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漫画学とドラマ理論第13回

第13回「漫画原作の作り方」


①     漫画原作と脚本の違い。

映像の台本を見たことのある人はわかると思いますが、台詞だらけです。当たり前です。だから台本ですから。例えば以下のような感じです。

―――夜、公園―――

 A夫「〇〇(ずっと台詞」)

 B子「〇〇(これもずっと台詞)」


 このようにA夫とB子の会話がかなり続くし、一つ一つが漫画から見ると長いです。

1回のセリフが3行ぐらいに平気であります。これを漫画に全部入れたら大変なことになる。仮に入れたら会話劇が長々と続くことになる。読者は読んでくれないでしょう。

 漫画の場合、台本で言いたいことのエキスを2つか3つのセリフに圧縮しなくてはいけない。それを吹き出しに入れて、登場人物の表情や行動で表さなくてはいけない。

 昔は脚本家の人が漫画のほうが簡単だろうと、よく来ました。まず使えた人はいません。説明してもわかってくれない。だから脚本家出身の原作者は意外と少ないのです。


②     漫画原作と小説の違い。

 いろんな文体の小説がありますから一概に言えませんが、基本小説の場合、会話はすくなく、いわゆる「地」の文が長いです。その「地」の文の中で登場人物の心模様などを表現するわけですが、そういうことは漫画では無理です。「地」の文がなくても2つ3つのコマで心理状態を表さなくてはいけない。

 漫画では吹き出しのセリフと登場人物の表情で、小説における「地」の文の役割をしなくてはいけません。だから常に原作を書くとき頭の中で映像を浮かべなくてはいけない。漫画家さんにどういう感情で登場人物は言っているのか最小限の指示をすることになります。

 これもまた吹き出しで言う登場人物のセリフは、一言一言気持ちを圧縮した表現になると思います。しかも小説のようにぼんやりしたイメージ書いていては漫画家に伝わりません。


③     大きくいって二つの流派があります。

まず「小池一夫」流。小池さんの原作のコピーを手に入れて読んだ時驚いた。余りにも細かいのです。セリフ以外の状況説明もかなり詳しい。一番驚いたのは絵の描き方の指示まであったことです。これが上斜めからのアングルで、とかやたら細かい。普通の映像の分野では台本が映像監督にわたった時、映像監督がこうしたほうがいいとか書き込みをします。また役者はこういう角度でセリフを言ったほうがいいとか、演技もああしたほうがいいとか書き込みをします。

 小池さんの原作は、それら書き込みが初めから全部入っています。これは疲れるだろうなあと思いました。これはこれで一つの手法でしょう。

 私が習ったのは「梶原一騎」流です。いつ、どこで、なにを、という基本的なことは当然書きますが、余計なことは一切書かない。いちいち指示しなくても流れから漫画家がわかることは書かない。最低限の状況説明や感情説明しか書かない。盛り上がる箇所はかなり濃厚に書きますが、それ以外の枝葉はカットしていると思われます。

 一種の遊びの余地を残しています。漫画家の人がアレンジ可能にしてあります。漫画家が絵を描いている内に浮かぶ「絵的なアイディア」があります。これは漫画家しか浮かばない。文章で話を作っている時は浮かばないものです。そういう漫画家の独自性を担保しているような形式でした。

 私は自分が習ったのが「梶原一騎」流だったこともありますが、梶原流のほうがいいような気がします。原作と漫画が化合して、新しい世界を開くのですから漫画家の絵的なアイディアが入る余地を残しておいた方がいいと思うのです。「原」「作」ですから元になった話で、面白ければいいと思います。

 ただ梶原流だと、書くとき常に漫画の絵面、コマを頭の中に浮かべて書かなくてはいけないことになります。これは慣れるまでちょっと苦しいです。

 


 本当は実際に書いた原作をここに置いたほうがいいのでしょうが、過去のものはどこかに行ってしまいました。これから書くものは時々載せます。

④「場面」が浮かぶか否か。

 これが最大の問題でしょう。普通は第一話の「ある場面」が浮かぶものです。「ある場面」は広い意味で感動の場面です。読者の心を動かす場面です。

 しかし時には物語のラストが浮かぶこともある。こういうラストシーンがある物語はいいなあと思うことがある。これはまれなことです。そこに合わせて逆算して作ったことはあります。

 問題はその面白い「ある場面」が浮かぶかどうかです。浮かぶやつは浮かぶ、浮かばないやつは永遠に浮かばない。半分天性のなのかもしれません。知識に比例はしません。漫画をたくさん読んでいる、映画も観ている、本もたくさん読んでいる、だけど全く浮かばないやつはたくさん見てきました。どうも知識と知性を間違えている人が多い。知識があろうが、それらベースになっている知識を加工したり、組み合わせたりして新たなイメージ、アイディアが浮かばないやつは浮かばないのです。どうも自分を追い込むことができない人間のようです。

 当初は根性のないやつだと思って軍隊式に「なぜ浮かばない。考えろ」と追い詰めたこともあります。無理です。中には泣き出すやつもいる。どうも前頭葉というか右脳が活性化しないらしい。

 面白いものはわかる。しかし面白いことが浮かばない。こういう人間が編集者など漫画関係者にいたら悲惨です。邪魔です。しかし結構多いのです。

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