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漫画学とドラマ理論第9回

① 「いい絵」について
最近漫画家さんと話していて気が付きました。どうも勘違いしている人が多いです。「いい絵」と「うまい絵」は本来違う意味で使われていました。概念がゴチャゴチャに使われるから困ります。「いい絵」というのは、要は感情表現が豊かな絵もしくは個性的な絵と思っていい。所詮人間の物語を描いているわけですから「感情表現」がうまくないと読んでくれないでしょう。ただ編集者もそういう絵に対して「いい絵だな」というべきところ「うまいなあ」とつい言ってしまうので、漫画家さんも勘違いしてしまうのでしょう。
デッサンが下手でもいいのです、感情表現ができてそれが鮮明に読者に伝われば「いい絵」です。2,3本ヒット作を作った編集者なら理解できます。確かにデッサンはうまいほうがいい。しかしデッサンは下手でもそれなりに感情を揺さぶる作品を作るほうが大変だし、それが求められていると思います。
デッサンが正確な絵を見て「うまい」と確かに言ってしまう人が多い。しかし別に製図を見たいわけじゃないのです。建築設計図ならそれのほうがいいに決まっています。しかしその調子で漫画家さんが人間を描くとおかしいことに気が付きます。人間味が感じられないのです。塩化ビニールでできた人間に見える。極端に言うと、血が通って見えない。人間の頬は、子供だったらプルプルして柔らかい。オヤジになれば水分が減って乾いて髭も生えている。そういう感じを出さないとリアルじゃない。
製図みたいなデッサンが一番いいんだと思った漫画家さんは、顔に「人間味」がないことが多いです。我々は顔や身体が左右ピッタリ同じはないことを感じています。顔などどちらかに寄っていたり、大きさも微妙に違うことを知っています。だいたい同じであればいいと思っている。
製図のような絵がいいと思っている漫画家さんは、言っても修正は利かないでしょう。それが一番いいと思っちゃうとそうなります。もちろんロボットが主人公のような漫画ならいいです。人工物ですから。

② 「セザンヌは下手」
 Youtubeで山田五郎君の「オトナの教養講座」を見ていて驚いたことがあります。セザンヌの静物画が出てきて、ディレクターが後ろの果物が空中に浮いて見えると質問しました。実は中学、高校の美術の教科書を見て、セザンヌの絵に描かれているものが空中に浮いているか、壁に張り付いているように見えました。その頃からずっと「ああ、俺は芸術がわからない平凡な人間なんだ」と思っていました。
 ところが山田君は「下手だからだよ」と簡単に言ってのけた。「えええっ!?」という感じです。俺が正しいのかと思った次第です。
 しかしセザンヌは凄いことになっている。結局個性なのだと思います。絵画の世界でもデッサンより個性です。漫画は、絵画や映画そして小説の中間種的な存在です。「デッサンが下手だっていいじゃん」と思うのです。
 以前担当していた漫画で、なぜかケンカのシーンになると原稿に焦げ跡を残す漫画家さんがいました。原稿を裏から見ると明らかにタバコが落ちた跡があります。そこでその漫画家さんに訊いたら「興奮してタバコを吸っているのを忘れてしまう」というのです。なるほど、もう主人公になりきって自分も殴っているような気分になるのでしょう。その絵はだいたいデッサンがおかしい。しかし普通は気が付かない。そこで大事なのは「迫力」であって少しぐらいデッサンは狂ってもいいのです。

③ 「小ぎれいな絵とうまい絵」
 最近はパソコンソフトが発達してだいぶ漫画家さんの負担も減ってきました。しかしGペンで漫画を描き始めた人と、いきなりソフトで書き始めた人はどうも違う気がします。パソコンソフトから描き始めた人は大体わかります。妙に「小ぎれい」です。機械で描いているから当たり前ですが、それを「うまい」と言っていいのか疑問です。奥行きを感じられないこともあるし、人物が人工的に見えることが多い。それがピッタリの設定ならそれでいいのでしょう。またそれを読者みんなが受け入れて主流になっていくのだったら何も言うことはない。
 Gペンで慣れた人は、パソコンソフトで描いても人工的な線の中から自分の線を描き出せます。こればかりは多少修業しなければできないでしょう。Gペンで描いていた時の感覚を脳と手が覚えていますから。

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