見出し画像

ショートショート「長すぎる走馬灯」

 長い。あまりにも走馬灯が長すぎる。


 わたしはIT企業に勤める齢32のごくごく普通のサラリーマンである。仕事の関係上同僚の女性と一緒に歩いていたところを妻に見られ、さらに浮気だと誤解されそのまま包丁で刺された。釈明の余地など全くなかった。そして、噂に聞いていた通り現在走馬灯を見ているのだが、やっと12歳になったところである。走馬灯というのは、字のごとくフラッシュバックがどんどん駆け巡っていくようなものを想像していたが、どうやら人生のリバイバル上映のようだ。あと20年、先は長い。


 ようやく22歳まで来た。思春期の自分を追体験するのはとんでもなく恥ずかしい。女性に対してあまりにも気持ち悪い対応をする自分に対して、嫌な汗をかいた。この10年を過ごして気づいたが、実際の走馬灯は見るというより過去をもう一度実際に体験する、という感覚に近い。大分自由度は高く、試しに当時行ってみたかったが行けなかったアンティークショップに行った。今はもう閉まってしまったので、走馬灯とはいえ行けてよかった。


 そして32歳。今日が人生最後の日であり、家に帰る途中である。これから殺されにいくのだと思うと、非常に足が重い。扉を開けると妻に静かに、しかし鬼の形相で浮気について問い詰められたこんな妻の顔は見たことがない。案の定私の言い分は聞いてもらえず、持っていたフライパンで妻に頭を殴られた。誤解とはいえ妻を非常に悲しませ、殺人鬼に仕立てあげた自分が情けなくて仕方がない。そう思いながら鈍い痛みと共に、私は意識を失った。



 その後過去の記憶が鮮明に次々と流れ込んできた。そうそう、走馬灯ってこういうのをイメージしてた。何故2回も走馬灯を見たのかわからないが、まぁ個人差もあるだろう。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?