旭川イジメ凍死事件について思うこと
きっかけは、PVPゲーム『荒野行動』
「ああああ~! ってかマジでなんでやれないんだよ! お前がミスったせいでマジヤバくなったじゃん! ほんと死ねよ!」
「ごめんごめんごめん! ほんとにごめんねー」
「ごめんじゃねえよ、最低でもあそこで3キルしてっつったじゃん! MK持ってないとかありえなくねえ?」
「ってかマジ金もってねえし。なんも補給できんかったし。なにやってんだよ、お前(プレイ時間が少ないのは)サボってたんじゃね?」
「えっえっ? 結構やっているけど……」
「もうおっぱい見せろよな」
「え……」
「や、そんくらいしろよ、クソかよ」
「いや、ちょっと……」
「ねえねえ、あのさあ、オナニーとかもしないの?」
「えっと……」
「オナニーくらいするよ、フツーだよそんなの。ほら、あたしのブラ(ちらっと下着を見せる)」
「おおおお! いいじゃん、ピンク。かわええよ」
「でしょ? おっぱいくらいみせるよ、フツー」
「えええ?(そうかなあ?)」
「え? 乳首真っ黒とか? ウッソまじ?」
「えー乳首黒いの? ヤリ過ぎじゃね? キッモ」
「えっと、そんなんじゃないけど……」
「じゃあ見せろよ、今回負けたのお前のせいだかンな! お前キルできなさすぎー、もうおっぱいくらい見せないと次こっち来んのガチで拒否る。マジ飛ばすー」
「見たいー見たいーかわいいおっぱい見てえー!」
「えーマジウケるんだけどw アイツさかってんじゃん」
「ってか、おっぱい見せるだけじゃね? ダサッ」
「……じゃあ、一瞬だけだよ?」
以上は、私が想像する『荒野行動』プレイ中の一幕である。
イジメがどんな現場で行われたかを検証することは、とても大切だ。
『荒野行動』がどういうゲームか? というと、オンラインのPVP(プレイヤーバーサスプレイヤーゲーム)であり、『モンスターハンター』など、ゲーム内で用意された敵(スーパーマリオブラザーズに代表されるようなクッパなどのボスがいるタイプ)と戦うのとは違う。
『荒野行動』は実存する人(プレイヤー)同士がプレイする対人用ゲームである。さらに、一対一でプレイするストリートファイターなどとも違い、チーム(グループ)でプレイすることも多い。プレイ内容としては、プレイヤー同士が殺し合うゲームだ。『バトルロワイヤル』的な要素がある、とも言われている。
大人数でプレイするPVP特に『荒野行動』には、2点特徴があると思っている。
まず、1つ目。
チームでプレイすることで、連帯感が発生しやすい。
例えば、サッカーや野球などのスポーツ部を想像してもらえるとわかりやすいと思う。同じ目標に向かって、一つの勝利に向かうことは、連帯感が出るのだ。
ただし、PVPの場合、プレイヤーの自由度が高いので、実際の身体を動かすスポーツ以上に身体に対する禁忌が少なく、相手への要求が強くなりすぎる傾向がある。プレイヤー同士が、同じレベルでプレイすることを最も良しとするので、同レベルじゃないと、強い制裁が与えられることもある。
野球などは、ピッチャーやバッターで華々しく活躍する選手がいても、その他のポジションを守る選手がいて成り立っているから、選手同士の優劣はあまりないのでは? と思う。しかしPVPの場合、ある要求に応えられなかったプレイヤーに対して、他のプレイヤーが口汚く罵ったり、チームから外す、さらには制裁として、ネット上に名前を晒す、などの場合がある。
要求したプレイをできないプレイヤーは”さぼっている”わけであり、自分たちの足手まといだ、とする場合があるのだ。
そして、”足手まとい”というレッテルを張られたプレイヤーは強烈な劣等感を植え付けられる。村八分のようなことが、ゲーム中に発生するのだ。
これは、eスポーツの影響もあると思う。ゲームは楽しむものでなく、優劣を競い合うスポーツであり、勝者であること以外意味は無い、とする人もいるのだ。
とはいえ、全てのPVPがこうなっているわけではなく、EVOなどの国際大会では、汚い言葉遣いは見受けられないことも明記したい。
社会的なルールを知り、守るプレイヤーは存在する。
2つ目。
言葉遣いが荒れやすい。
海外の動画では、Fワード(F〇〇K)が連呼される。なんたって、対人のゲームであり、ゲーム内容はプレイヤー同士が殺し合うゲームだ。そこに、連帯感も加算されると、テンションはマックスに上がる。
しかも、オンラインで顔が見えないのである。これが、実際に身体が見えるスポーツであった場合、お互いのことを実際の目で把握し、気遣うタイミング、というのも生まれるのであるが(もちろんリアルでも、スポーツ部でのリンチは時津風部屋力士暴行死事件に代表されるようにあるのだが)、オンラインはそれが見えない。
かなり軽い感覚で、相手を傷つける言葉が交わされる。
Youtube配信を観ていても、全員がそう、というわけではないのだが、大きな声で、オーバーリアクションでゲームをする姿が多い。
ゲーム内でのオーバーリアクションで再生回数が得られやすいYoutube配信を、若い子たちは実際のプレイにスライドさせやすい部分があるのではないだろうか?
