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異母シスブラザーズ、はじめまして。

私の両親は、私が12歳の頃に離婚した。
私は父方に引き取られたが、その後は父と暮らすことなく、父の姉にあたる伯母家族と暮らす事になった。しかも海を渡り、アメリカで。色々あったなw詳しくはこちらで。

月日が経ち、31歳の春。
私は3人の異母兄弟と会うことなった。女の子、男の子、男の子の順だ。まだ3人とも学生だ。

インターナショナルスクール出身と聞いていたから、まず英語ができるだろうなと思っていた。
そして、多分異母兄弟ということを差し引いても私が苦手な人種だろうなとも思っていた。
いかん、いかん、会う前から色眼鏡でみちゃあかんし、苦手意識を持つな!と自分に言い聞かせ、私が持っているワンピースの中で、小綺麗な、いや小賢しさ全開のワンピースを着た。
なんとも言えない着心地の悪さ。ストッキングとタイツの間の子みたいなタイツを履いた。これまた履き心地の悪さ全開。だし、え超寒いw
さらにこの格好からして靴の選択がヒールかブーツかになってしまった。いや、あえてスニーカーでいったろかなんて思いながら、いかんいかん、場所的にも私が恥をかくだけだと思い、しかたなくヒールを選んだ。
履いた瞬間に、あ、私はスニーカーを履いている人生がいいと思った。
タイツの加圧感に加えて、歩く度にカッカッカッと鳴るヒール音を聞いて、私は戦闘モードになった。

いざ、鎌倉へ!!!!!(日本橋へ)

珍しく、私達が先に到着していた。私とオール血が繋がる弟だ。
弟はもう既に1回あった事があるようで、どんな感じだったの?と当時聞いたことがあったが、んーなんかアウェー感はあったね!あでも、フレンドリーな感んじで、なんて後から色々と足された言葉なんて頭には入ってこなかった。

昨日、3月6日は東京マラソンが行われていた。
車で行こうとしたが、交通規制がかけられていて、迂回して電車に切り替えた為、父以下異母チルドレンは少し遅れて個室に入って来た。

はじめましてーーーーー!(こんな変なテンションのはじめましてははじめましてなのだが)

(緊張の面持ち!多分私の笑顔相当引きつってる気がする!)なんてことを考えながらも、父がファシリをしはじめた。そらそーだ。主催者なんだし、長なんだからな。

異母3兄弟は奥の3席に、父、私、弟は手前の3席に。まさに対面だ。
一応下座やな、とか多分気にしてないよな〜なんてどうでもいい事がサーキットのように思考が秒で過ぎ去った。

とりあえず、3兄弟から自己紹介が始まる。
父がハンドリングしながら、生まれはどこどこで、え、そこから始まるん?!!?と思いながら、そうなんですねぇ。へぇ。すごい。なるほど。それで。とりあえずキャバ嬢が初客に言いそうな言葉を並べながら、頷きも合わせて聴いていた。
食事が運ばれ、少しずつつまみながら、うわうわうわうわw卑屈な自分がじわじわと出てきてしまった。

冒頭でも記載したが異母ブラシスターズはインターナショナル出身だ。3兄弟が話す時はもちろん英語だ。
長女は大学2回生にこの春なるそうで、大学も有名所の名門私立だ。お頭も良い、容姿も淡麗で、いわゆる才女だ。
英語はもちろんだが、中国語も堪能で、はいはいお決まりのトリリンガルね。はいと思いながら、次は問題児と聞いていた長男。

見た目は感じも良くTHE犬系男子、長身で、今時のイケイケ高校生という感じだった。
中学のインター卒業後は私立の高校に入ったがヤンチャして問題を起こして自主退学し、その後は私立の通信高校に編入したそうだが、課題やレポートを提出しないで退学になり、また次の高校に編入学しているそう。どんだけ編入してんだよwwってツッコミたくなるくらいの学歴だった。
でもヤンキー感はなく、イキってる感もなく、自由人ぽさを感じた。
多分これはモテるなって感じの。
一番問題児扱いをされているけど、ユーモアさもあって、色々スペックが高そうだし、人懐っこさもあるから世渡り上手な印象を受けた。

