見出し画像

漫画学とドラマ理論第7回


第7回「ちばてつやが言った!『眼だ!!』」

① 「眼で漫画は9割決まる!」
 ちば先生が学生に向かって「眼で漫画は9割決まる」とよく言っていた。私もそう思います。生身の人間も「眼」でその人の人格の印象が決まってしまう。漫画の絵でもそうです。特に主人公の眼にはみんな気を使います。主人公の眼が魅力的であれば、その漫画は90%成功と思っても過言ではない。その魅力的な主人公が動けばみんな見たくなる。表情、行動すべて見たくなる。そんな主人公ができれば物語は勝手にもう勝手にできてしまう。しかしこれが一番難しいのです。
 ある時ちば先生が「潤んだ眼」を描こうとしていて苦労していました。何度も描いていては消している時、うっかり消しゴムで「眼」の下まつ毛のあたりを消してしまった。ところがその眼のほうが「潤んだ瞳」に見えることに気が付いて、それからこのことをテクニックとして使うようになったそうです。巨匠でもこれだけ苦労しています。

② 「ガラス玉みたいな眼には共感する人は少ない」
 昔からいるのですが、凝り過ぎて眼がガラス玉みたいになっている漫画があるでしょう。スクリーンを貼って、何とか眼がキラキラしているところを表現しているのはわかりますが何だか人工的に見えてしまう。人間に見えない。こういう描き方をする人はえてして肉体も塩化ビニールでできているような感じになることが多い。もちろんそういう需要もあるのだから一概に否定はできません。しかし一般ウケはしにくいでしょう。
 いい眼がなかなかできない時、ジャンプでは「黒めに星2つ」と教えていました。それを聞いた時自分でも試してみました。なるほど、それなりに見えます。眼の表面は常にうっすらと涙が常に流れているわけですから、光に当たった時ちょっと光って見える。そうすると絵で描くとき「星2つ」が生きてくるのです。
 しかし「黒めに星二つ」はあくまで応急処置です。本当はその漫画家独自の眼が書けるのが一番いいのです。そこ個性が出ますから。
 所十三君と初めて漫画を作る時、眼が決まらない。いろんな眼を描いてもどうも望むキャラクターにならない。眼鏡をかけさせても決まらない。試しにマジックで、その眼鏡を黒く塗りつぶしてみた。つまりサングラスです。そこでハッとします。眼を隠したほうがいい。表情は眉毛で出せばいいことに気が付きました。眉毛を八の字にしたり、逆八の字にしたりして感情表現をしたのです。名優は背中で演技すると言われていますが、眼以外の眉毛、口元、汗などを使って演技させました。
 しかし高校生がサングラスで登校するということはあり得ないのです。不良だってそんなやつ見たことがない。批判の手紙などが来るかなと思いましたが一度もありませんでした。ここが漫画リアリズムのいいところで、実写では違和感があるでしょうがずっと見ているとそんな不自然に見えなくなるのです。一か八かこれで行っちまおうと決心してできたのが下の漫画「名門!多古西応援団」の主人公です。これはかなり極端な事例です。あまり真似はしないほうがいいでしょうねえ。


③ 「眼を直すのは、漫画家は嫌がる」
 これは当たり前です。漫画本人が一番格好いいと思って主人公の眼を描いているのですから。主人公の眼は、その漫画家さんの美意識の象徴と言ってもいい。それを「これでは売れないよ」というのは、何だか今までやってきたことを否定されたような気分になります。しかしダメなものはダメです。嫌われるのを覚悟して言わないと編集者としてはプロじゃない。

