。 ヴァンナチュール/ナチュラルワイン/自然ワイン。…

大村哲弥 tetsuya omura

モノと言葉。 別名:東京坂路地散人。 ヴァンナチュール/ナチュラルワイン/自然ワイン。 ビストロ料理blog:チキテオ/Tikiteo。 ジャンル横断的カルチャーblog:トウキョウ・キュルチュール・アディクシオン/Tokyo Culture Adddiction。

マガジン

  • バビロン再訪、バブルの頃の物語

    「バビロン再訪、バブルの頃の物語」では、戦後日本における「バビロン」とでもいうべきバブルの時代(主に当時の東京、カルチャー、セゾン、西洋環境開発など)を物語ります。 「バビロン」とは起源前のメソポタミアで栄えた古代都市。旧約聖書ではバベルと称されます。バベルの塔やバビロン捕囚などの逸話があることから、富や栄華や悪徳で栄える都市を象徴する言葉としても使われる。タイトル「バビロン再訪」はスコット・フィッシッジェラルドの短編Babylon Revisited の日本語題名から借用しています。

  • チャンドラーの『ザ・ロング・グッドバイ』を英語で読もう

    レイモンド・チャンドラー(Raymond Chandler)の『ザ・ロング・グッドバイ』(THE LONG GOOD-BYE)を英語原文で読んでみませんか?

  • シンプルの系譜

    モダンデザインを一言でいうとシンプルなデザインということになるだろう。  広辞苑には「シンプル」とは「単純なさま」とある。シンプルとは、色・かたち・素材が簡素で抑制されているさまである。  シンプルはモダニズムの専売特許ではない。また、建築やプロダクトのデザインに限られるというわけではない。シンプルという価値観はどこから来たのか。シンプルの具体的な現れ方とは。シリーズ《シンプルの系譜》では、さまざまな切り口でシンプルの様相を探ってみる。

  • 建築家の住宅論を読む

    戦後の日本の住宅事情を振り返ってみると、庭付き一戸建てが「住宅すごろくの"上がり"」だった時代、核家族ファミリーが3LDKのマンションに憧れた時代、バブルによる値上がりで住宅が高嶺の花となった時代など、時代の変遷につれて、住宅を取り巻く環境は大きく変化し、そのたびに人々の住宅観も大きく変わってきました。  そんななか、家族や社会とのかかわりで住宅をその根本に立ち返って、さまざまに思考してきたのが建築家でした。その捉え方は、往々にして一般に流布している住宅のイメージとは大きく異なる個性的でユニークなものでした。  人口減少社会の到来、高齢化の進展、所有にこだわらないシェアという価値観の登場など、今、住宅を取り巻く社会や環境は再び大きく変化しています。  これからの住宅に思いを馳せながら、改めて 建築家たちが深く思考を巡らせたユニークな住宅論をもう一度読んでみたいと思います。

  • モダンデザイン断章

    モダンデザインのさまざまな様相をめぐる断章。

最近の記事

散人きどり<2> 家のまわりのぶらぶら歩き~バビロン再訪#35 

散歩とは優れて都市的な行為であった 江戸時代においては「散歩は『はしたないことで、してはならぬ行儀であった』」という大佛次郎の説を川本三郎が紹介している。(「路地を歩く」 『老いの荷風』 白水社 2017)。 名所めぐりや物見遊山は江戸の最も盛んなレジャーであったが、同じ外出でも目的がないぶらぶら歩きの場合はそうではなかったようだ。身分制があり、勤勉が尊ばれた社会にあって、大の大人がさしたる用もなく外出することが戒められていたことは想像に難くない。 「散歩は西洋人が

    • 散人きどり<1> 家のまわりのぶらぶら歩き~バビロン再訪#34 

      無聊を託つ(ぶりょうをかこつ)という言い方がある。 広辞苑(第五版)には、無聊とは「心配事があって楽しくないこと」「たいくつ」とあり、託つとは「他のせいにする」「恨んで言う。ぐちをこぼす」とある。 ステイホームを強いられている現在(★1)のわたしたちのこころもちそのものだ。 「不要不急」という言葉がことあるごとに使われ、すっかり定着した。一体、なにが「不要不急」で、なにがそうではないのか。新型コロナウイルス(COVID-19)は、そうした不断の疑心暗鬼と自己規制を

      • マンションのルーツを体験する<3> 晴海高層アパート@集合住宅歴史館~バビロン再訪#33

        日本における鉄筋コンクリート造の集合住宅について、その100年の歴史を展示するのがUR都市機構の集合住宅歴史館(★)です。すでに取り壊されてしまった歴史的な集合住宅(部分)が移築・再現されています。 前回<2>、前々回<1>に続き、八王子のUR集合住宅歴史館で今の日本のマンションのルーツを体験してみました。 公団初のエレベーターつき高層集合住宅、晴海高層アパート 1955年(昭和30年)に発足した日本住宅公団が、それまでの郊外立地、3~5階建て、2戸1階段室型、南面並

