ひとめ 露が髪にかかる朝、どこに本を忘れたの 銀の森のパットが、一人私を待っていた 赤いリボンを結び、ビオラを見上げたら 窓枠が額縁になる、あの子は私を見ない
「3月28日は?アボカドサラダの日―」 千佳が一人で喋っている。トントン、パラパラ、喋っている。 千佳は料理が好きだ。いや、食べる方が好きなのだ。だから食べる過程である、料理も愛している。 千佳は世界を雑に分類している。俺が人にくすぐられるのが嫌いなので、千佳は、俺のワイシャツに触るときも腋や腰周辺を避けて持って畳む。千佳はごく自然なことのように、ヒトとモノ、コトとジクウを結わくのだ。 「じゃあ、明日は?」 「明日はねぇ、フィッシュ・アンド・チップスの日だよ」 千佳は手を
あさ、眼をさますときの気持は、面白い。砂糖菓子の中をくるくる、ふわふわ、泳いでいたのが、ひょいとつまみあげられて、ばちばち熱くて煩わしい、油の中に放り込まれたような。テレビのチャンネルが突然切り替わったような。まぶしくて少し気分が悪くて、やりきれない気分。私はとっても気持ちよく過ごしているのに、残念なものや、どうでもいいものがドアを蹴っ飛ばして侵入してくる。しまった、電気つけっぱなしで寝てたなぁとか、今何時?とか、今日の英語のプレゼンやだなぁとか。 美味しくなくて、
クマの毛皮を背負ってるみたいな、攻めたデザインのコートを探して今日で五日目。どこで買ったんだろうなあ。ゾゾタウンとにらめっこするのも、疲れてきちゃった。 今の駅で降りた人の席に座ってフォルダを開くと、黒い髪の綺麗な女の子が現れた。仕事の疲れも吹っ飛ぶ、かわいいつづらさん。 一目見たときからかわいいと思っていた。ぱちっと惹きつけられたその先輩は、あたしの教育係だと紹介された。よろしくお願いしますと言うと、つづらさんは垂れた目をふんわりゆるめて、愛嬌いっぱいの笑顔を見
魅惑の果実、桃。噛んだ瞬間につぶれて広がっていくうっとりしたあまさ。舌に残る繊維。つやりとした蜜が唇を濡らす。 初夏の夜、薄暗いリビングで桃を剥く。わたしはグレーのスウェットを着て、髪の毛を緑のバンドでとめて、鼻からずり落ちる眼鏡を何度も手首で押し上げていた。薄く毛の生えた柔らかい果実を右手で握る。爪を立てて 皮をべろりと剥がすと、指の腹がさっそくぬるくべたついていた。しゅるり、しゅるりと繰り返す。向き終わったらまな板に横たえて、果実にナイフを入れる。じゅん、たし
木内麗架様 御手紙を拝読しました。安田から私の生家に送られ、それから自宅へと転送されたようで、私のもとへ届きましたのは五日前のことでした。御返事が遅くなってしまったことをまずはお詫び申し上げます。 まさか木内のお嬢さんの名前を知る日が来ようとは、思ってもみないことでした。これから綴る私の過去は、面白いものではないことでしょう。貴女はおそらく、多くの時間を費やして私を探し、便りをくださったのだと思います。切実なお気持ちが文面から伝わって参りました。私は、貴女の誠意にお応え
エメラルドシティ 池袋駅の改札に飛び込む人を見ていた。僕は二十歳。あの子もきっとはたち。 つまらない大人になったなと常々おもう。やわらかくあたたかい肉がつまった電車で、目の前の肉の耳の穴のなかから毛が生えていることに、静かに驚いていたこの頃。人を分類する指標って少なすぎる。この肉も僕も同じ人類、成人、男性。 電車に敷き詰められた人間は総じて肉の塊だとしか思えないけれど、あの子は記憶の中の姿がいつまでも残っているから、もしここにいたって肉と呼ぶのに相応しくないな。彼女