子どもたちが、大人が考える”悪い”言葉を知るのは、全く悪くないと私は思っている。しかも、高校生であれば、そういった言葉を知るのはよくあることだ。言葉を知るな、というのは言葉狩りである。
ただし、使う場面は選ぶ必要があり、言い過ぎないように注意をしたり、つらかった場合グループを離れるなどをする、という”悪い言葉”に対する対処法がまかり通らないのが、高校生の側面の一つでもあるのだ。
以上の2点が最悪に混ざり合った状態でプレイされていることを想像してほしい。
元々いじめは起きやすい地域で暮らす子どもたちが、ゲーム内で”かわいがり”といういじりが行い、それが暴力を助長し、実際の暴行へと移り、心身を蝕んでいくのは、想像しにくいことではないのではないか。
「ブラジャーでいいから見せて」という要求が、『荒野行動』を交えて不条理な王様ゲームのように膨張してゆき、送られてきたスクショを使って、画像公開を交換条件に、さらに大きな(そして極めて汚い)要求へと発展し、実際に公園に呼び出して性暴力を加え、被害者を奴隷のように扱う。奴隷認定をされた被害者が、自分の命を絶つ選択をするのは、容易に想像がついてしまう。
私も、あなたも。
自分の局部を晒した裸をLINEに流す、という脅しがあったとして、今と違って職場も無く交友関係も狭く、逃げ場がなかったら、命の一線を超えたい、という思いはよぎるのではないか?
高校生を悪い方向に駆り立てる要素は、時代や場所を変えて、様々にある。なにも『荒野行動』に限ったことではない。しかし、それを把握せず、社会が放置し、さらには被害者の周囲の大人たちが全く対応しない、というのが悲惨なのだ。
今回の事件では、もちろん自殺へと追い込んだ高校生たちが罰を受けなければならない、と思う一方、彼らを取り巻く学校や教育委員会などに大きな責任があることは、確かなことである。
いじめに対する地域格差
あまり言いたくないことではあるが、やはり地域格差はあると思う。旭川市の教育委員会及び学校は、いじめに対する対応能力がゼロと言える。
最悪な事態をとめるポイント、機会はいくつもあったのだ。
しかし、それはことごとく無視された。無知さを理由に変えて、旭川市の教育委員会や学校側が、言い訳として遣い、無視を重ねてきたのだ。
理由はいくつでも付けられる。
被害者が母親との関係性が良くないから、その母親のせい。
加害者がおばかな子であるから、気にする必要はない。
(さらに今回は被害者児童の家庭がシングルマザーであったことで、加害者側が培ってきた、浅ましい偏見によりいじめやすい生贄として、被害者は残酷に選別されたのではないか?)
……などなど。
でも、たとえどんな理由があったとしても、初期段階で相談を受けたら、重く受け止めなくてはならない。
子どものすることは、大人の範疇を超える。
例えば、一般的な企業で働いていて、同じ職場の〇〇さんの恥ずかしい画像がLINEで回ってくる、なんてことあるだろうか?
私はそんな職場に一度も出会ったことがない。大人の常識では、そんなことは性暴力であり、行った側が不信感を抱かれるのであるから、やらないのである。
それを、子どもの世界に当てはめてはいけない。子どもはやるのだ。大人の世界で行われることがほとんどない悲惨な行為を、子どもの世界ではより強い残酷な行為として行われてしまう。
「まさか、そんなことで自殺なんてするわけないじゃない(笑)、大人だってやらないんだから。落ち着いたら戻ってくるよ」
そんな価値観で対応したんじゃないだろうか?
