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【小説】おでん記念日

「3月28日は?アボカドサラダの日―」
 千佳が一人で喋っている。トントン、パラパラ、喋っている。
千佳は料理が好きだ。いや、食べる方が好きなのだ。だから食べる過程である、料理も愛している。
千佳は世界を雑に分類している。俺が人にくすぐられるのが嫌いなので、千佳は、俺のワイシャツに触るときも腋や腰周辺を避けて持って畳む。千佳はごく自然なことのように、ヒトとモノ、コトとジクウを結わくのだ。
「じゃあ、明日は?」
「明日はねぇ、フィッシュ・アンド・チップスの日だよ」
 千佳は手をとめずに答えた。よくすんなり出てくるなぁと思った。千佳の言う「〇〇の日」は、つまりその日の献立だ。明日の夕飯のことまで、もう考えているのか。
「ちがうよ。今日が何の日かはもう決まってるの。365日、決まってるの。うるう年にずれるのよ」
 アボカドサラダとベーコンパイと、白米と味噌汁。大陸同士が融合したラインナップを囲みながら、千佳は言う。俺たちは「いただきます」と手をあわせた。
「今日はアボカドサラダが夕飯だからアボカドサラダの日なんだろ」
「アボカドサラダの日だからアボカドサラダを食べるのよ」
「じゃあ、ハンバーグの日に胃が痛かったらどうするの?」
「ハンバーグの日に、おじやを食べる」
 俺がぱちぱちと瞬きしながら千佳のことを見ると、千佳も俺の顔を見る。千佳は一度目があうと、なかなか反らさない癖があった。
 変なやつだ。出会ったときからずっと。ずっとずっとへんなやつ。
 俺はこの女がどう育ってきたのかが気になって仕方がない。そうして、これからどう生きていくのかを知りたく思っていた。俺の日常は、千佳の感性に染まって、破天荒な新しさを帯びる。千佳の見ている世界が欲しかった。
だけど目の前の張本人は、俺のことなど微塵も気に留めていない。目に映るのは味噌汁の中の惑星で、白米に埋まったアトランティス。千佳の前で俺は、俺以上にも俺以下にもならない。それが哀しくも心地よくて、今日も千佳の視線を待っている。


「おでん」
「おでんだよ」
 ある日千佳が土鍋の蓋を開けたら、ぎっしりつまった具材が湯気をたてている。千佳のおでんは今冬はじめてだ。去年一度食べて、あまからい出汁に驚き、すぐに好きになった。実はずっと食べたかったのだ。ようやく来たのか、おでんの日。
「おいしー?」
「うん。この味付けが好きだ」
「うふふ」
 この日の千佳は上機嫌で、手作りデザートまで出てきた。
「今日はパンナコッタの日ですから」
「え?」
「今日はパンナコッタの日で、それで、おでん記念日だよ」
 千佳はトッピングのサクランボを、種ごとぱくりと飲み込んだ。

🍢💛

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