画像1

 まず注意してもらいたいのは、眉毛を上まぶたの間にある上眼瞼のあたりです。ここには腱つまりアキレス腱と同じような筋肉があります。これがまぶたを釣り上げている。しかし黒人、白人と違って黄色人種はこの腱が進化の過程で緩んできた。これには諸説ありますが、氷河期の頃雪や氷の照り返しで間が焼けないようになったという説があります。昔イヌイットの人は木の小さな板に切れ込みを入れて、それを目にかけて照り返しを防いでいます。
 白人や黒人に一重まぶたはいないはずです。ということは我々の二重まぶたというのは彼らから見たらたいした二重じゃないわけです。シワ程度でしょう。〇〇美容外科のコマーシャルがあります(「好きな言葉は情熱です!」ってやつですね)。モンゴロイドから見たら二重は気になるでしょうが、よーく考えてください。白人、黒人の二重は日本人から見たら強烈な二重でしょう。眉毛と上まぶたの間がボコッとへこんで見える。
 何が言いたいかというと、上まぶたと瞳の間に白目が来ることはまずありえないということです。モンゴロイド以外で眼が大きい人には時々見たことはありますがかなり少ない。普通その位置の白目が来るのは覚せい剤でもやっているか、極度の驚きがある時でしょう。ところが時々平気でそこを白目にする漫画家さんがいますが不自然です。眼の大きい人でも上まぶたが瞳に少しかぶるほうが自然です。そうやるとヤバい人に見える。まして瞳を小さくして三白眼にしたらもう犯罪者顔です。もちろんそれを狙っているのならいいのです。そうでないのにそういう眼にする漫画は、本当は印象が悪い。
 またよくやる手は、白人や黒人を表現する場合、上まつげと下まつげを長く描いたり、太く描いたりして日本人と区別していました。今もそうしている人もいます。
 確かに眼で印象違ってしまいますが、それでも感情表現がうまくいけば漫画家が好きにやればいいのだと思います。
 
④ 「眼全体の大きさについて」
 眼全体は大きいほうが基本的にはいい。我々は錯覚の中で生きています。話すときだいたい眼のあたりを見ている。そうすると実測より大きく見ます。成人男子の、頭のてっぺんからあごまで測るとだいたい23センチぐらいだったと思います。眼の縦幅が2センチあったら日本人としてはかなり大きい眼です。漫画の絵で仮に顔全体の10分の1で描いたら、かなり小さく見えます。印象として我々が見ている眼は、大きい眼の人は23cmに対して4センチぐらいで描かないと大きくは見えないでしょう。
 逆に眼の細い人、小さい人は、漫画では線1本で済ませてしまうこともある。あくまで眼は印象、錯覚のまま描いたほうがリアルです。眼が小さいとカメラを引いてロングで撮っているような感じです。特に体全体、もしくは上半身を描くと、人物を離れたカメラで撮っている感じがしてしまう
 少年誌、ヤング誌などではほとんど眼が大きいと思います。日ごろに印象で描いている。眼が大きければ感情が鮮明に読者に伝わります。特に子供を描くとき眼が大きいと思います。位置も顔全体の中央に持ってくると思います。本当の子供は、顔や頭全体のうち眼も大きいし頭が大きい。真ん中に眼を持ってくるのは当然です。眼も大人に比べて大きいのですからこれまた当然。
 大人漫画でも基本は大きい。前述したように感情表現が伝わるからです。しかしどうしても眼が小さくなる漫画家さんもいます。眼を大きくしてくれと言っても、いつの間にかどういうわけか小さくなる。そういう感覚になっている。これはなかなか修正できない。ただ青年誌の絵には眼が小さい絵が結構多い。前述したようにカメラを引いてロングで撮影したような感じになりますが、そういう要素を含めて青年誌の読者は理解してくれるようです。
 「キングダム」の作者、原泰久さんが師匠の井上雄彦さんにもっと眼を大きく描いたほうがいいとアドバイスを受けたのは結構有名ですが基本正しい。

⑤ 「自分しか描けない眼を描けたら最強」
 その通りです。最初に申し上げたように眼はその漫画家さんの美意識そのものです。それが高評価ならば漫画の世界そのものもいいはずです。しかしこれがなかなか描けない。あまりこだわっていたら日が暮れます。連載を勝ち取って執筆中しながら考えるべきです。ある日突然なのか、徐々になのかわかりませんが浮かぶときは浮かびます。以前言ったように藤沢とおるさんの話をしましたが、作品ごとに進歩しています。眼だけを追って読むとわかります。



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?