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エンパシー・サークルとは?

 昨日は、知人が主催するエンパシーサークルに参加したので、そのことについて書こうと思う。エンパシーサークルの明確な定義はよく分からないのだが、共感的に他者の話を聴く対話の進め方、とでも表現出来るのだろうか?♡マークの紙と❓マークの紙を1人1枚ずつ用意する。20個位、キーワードが提示されていて、その中から1つ自分にピンと来たカードを引き、自分の番が来たら、何故そのキーワードを選んだのか、という所から話始める。一通り話者が話終えると、♡マーク(共感した、何か伝えたいという意思表示をするカード)か❓マーク(もっと聴きたい、質問があるという意思表示をするカード)を挙げた人がいる場合、話者が順番にそのカードを上げた人たちを指し、名指しされた人が話すというのを、応答がなくなるまで繰り返す又は、話者の持ち時間が切れた時点で次の話者にバトンタッチ、という形で進行していく。また、話者が話している途中で”共感する、共有してくれてありがとう”という気持ちを表現するツールとして、♡マークのカードを振る、ということも可能だ。

改めて、共感って何だろう?

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 主催者の知人以外初めましてのメンバーだったことに加え、エンパシーサークルとは何だ?どういうルールで進めるのか完全に理解出来ていないこともあって、最初はどことなく、ぎこちなく、不安や戸惑いが場に溢れていたように感じた。少なくとも、私はこわばりとか居心地の悪さがあった。そして、何よりも戸惑ったのが、♡マークのカードの使い方だ。一言に”共感”と言われても、何だか、”分かる分かる”、”共有してくれてありがとう”だけでは表し切れない、でも瞬時には言葉に出来ない気持ちが、湧き出て来て、「えっ!?この気持ちって何なの?共感って言うの?でもどの位の深さ、強さで共感したら、♡マークのカード振るの?」何て次々と疑問や葛藤が沸いている間に、話者はもう次のエピソードに移っていく。深く聴くと、本当に情報量が多く、その人の気持ちに寄り添い過ぎると、「いやぁ〜これしんどいなっ」て話もあって、HSPの私にとっては、今の自分に心地の良いやり方を見つけるのにあたふたした時間であった。もしかしたら、他者の話から感じた痛みは、私の中にもある、見えない痛みが、他者の痛みと共鳴して疼いたのかな、なんて考えたり。最終的には、今は、相手に流され過ぎず、思いやり、尊重をしつつも、私がどうしたいか?にもう少し正直に居ても良いのかも?と言う所に落ち着いた気がする。そう考えたら、少し気持ちもこわばりも解れて来て、相手との関係性も紡ぎやすくなった。

 同時に、「私、この状況でも結構自分を保てているかも。」と実感する時間でもあった。他の話者の人の話を聴いていると、「あぁ〜必要以上に周りに気を遣いながら生きてるのかな、とかこの人、とても繊細な人なんだな」とか、「ああ〜やっぱり他人からの反応気になっちゃうよね。そこまで周りからの反応気にせず、自分がどうしたいかを大切に出来たら良いのになぁ〜。」等、お節介で、私の勝手な感想だからそのまま伝えることはないけれど、比較的、自分はこうしたい、という姿勢が自分の中であることを、他者の話を聴くことで気付くことが出来た。そして、他者と自分の違いを通して、人には、本当に”その人固有のらしさ”があって、果たす役割が違うだけなのだな、と強く感じた。だから、「どうかその”らしさ”を他人の反応や評価を気にして殺さないで欲しい。」と勝手と思いつつも、願わずにはいられない。まだ、背中を持っては見せられないけれど、「みんな違って、みんな良い。」そんな風に、自信を持って言える日が来ると良いな。

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