        • マンションのルーツを体験する<2> ダイニング・キッチンという発明@集合住宅歴史館~バビロン再訪#32

          日本における鉄筋コンクリート造の集合住宅について、その100年の歴史を展示するのがUR都市機構の集合住宅歴史館(★)です。すでに取り壊されてしまった歴史的な集合住宅(部分)が移築・再現されています。 八王子のUR集合住宅歴史館を訪ね、今の日本のマンションのルーツを体験してみました。 ちゃぶ台のある暮らしを一変させたダイニング・キッチン(DK) 前回の下記事「日本のマンションのルーツを体験する<1>同潤会・代官山アパート」でみた代官山アパート(1927年・昭和2年)の間

        散人きどり<2> 家のまわりのぶらぶら歩き~バビロン再訪#35 

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        • バビロン再訪、バブルの頃の物語
          37本
        • チャンドラーの『ザ・ロング・グッドバイ』を英語で読もう
          9本
        • シンプルの系譜
          8本
        • 建築家の住宅論を読む
          12本
        • モダンデザイン断章
          0本
        • ナチュラルワイン Natural Wine の記録
          42本

        記事

          マンションのルーツを体験する<1> 同潤会・代官山アパート@集合住宅歴史館~バビロン再訪#31

          日本で初めての鉄筋コンクリート造の集合住宅は、1916年(大正5年)に作られた軍艦島30号棟だと言われています。軍艦島(端島)は長崎県にある三菱の炭鉱採掘の島だったところであり、30号棟はそこで働く労働者のための住宅として作られました。 世界で最初のコンクリート集合住宅は、オーギュスト・ペレによる1903年のパリのフランクリン通りの集合住宅です。ペレは当時の新素材だったコンクリートに世界で最初に注目した建築家であり、「コンクリートの父」と呼ばれている建築家です。 ペレ

          マンションのルーツを体験する<1> 同潤会・代官山アパート@集合住宅歴史館~バビロン再訪#31

          昼下がりの文喫 本に囲まれるvol.5~バビロン再訪#30

          六本木の夜の海に浮かんだ孤島のような存在だったABC(詳しくは下の「本に囲まれるvol.4」を)。 その跡に2018年末にオープンしたのが、入場料を払って利用するという新しい試みの本屋 文喫だ。 文喫の運営は取次大手の日販傘下のリブロプラス。名前から分かるようにリブロプラスは、西武百貨店池袋店の本屋からスタートし、セゾン文化の発信の一翼を担っていたリブロが母体となっている。 文喫を利用してみた(★)。 入ってすぐの天井が高い吹き抜けの空間、奥の階段、スキッ

          昼下がりの文喫 本に囲まれるvol.5~バビロン再訪#30

          アフター・ディナーは六本木ABCで 本に囲まれるvol.4~バビロン再訪#29

          入場料を払って利用するという新しい試みの本屋 文喫が六本木にできた(★1 公式サイト)。 文喫ができたのは、六本木6丁目の麻布警察署の一軒隣にあった、かつての青山ブックセンター六本木(通称ABC、あるいはABC六本木)の跡だ。 「諸君はレストランなどで食事をした後に、どこで時を過ごすのが一番楽しいか知っているかな(中略)本屋でブラーッと時を過ごすというのがぼくは気に入っている」と書いたのは加藤和彦だった(★2)。 つづけて「さいわい我が六本木には明け方近くまで開い

          アフター・ディナーは六本木ABCで 本に囲まれるvol.4~バビロン再訪#29

          孤独の不動産<後編> 風景の孤独な目撃者 ~バビロン再訪#28

          『孤独のグルメ』を実践するには不動産業界に職を得るのが最適だ(孤独の不動産<前編>)。 物件を見に行く合間に、あるいは物件見地と称して、主人公井之頭五郎ばりに『孤独のグルメ』を実践できるのが<孤独の不動産>だ。 『孤独のグルメ』といえば、今は松重豊主演で放映されているテレビ番組(テレビ東京系)が有名だが、もともとは原作・久住昌之、作画・谷口ジローのコンビによる漫画(1994年~1996年月刊PANjA連載、扶桑社)がオリジナルである。 ゴローさんは必ずひとり

          孤独の不動産<後編> 風景の孤独な目撃者 ~バビロン再訪#28

          孤独の不動産<前編>『孤独のグルメ』を実践するには不動産業が最適だ ~バビロン再訪#27

          『孤独のグルメ』を実践するには不動産業界に職を得るのが最適だ。 それもマンションやオフィスや商業ビルの開発業務に携わるのが最適だ。営業やマーケティングや商品企画もいい。 人と物件、それだけで成り立つのが不動産業だ。実際は宅建免許もパソコンも必要だが・・・。 会社の売り上げも利益もリスクもたったひとつの物件に左右される。たったひとつの物件が会社を飛躍させ、あるいは会社を倒産させる。それが不動産業だ。不動産業にとって物件は命だ したがって、不動産業界においては物件