次男はこの春、中学生になるそうだ。
え12歳。3倍まではいかないが、それに近い、、、数えた、、え19歳差!!!軽く子供でもおかしくないwwww
彼は一番優秀だった。
中学受験は第一志望に合格したようで。
まさにお受験戦争に勝ちに勝ちまくったエリートボンボンという印象を受けた。

なんだか、もう戦意喪失してしまうくらいの学歴や、語学力や、容姿端麗さ、コミュニケーション能力の高さだった。

私の卑屈さもあってか、コンプレックス魂に火を付けて炙れる位の劣等感を感じさせてくれた。


そしていよいよ、私のターンがきてしまった。
生まれから始まって、、、ぶらぶらぶらぶらぶら。で来月から栄養学を勉強する事になって、みんなと同じ学生でーす!(てへ)

はぁ。ようやく終わったぁぁああああああ。疲れたwもう帰りたいwwwと思いつつも、ポーカーフェイスで、自分なりに頑張った。えらいぞ!
その後は食事を楽しみつつ、会話をそれなりに楽しんだ。

毎週日曜日にファミリーミーティングをしていること、アジェンダを作って、みんなそれぞれの目標やその目標に対しての進捗状況、結果など主観ではなくきちんと定量化もしつつ、個々に思っている事をデイスカッションするそうで、長い時は3時間近く熱量を皆投入するそう。もう経営会議じゃんそれw

コロナ前は家族旅行もたくさんしていたそう。
問題児扱いの長男はフランスに行った時は、当時TWICEにハマっていて、1人ホテルに籠もり観光もしないで(いやしろよ、せめてエッフェル塔はいけよって内心突っ込みつつ)ずっとPVを見ていたからフランスでの思い出はTWICEなんですよ〜って笑顔で言うその悪意ない感じ。

〇〇は〜、〇〇は〜、と一人称をファーストネームで言う、自己肯定感が高く、いい意味でわがままな感じムンムンな!スクールカースト上位層組みな感じ。

今の奥さんは(も)割と強い女性のタイプらしく、ママは本当に正論で論破しても自分に非があっても絶対謝らないし、折れないから、うちのボスはママだよね〜なんて会話であったり、ママは料理はあまり得意ではなく、惣菜系や冷食や外食が多いという会話の端々にある情報から、

父は糖尿病を患っていて、内服薬とインシュリン注射(ランタス)を定期的に打って血糖値をコントロールしているが、家での食事コントロールは皆無そうだなと読み取れた。



食事会後、その足で私は神楽坂にいつものヨガレッスンを受けに行き、そんな事を思い返しながら、レッスン中涙が流れてきた。

ああ、私は父に認められたかったんだな。
彼らみたいに優秀で、父にとって自慢の娘になりたかったんだな。


一人っ子時代が長かったから、私は小さい頃、父にいつも甘やかされてきた。母にガミガミ叱られていた時はいつも優しい父が庇ってくれていた。
そんな父が大好きだった。
でも仕事が忙しくて、そんな親子時間を過ごしたのは数しれず。

昔は仕事人間だったのに、今は毎週のように家族時間を大切にして過ごしていること、
昔の1人っ子時代のように父を独占していた時代は遠の遠に終わったんだな。
と色んな思いが押し寄せて来て、涙が止まらなくなった。

もちろん、31歳の私だ。大人になった。
父が幸せなら、それでいいとも思った。幸せそうでよかった。

でも少し悲しかった。
私は父の第一子として、子供であることに変わりがないし、娘として大切に想っていてくれていることもわかっている。
私は父の子供ではあるけれど、でももう父の家族ではないのだ。

それを改めて思い知らされた。

そして、少しだけ父の健康を考えてあげて欲しいなと勝手ながら思ってしまった。
社長業をしているのもあって、会食も多い父だ。
せめて家でくらい味の薄い、身体を労った食事を出してあげて欲しいなと思った。味噌汁とか、お野菜とか、簡単でいい、質素なもので十分だ。
栄養価の高いもの、GI値が低いもの、胃腸に負担ないものをと。

