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ゴミの城~002~暗い時間

 これまでのお話

 母に対して最初に違和感を感じたのは去年の春のことだった。世界を覆ったコロナウィルス、なるべく僕は人に会わないような生活をしていた。それまで月に一度は顔を出していた実家へも行かなかいようにしていた。

 数か月ぶりに実家へ顔を出し、母と買い物に出かけたときのことだった。実家に行くといつも利用するスーパーの屋上の駐車場。そこに車を停めたとき、母がこう呟いた。

「ここに停めるのは初めてね」

「んっ? 何回もここに停めてるじゃん」

 何を言っているのだろう? と、母の顔を見て問い正したのだが「あら、そうだった?」と、母は特に気に留める様子もなく受け流したので、そのまま違和感だけが残った。それが最初だった。母も外に出ない生活をしていたとのことで、今から思えば、きっとそれが悪かったのだろう。人は他人と接したり刺激を受けたりしないとダメなのかもしれない。

 それから「んっ?」と疑問に思うことが増えていった。

 年の瀬に母の実の兄が「危ない」と親戚から連絡があった。伯父は近くに住んでいたので、すぐに母と兄を迎えに行き、車に乗せて病院へと向かった。それでも久しぶりに会う伯父は、病室のベットの上で動かなかった。
 
 病院の待合室で伯父の処置が終わるまで親戚と話したのだが、伯父はもう何年も前から認知症で大変だったらしい。子供の名前も分からなかったとのことだ。僕は親戚に様子がおかしい母親のことを相談してみた。親戚が言うには「とりあえず認知症は早めに病院に行った方が良い」とのことだった。

 母は自分の兄がたった今、死んだことに怯え、病院の雰囲気にも心が落ち着かず、こんな状況で帰れる筈もないのに「帰ろう、帰ろう」と子供みたいに何度も呟いていた。疑問の余地はない。母は前とは違う。母が「帰ろう」と言うたびに泣きそうになった。

 その後、すぐに認知症を調べてくれる病院を探し、不安がる母を連れ検査を受けに行った。認知症の病院は予約がいっぱいで、何度かの検査をして結果を知ったのは年が明けた二月の終わりだった。

「認知症ではない」

 そう、診断が下りた。少しだけ胸を撫でおろしたのだが、その頃の母は排泄も入浴も兄の手を借りるようになっていて、話す内容も子供のようだった。僕は診断結果をすんなり受け入れられなかった。

 それから、なるべく実家へ顔を出すようにした。実家の一階はキッチンと別に和室が二つあり、ひと部屋は物というよりもゴミだらけで人が入れるスペースもなく、もうひと部屋も物だらけだが、そこで父親が寝起きをしていた。



 キッチンも和室も洗面所も玄関もゴミだらけ。二階には二つ部屋があり、和室に兄の部屋、洋間に母親の部屋がある。母は足が悪いのに二階まで階段を上り下りをしていた。僕は父に何度も

「一階を片付けなよ。お母さんが階段で転んだらどうするの。朝起きたら死んでたらどうするんだよ」

 と言うのだが、僕がゴミだと思う物は父から見たら全て必要な物だったので、全く進展はしなかった。

 ゴミの他にも不備が至るところにあった。数年前からキッチンの換気扇が壊れていてキッチンの全てがベトベト。使用していた食用油を見ると羽根アリが何匹も入っていたし、風呂場は全面カビだらけ。シャワーの水漏れもビニールテープが巻いてあるだけ。他にも不備がたくさんあった。僕が実家にいた頃は、こんなではなったのに……。母親が周りのことに気を止めなくなったことと、勝手に物を片付けると父親が怒るためだろう。

「汚い。そして暗い」

 基本、各々がテレビも電気も点けずに別々に過ごしている。刺激や情報を全く受けずに暮らすというのは母の具合がますます悪くなるような気がしたので、兄と母には「見なくてもテレビかラジオを点けた方が良いよ」とアドバイスをしたのだが、実家に顔を出すといつも静かで暗かった。

 少しずつ不備を直し、父を説得してゴミも片付ける。

「これ要らないでしょ?」

 そう言うと、必ず父はこう答える。

「それは使っているんだよ」

「なら、これは?」

「それは、〇〇で使うんだよ」

「……それだと何も捨てられないでしょ」

 この繰り返し。それでもゴミを袋に詰めていくが、次に行くとゴミ袋から捨てた物がいろいろと出してある。一度、悲しくなったのは実家に着いて早々に父が声をかけてきたときのことだ。

「おい、計量器どうした?」

 父が僕に尋ねる。もちろん僕には計量器を捨てた覚えがある。

「わかんない」

「あれ、いるんだよ」

 とぼける僕に父は真顔で答える。

「いや、何に使うのよ?」

「料理をするんだよ」

 僕が実家にいた頃は、父が料理をするなんて一度もなかったのに、なんとその父が「料理をする」と答えたのだ。

「いや、いや、しないでしょ。お父さんが料理なんかしてるのを見たことないじゃん。作ったってインスタントラーメンくらいでしょ」

「これからするんだよ。ほら」

 そう言って、父が新聞の切り抜きを見せてくれた。そこにはケーキの作り方や餃子の作り方のレシピが載っていた。いやいや、父がケーキなんか作るわけがないんだよ。昭和生まれの亭主関白な頑固オヤジなんだから。それが真顔で僕にそう言うのだ。よりにもよってケーキだって! 一番遠い所にいるくせに。

「いやいや、しないでしょ……」

 馬鹿馬鹿しい。それでも真顔で答える父、これ以上言うと言い争いになる。

「とりあえず捨てた物で必要な物があったら書いといてよ。新しい物を買うから。そっちの方がいいでしょ。物が新しくなるんだから」

 父は新しい物が欲しいわけでもない。これが「物を捨てることの出来ない」ということなんだと、泣きたくなった。

 キッチンは僕が出したゴミ袋の山だ。燃えるゴミと燃えないゴミの袋が溜まっている。帰りに兄にゴミ出しを頼むのだが、次に行くとゴミがそのまま置いてあったりもする。そもそも兄は僕が片付けをしていても手伝うこともない。

「片付けないと病気になるよ」

 と兄に言うのだが、彼は階段をモップで履くくらいだ。それでも僕は、ゴミをゴミ袋に入れていく。

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続き ~003~ 要因


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