          孤独の不動産<前編>『孤独のグルメ』を実践するには不動産業が最適だ ~バビロン再訪#27

          麻布と坂と図書館と 本に囲まれるvol.3~バビロン再訪#25

          理想的な一日というものがあるとするならば、麻布の坂と図書館をめぐる一日は、僕のなかでは、かなりそれに近い一日といえる。 麻布とは旧15区の麻布区だったエリア。現住居表示でいうと、麻布とついている住所、六本木とついている住所、南青山6丁目、7丁目そして南青山4丁目の一部を指す。 大使館とホテルと私立中高と高級マンション、そして六本木。麻布といえばそんなイメージだろうか。今ではいくつかの大規模開発が有名かもしれない。 麻布の丘の上は、江戸時代には大半が大名屋敷で占めら

          麻布と坂と図書館と 本に囲まれるvol.3~バビロン再訪#25

          本に囲まれるvol.2《ショウナイホテル スイデンテラス》のライブラリー~バビロン再訪#24

          あなたがホテルを選ぶときの基準はなんでしょうか? 観光や街歩きに便利な立地、話題のカフェやレストランがあり、ロビーは豪華で、客室はクリーンで広々、素晴らしい眺望や庭園が楽しめ、至れり尽くせりのコンシェルジュがいて、できれば星付きブランドのお墨付きも欲しいし、おまけに料金が手ごろetc. せっかくの旅行だし、苦労して休みを取ったのだか、どうせ泊まるのならと、あれもこれも、ついつい欲張りになりがちです。わかります。 《ショウナイホテル スイデンテラス》は、こうしたニー

          本に囲まれるvol.2《ショウナイホテル スイデンテラス》のライブラリー~バビロン再訪#24

          本に囲まれるvol.1 ライブラリーという宇宙~バビロン再訪#23

          ライブラリーは、今やマンションの共用施設の定番のひとつと言っても良いアイテムです。 マンションの共用施設にライブラリーが設けられるようになったのは《センチュリー・パークタワー》(三井不動産、1999年竣工)あたりからでしょうか。 《センチュリー・パークタワー》の33・34階に設けられた共用施設のコンセプトは、マナー・ハウス(英国荘園領主の館)というものでした。そこに設けられたライブラリーもそうしたコンセプトにふさわしく、木のパネリングがなされた落ち着いた内装、木のテー

          本に囲まれるvol.1 ライブラリーという宇宙~バビロン再訪#23

          ベトナム料理事始め<下>~バビロン再訪#20

          1970年代。まだに見ぬベトナム料理への妄想を掻き立てられたのが開高健のエッセイでした。 「この国の人がよくやるように焼肉をレタスの葉にくるみ、ツンツンとドクダミのように匂う香葉(シャンツァイ)をいっしょにそれにくるみ、ニュクマムをちょっとつけて食べると、惨禍の国にも夜の一瞬の鼓腹撃壌はあらわれるのだった。 みんな 『デップ(いい)』 『デップ・ラム(とてもいい)』 と口ぐちにいった。」(★1) 開高健は特派員として戦時下のベトナムに赴き、南ベトナム軍に取材従軍し

          ベトナム料理事始め<下>~バビロン再訪#20

          ベトナム料理事始め<上>~バビロン再訪#19

          今や日本にすっかり定着したベトナム料理。 日本で最初のベトナム料理レストランは、1980年に開店した赤坂の老舗「アオザイ」だそうですが、日本でベトナム料理が注目を集めたのがバブルの頃でした。 中国料理、台湾料理、韓国料理などの知名度に比べてはもちろん、同じ東南アジアのインドネシア料理やタイ料理などに比べても、日本でのベトナム料理の知名度は決して高くありませんでした。 その背景にあったのが、70年代まで続いていたベトナム戦争だったことは想像に難くありません。当時の日

          ベトナム料理事始め<上>~バビロン再訪#19

          映画が描くバブルの実相とメンタリティー<4> 『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』~バビロン再訪#21

          80年代バブルを描いた日本映画は少ない。『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』(馬場康夫監督 2007年)はその数少ない一本。 これまで紹介したハリウッドの3作(★1)が、金融バブルの崩壊の当事者たちをリアルに描くフィクションだったり、リーマンショックの実態を暴露するノンフィクションだったりするのとは打って変わって、こちらは80年代バブルへの思い入れを込めて描くノスタルジック・コメディーだ。 現役世代としてバブルを経験したR50以上の世代にとっては、懐かしくも甘

          映画が描くバブルの実相とメンタリティー<4> 『バブルへGO!! タイムマシンはドラム式』~バビロン再訪#21

          映画が描くバブルの実相とメンタリティ<3>『インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実』~バビロン再訪#17

          リーマンショックの内実を描いたアカデミー・ドキュメンタリー映画賞受賞作 2008年のリーマンショックの際、日本でもディベロッパーやゼネコンの倒産が相次いだ。80年代バブルの影響が少なく、急拡大、急成長を誇っていた新興ディベロッパーや中堅ゼネコンがバタバタと潰れていく様子は「突然死」と呼ばれた。 「突然死」の理由は、開発の失敗や保有資産の値下がりや営業赤字ではなく、世界的な信用収縮による資金ショートだった。 2000年にITバブルがはじけた後、アメリカの投資資金は有

          映画が描くバブルの実相とメンタリティ<3>『インサイド・ジョブ 世界不況の知られざる真実』~バビロン再訪#17