理由というのはいくらでも後付できるし、理由があるから犯罪が許されるというわけではない。
お腹が空いていたのでパン屋でパンを盗みました、となった場合、やはり警察案件にはなる。
お腹を空いていたという理由が、パンを盗んでいい、という許可にはならないからだ。
学校で起きるトラブルも、本来はそうあるべきなのだ。
家族と折り合いが悪いからいじめられているのは嘘、という理由をでっち上げて、いじめを無視してはならない。たとえ、母親と不仲であっても、その子どもがいじめを受けている様子であれば、見てみぬふりをするのではなく、その状況とは別に、どうしたらいじめが解決されるのか、対応しなくてはならない。母親と折り合いが悪いからいじめられてもいい、という理由にはならないのだから。
おばかな生徒は傷つける事を言ってあたりまえだから、いじめられていることを対処する必要はない、とはならない。
理由を超えて、”どういう対応がベストなのか?”を、被害の内容を見て、原因を考え、対応しなくてはいけない。
ただし、これを学校という教育機関で一手に引き受けるのは無理なのではないか? とも思う。
そもそも、教員免許を取得するために、いじめの実質的な対応について学ぶ機会があまりにも少ない。
また、いじめの実態というのは、年々変わってきていて(しかしその根っこの残虐性は変わらない)、大体の学校の校長先生は50代を超えていると思うのだけど、高度経済成長期に青春を過ごした人々が、現代の高校生の実態を理解するのには、無理がある。
では、何をしたらいいか? というと、いじめのSOSを聞き取り、積極的にいじめの現場に介入できる、いじめの実態を深く専門的に理解している第三者機関をつくることが必要なのだ。
私は、未成年の刑罰の内容を厳しくすることには、絶対に反対だ。
そんなことをしたら、ただでさえ入り組んでいてどこが入口で出口かもわからないいじめを、学校側はより念入りに隠蔽する。
考えてみてほしい、なぜいじめは隠蔽されるのか?
理由はたった一つじゃないか。
学校側が、いじめが起きたという事実を認めて、評判を下げたくないから。
いじめが起きた場合、学校側の評判が地域で落ちるのはもちろん、いじめた側の親は学校側に「ウチの子をイジメっ子として認定するなんて間違っている」とクレームを入れるに決まっている。
学校側は、そんな親も扱わなくてはならないのだ。
いじめを解決するために、いじめがあったことを認定することは、学校側にとってマイナスにしかならない。
しかも、学校側としては、教師はイジメをしろ、なんて教育は一切おこなっていない、という認識なのであるから、イジメが起きたのは学校は何も悪くない、あくまでイジメをする生徒がたまたま通学しているだけであり、学校側は全く悪くない、という認識ではないだろうか?
だとしたら、刑罰を重くすれば、学校側が負う責任も重くなるし、イジメた側の家族も責任を逃れたいと思うし(例えばいじめた側に兄弟がいて、その兄弟は全く関わっていなくても、人生に影を落とすことになってしまう)、そうなれば、より念入りに隠蔽するに決まっている。
イジメは絶対に、どこかで起きる。
また、それは地域性もある。(今回のイジメも、元々怖い上級生がいたとの情報もある。)
以上の二点は変えられないことだ。
そのイジメの中心軸が変わらないのだとしたら、周囲が変わって行くしか無い。
イジメを防ぐためのゲームの言動ルールと、正しい性教育を
今回のイジメのケースはあまりにも悲惨だ。
でも、これに似たケースを経験した高校生はいるんじゃないか? と思う。
似たケースの中、生き延びた人は素晴らしいサバイバーであるが、心の傷もあるのではないか? と考えると、暗くなる。
なので、もし、「パンツみせて」「おっぱい見せて」などと言った発言があった場合、その発言はたとえどんなことがあっても許されない、という強い認識をもつことが大切だ。
ペナルティを課す(そもそも、ペナルティを課す時点で友だちではないのだが)という言動でも「パンツ見せて」「おっぱい見せて」、と言われた時点で、NOを言うべきなのだ。
とはいえ、NOは言いにくいと思う。そこで嫌われたら、より凄惨なリンチを食らう可能性があるから。
なので、「パンツ見せて」とLINEが来たら、行動はせず、そのスクショを撮って、教師や教育委員会に見せること。証拠があるのは、何よりも強い。
絶対に言いたい。「パンツ見せて」と言うのは、冗談でもコメディでもなく、性暴力です。