そして何よりも、何気ない彼らの親子の会話が普段の仲の良さが滲み出いていた。
私が手にしたかった家族がそこにあった。
弟が言っていたアウェー感、ここにあり。

そんなこんなで、レッスン中は悲惨だった。
不幸中の幸いで、ローホットな環境もあってか、涙が汗と一体化して、周りには気づかれなかった。

レッスン後のシャワーでは鼻水と涙をたくさん洗い流した。

普段着ない、小賢しいワンピースをまた着て、ヒールを履いて、ドスッピンでスタジオをでた。なんとも顔と装いのチグハグ感よ。


途中で電車を降りた。
風邪がビュービュー吹いていてとても寒かったが、私は歩きたい気分だったから、コンビニで買ったウィルキンソンを飲みながら、ヒールを脱いで、歩いた。(私はお酒が飲めない、飲めなくなった)

もう酒飲まないとやってらんねぇよ、ったくよぉ〜と缶酎ハイを飲みながらフラフラ歩く痛い三十路女を演出しながら、炭酸水で酔った。 

足を怪我する事もなく、無事に家に到着した。
少し電線して、真っ黒になったタイツを脱ぎ捨て、そのままゴミ箱に捨てた。

私は父が大好きだったんだ。
父に認めてもらいたかったんだ。
父にとって自慢の娘になりたかったんだ。

そうか。そうか。
そんな気持ちを抱きながら、ファザコンだった事を初めて自覚した夜にもなった。

その後、きっとファミリーミーティングが終わったであろう父から送られてきた、食事会後に撮ってもらった集合写真を見た。

チルドレンの誰よりも長である父は満面の笑みだった。

少し鼻で笑って、一応保存した。



〈追記〉
総じて、異母シスブラザーズは優秀で素直で良い子達だった。父の遺伝子を色濃く受け継いでいた。

こと私においては、受け継いだ父方の遺伝子といえば目鼻立ちの良さなどの側(がわ)の部分くらいだろう。
だからといって特別かわいいわけでもないし、スタイルだって良くない。 
もう普通っちゃ普通で、いわゆる量産型の無難な目鼻立ち良い方系(日台ハーフというのも少しあってか)の顔立ちだ。

IQやEQ、性質やパーソナリティなどの中身の部分は母の遺伝子を色濃く受け継いでしまった。

学歴もないし、語学力があるわけでもないし、才能があるわけでもない。人に負けない何かがあるわけでも毛頭ない。むしろ凡人以下な所が沢山ある。

性格が良いわけでもない、サイコパスではないとは思うが、普通の感覚から外れていたり、非常識な所も多々ある。
嘘をついたり、過去に人には言えないような非行行為もしてきた。

いつもこの家の問題児だった。(いや現在進行系だが…)何をやっても人より秀でたものがなく、一族の恥だ、知的障害なのではとも言われた。

自分でもそうなのではと思う所もあるが、怖くて検査をしていない。
検査をして、もしその認定がされたら、一生その烙印を押され生き続けるのはあまりにしんどい。
いや今のこのままでも生きづらさはあるが。…どう転んでも生きづらさしかない。


でも私は私として、生まれた時点で普通ではなかったのだから、開き直ることにした。

私は私と一生付き合っていかなきゃいけないのだから、私が私を認めないで、私が私を受け入れないで、どうするよ、と。


私は来月から学生になる。
1から自分で見つけ、制度を使い、受験
(といっても筆記試験はなかったが学費が免除になる制度の為、倍率はそれなりに高く、合否が出るまでは本当に祈る気持ちだったし、不合格だった時の妄想もしていたが、それが頭をよぎる度に気持ちが暗くなった…
いや受かって良かった…!)をして、
ほぼ誰にも相談せずに決め、晴れて合格し、リスタートをきるのだ。

父は反対はしなかったが、(再)就職しなかった娘をあまりよく思っていなかったり
(受かって良かったねとは言われたが)
伯母に関しては、そんな所行ってどうするんだと批判をされている。

身内からの応援はないけれど、私が初めて最初から最後まで自分で選択し、意志を持って進む道なのだ。

多くの同世代とは違う道を生きるということは、こと日本において(女性というジェンダーにおいてまだまだ)悪意ない言葉に傷付けられたり、疲弊をしてしまう事もあるけれど、どんなに茨の道になろうとも自分で決めた道なのだ。

マイペースにでも、諦めずに、歩み続けたいと思う春うららかな。



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