そして、もちろん大人側でも「パンツを見せて」などの性暴力に該当する言葉があった報告を受けた場合、”性暴力を受けている”という認識をもって、しっかりと行動をすること。
それと同時に、子どもたちに、プライベートゾーンを見せることは、絶対に何があってもいけないことだ、と教えること。
もちろん、高校生になったら、恋愛はするし、セックスの経験を持つ子もいるだろう。合意の上で、安全に行うのであれば、何も問題がない。
ただし。合意があやふやで、一方の”お願い”であっても、たとえ1%でも嫌な気持ちがあった場合は、プライベートゾーンは守らなくてはならない。
性暴力を肯定しているような漫画では、”嫌よ嫌よも好きのうち”というおかしな認識で描いていたりするが、そんなことは絶対にあってはいけない。
社会に強く馴染んでいない、未成年の時期は、自分の気持ちも自分自身で扱えていない場合がある。「嫌……かも?」「いいのかな?」という、極めて繊細な気持ちをもって、行動してゆく。
そんな時期に、「嫌という認識を持て!」というのは無理がある。
「嫌……かもな? と思ったら、一旦ストップする、断る。まだ若いのだから、考える時間はたっぷりあるし、次のチャンスはいくらでもある。ほんとうに君のことが好きな相手であれば、考えがまとまるまで待ってくれるし、もちろん急かしたりしない。
どうしても答えが出ない関係だったら、一旦離れる。離れて冷静に考えると、相手のことがわかってくる場合がある。
悩んでいる君のことを、大切にしてくれる友情は、どこかで絶対に発生する。悩んでいることも含めて、素敵なアイデンティティだから。
嫌だと少しでも感じたら、性に関すること、またはお金を出して奢る、言いたくないことを言う……ということはしない」
という、教育を生徒にしてほしいし、教師もその認識をもってほしい。
それを、生徒にはっきり教えるべき。
これは、学校もそうだし、出版業界やアニメの制作の現場でも視聴率がとれるからといって、子どもを性暴力に晒す作品が目に触れないよう、気をつけなくてはならないのだ。
そして、子どもたちが、ラフに、楽しく、性やイジメの相談をできる窓口をつくるべきなのだ。さらに、その窓口が受けた相談内容に介入できる権限をもつことも大切。窓口と学校が連携をし、情報の共有と、フローの確認を速やかに行える機関を開設してほしい。
また、オンラインゲームをつくっている制作会社の方でも、汚い言葉は使わない、などをルール決めしてほしい。
特に『荒野行動』のユーチューバーには、正直社会的なレベルで、言葉の使い方が幼いプレーヤーがいる。ギリギリのラインで言葉を使っている感じだ。
基本、相手を貶める言葉はNGにしてほしい。みんなが楽しめるように、言葉遣いに配慮するキャンペーンをうって欲しい。
小さな文字で、注意書きを書いた所で、若いプレーヤー読むわけがない。
eスポーツの現場で活躍している有名なプレーヤーが、声をあげて、安心に安全にプレイを楽しめるように、キャンペーンをしてもらえたら嬉しい。
「相手のプレイを罵るのは、禁止」
「もし自分と同じレベルの人とパーティを組みたい場合は、正しくアプローチして、丁寧に断ったり、親切にジョインさせること」
「アクション要素が強くても、”死ね”などの言葉をプレイヤーには言わない。うっかり言ってしまっても、それを現実まで持ち越さない」
「終わったら、どんな結果でもお互いを称え合う」
ゲームが悪い、と決めつけるのは簡単だ。
しかし、逆にゲームという未成年に親和性の高い現場だからこそ、人間性や正しい社会性が学べるとしたら、素敵じゃないか。
より良い大人としての姿勢を、未成年にみせること。
eスポーツは紳士のスポーツだ、という魅力をアピールすることは、未成年のためになるだけではなく、より広く、清潔にマーケットを広げることにもつながるのだ。
学校が嫌いな子が逃げ込むのは、ゲームである。
だったら、ゲームが学校が嫌いな子が安心して社会を学べる場所であったら、救いになる。
今回の事件で、いかに学校という機関が役に立たないかを知った。
また、今回の事件は学校という組織を超えて、地域ぐるみで証拠を隠滅しようとしているとしか思えない。
しかし、なぜ役にたたないか? といえば、それには原因があり、学校が変わるのには、かなり時間がかかりそうである。
だとしたら、社会全体が自分のことと捉えて変わっていくこと。
それが、今回の事件のほんのわずかでも餞になるのではないだろうか。
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